長野県議会議事録 http://nagano.gijiroku.com/voices/CGI/voiweb.exe?ACT=203&KENSAKU=1&SORT=0&KTYP=1,2,3,0&FBKEY1=%E9%A9%95%EF%BF%BDB%E8%9B%BB%EF%BD%B6&FBCHK=OR&KGTP=1,2,3&FYY=2006&FMM=09&FDD=01&TYY=2007&TMM=12&TDD=31&TITL=%E8%AD%9B%EF%BD%AC%E8%8E%A8%EF%BF%BDc%2C&TITL_SUBT=%E8%9F%B7%EF%BD%B3%E8%AC%8C%EF%BF%BDP%3FW%3FN%3FP%3FQ%E8%AD%9B%E4%BA%A5%EF%BD%AE%E5%A3%BB%EF%BD%BE%E5%80%B6%EF%BD%BC%E5%A3%BD%E6%82%BD%E8%8E%A8%EF%BF%BDc%EF%BF%BD%EF%BD%BC%EF%BF%BD2%E8%AD%9B%EF%BF%BD3%E8%AD%8C%EF%BD%A5-03%E8%9C%BF%EF%BD%B7&HUID=63548&KGNO=119&FINO=603&HATSUGENMODE=0&HYOUJIMODE=0&STYLE=0 ◎知事(村井仁 君)私が衆議院議員時代の秘書を特定任期付職員として任用するに当たり、県会各会派の皆様や県民の皆様からさまざまな御意見をちょうだいしておりますことは、よく認識しております。そしてまた、私の立場で十分に考慮をしてまいりました。 今、宮澤議員からは3人の名を挙げて御指摘がございましたので、これは、私、やはり県議会できちんと御説明をさせていただくべきだろうと思いますから、恐縮ですが、お時間をちょうだいしまして説明をさせていただきたい。 まず最初の平田でございますけれども、これは、まず私の衆議院議員時代の秘書ではありません。私が議員を辞職した後に、たまたま私の東京事務所を手伝ってくれたということだけでございます。 私は、知事の職につきましてから非常に感じましたことは、知事の職務には事務と政務があるという一つの事実でございまして、事務につきましては大変優秀な秘書を私はお願いをいたしましてつけていただきまして、すべての事務的な、事務と整理できる私の職務につきましては常時同行を求め、そのときそのときに適切な示唆も得、また県庁の各組織との連携、それから私が例えば出先で発言しましたことの処理等々につきまして実に適切に対応をしてもらっております。 しかしながら、知事には、事務ではなくて、もう一つ政務と整理しなければならない部分がございます。この部分につきましては、これは県知事としての仕事ではございますけれども、知事であればこそ、例えば具体のお話を申し上げれば、例えば県議会議員である方、あるいは市町村長の地位にある方の政治的な行動と考えられるそのような催しに例えば講演を求められる等々の、あるいは出席を求められる等々の場面がございます。これは私は明らかに政務だと考えております。これに地方公務員法によって政治的中立を要求される県がつけた優秀な秘書を連れて歩くというのは、これは彼に結果的に地方公務員法上問題を生ずる行動をとらせることにもなり得ます。 そればかりじゃございません。こう言っては何でございますけれども、日常の知事室で行われますさまざまの職務の中でも政務と整理せざるを得ない場面というのがございます。そういうものを担当させる必要を私は痛感いたしました。 そこで、私は、この長野県の制度、これは林知事の時代に活用され、その後、田中知事も杉原特別秘書という形で使われたこの特別秘書制度を活用するという形で、平田を採用することにいたしたわけであります。しかしながら、これは任期付職員の問題ではありません。あくまで特別秘書という仕組みで処理したものであります。 さて、率直に申しまして、任期付職員の問題につきましては、7会派のお申し入れ等々ございましたから、私もそこは慎重に考えてまいりました。 しかし、10月の半ば過ぎでございましたけれども、ある事件がございまして、私は、東京事務所が完全に、失礼な言い方ですけれども、機能を喪失していることに愕然とせざるを得ませんでした。なぜかと言えば、前知事の時代に東京事務所は国の各省庁と一切の接触を事実上禁じられていたわけであります。そして、ほとんどの職員が、残念ですけれども、県選出の国会議員との接触もなかったわけであります。そういう状態で、しかし、私は、来年度の予算を考えましたら、どうしてもいろいろな形で国のさまざまの制度を活用する方策を探らなければなりません。 実際、私が案内して歩かなければいけないほどに東京事務所の職員の、何といいましょうか、力がなくなっていた。これは、何も、そもそもないわけではなくて、そういう仕事から遠ざけられていれば幾ら優秀な職員でもどうしようもないわけであります。そこには、どうしても、何といいましょうか、直ちに役に立つ緊急性が必要だったわけでございまして、それで、やむを得ませんから、私のたまたま衆議院議員時代に第1秘書として使っておりまして、そして主に陳情などの地元の御案内に専ら走り回っておりまして、こう言っては何でございますけれども、普通に国会議員の秘書として地元のさまざまの御要請を国の機関に取り次ぐ、いわゆる陳情活動と呼ばれること、これのよしあしはこれは別の話でありますが、それにつきまして大変経験豊富である、多分、長野県選出の国会議員の秘書ほとんどすべて並べてみましても最も優秀だと私は思っておりますが、小林を起用することによって緊急事態に対応しようと、このように考えたというのが小林を任期付職員として11月1日付で採用した理由であります。 その後に、私もいろいろ熟慮をいたしましたけれども、さまざまな問題を考えておりますうちに、国民保護法制の施行によります危機管理体制の強化でございますとか、さまざまな問題があることに気がつきました。実は、これはまたちょっと長い話になって申しわけございませんが、私自身、実は、政治の世界に入りますときに、今から21年の昔になりますが、防衛庁の航空幕僚監部で航空幕僚長、これは要するに航空自衛隊のトップであります。この人の副官、つまり秘書官であります、をしていた右近謙一君を知りまして、この非常に優秀な能力にある意味ではほれ込みまして、お願いをして、航空自衛隊を三等空佐で退官をして、それで私と政治活動をともにしてもらったわけであります。20年間の私の政治活動で、常に私とともに歩んでくれたわけでございまして、彼の裏表のない誠実な態度というのは私は極めて高く評価しているところでありまして、秘書と代議士との関係という以上のものがあったことは事実だと思います。 それはそれとしまして、具体のお話を申し上げますと、たまたま私が国家公安委員長になりましたときに、一番私にとって大変だった事案というのは、実は、9.11のニューヨークで起きました同時多発テロであります。あのときには、まさに世界に緊張が走ったわけでございまして、日本ではどういう話が起きたかといいますと、原子力発電所が例えばテロにやられたら一体どうなるのか、警察で守れるのかという問題が大きく取り上げられました。そして、それを守るためには自衛隊を使うべきではないかと、こういう話になりました。そして、それは政府と与党の間でほとんど一致した見解になりました。 私は、警察担当大臣として、これは容易ならぬ事態だと考えました。なぜなら、そんなことに自衛隊を使うのは本来おかしいからであります。しかしながら、政治の世界ではほとんどそれが決まりそうになった。私は、そのときに、これは私にとりまして、こんなお話を詳しく申し上げるのはなぜかと申しますと、私にとって最も大きな政治決断だったからであります。私は、文字どおり、職を賭してこれに反対しようと考えたわけであります。 しかし、そのときに、同時に、自衛隊が本当にどう考えているのか、自衛隊の制服の幹部までそんなことを考えているのか。これは実は非常識な話なんであります。これは、戦前の言葉で言えば戒厳令とでもいうべき状態と等しい。2.26の事件の状態と同じ状態をこの平和な日本につくり出そうという話でありますが、そんなことは私はとても認めることができない。 そこで、私は、右近に、自衛隊の幹部に、特に陸上自衛隊幹部の本当に意向というものを探らせたのでございます。ちょうど幸いなことに、彼の同期は、彼は第一選抜のエリートでありましたから、既に師団長か副師団長級のランクにありました。それで実相を探ってみましたら、これは、全く政治の世界での空理空論と、加えて、失礼ですが、自衛官の中の一部のはね上がりがそのような構想を持って一部政治家を動かした結果でありまして、幸いにそれがわかりましたから、私は非常に強く党幹部にも働きかけました。 幸いに、この問題は警察が主となって対応するということ、そして、自衛隊は、米軍の基地とそれから自衛隊の基地と、それだけを守ると、こういうことで整理をすることで解決したわけでありまして、現在もその制度で終わっております。 こんな体験から、実は、こういうテロに対して、国民保護のためにどのような体制をとったらいいかというような主題も出てまいりまして、これがやがて国民保護法制という形になり、そして各都道府県で計画を立て、各市町村も一般的な天然災害以外のテロ等に対します対応にきちんとしたことをするように仕組みができ上がったわけでありまして、これは、しかし、まだ実験もされていないわけでございますし、まだ机上のプランでございます。これを生きたものにしていく必要というのは、現在の大変緊張した日本において、長野県も含めて、私は大事な課題だと思っておりまして、こういう問題にも取り組んでいかなきゃいけないと思っております。 もう一つ、右近の協力を得て私が手がけた大きな課題の一つに、災害、防災の問題がございます。それは何かといいますと、阪神・淡路大震災でございますが、あれだけのたくさんの方が圧死したということになっておりますけれども、これは一つには救援がおくれたために亡くなったという面もあるわけであります。救援がおくれたのはなぜかというと、これは、阪神・淡路の場合にそれが可能であったかどうかは別にしまして、自衛隊にしましても、警察にしましても、消防にしましても、それを投入したときに、それが基地として使えるようなスペースがあるかどうかと、こういうような問題もあったわけでございます。 私は、防災担当大臣としてそのことに気がつきましたから、東京直下型の地震を想定いたしまして、特に関東圏、1都6県でございますけれども、この地域につきまして、緊急に自衛隊あるいは消防等々を展開させるための基地のようなスペースを用意する必要ということを提案いたしまして、これは幸いに政府の認めるところになりまして、東京湾の有明と、それから川崎埠頭でございますが、ここに防災拠点をつくるということに一応なりました。 これは結構息の長い仕事で、現在も進んでおりますけれども、この話はもうちょっと御説明いたしますと、道路や何かがつぶれたときには、場合によって水運を使って要員を運ぶ、あるいはヘリコプターももちろん使うというようなことで、いろいろな機能が集積して使える。救援物資なども場合によっては船で運び込むことができるというような機能まで考慮したものでありますが、このプロジェクトを実質的に進めるのに右近が大変な努力をして、私が議員を終わるまでいろいろな形で支援をしてきたという実績がございます。 私のこのような体験を踏まえまして、右近に危機管理の企画を担当させようということでお願いをする決意をしたわけでございます。 このことは、もうちょっと長野県について申しますと、長野県の場合、どういう形でそれを展開したらいいかということはこれから考えてもらいますけれども、千曲川の河川敷などに場合によっては集積するスペースをつくるというようなことは、事によっては大切な配慮なのかもしれません。そういうような、やわらかい頭でいろんな発想があり得るんだろうと思います。 最後に、私は、実は知事に就任いたしまして一番何を考えたかといいますと、何より大切なのは、何かが起きたとき、その危機管理が一番大事なことだと私は自覚をしているつもりでございます。その意味で、私が、9月1日、就任日にあえて事務方の反論を抑えて、9月1日は防災の日でございます、防災訓練をやっていただきました。就任あいさつは5分間で切り上げて、そして防災訓練をやっていただいた。 それから、9月13日にお願いを申し上げました臨時会であえて副知事お二人の選任を御同意いただきましたのは、私は、知事が当然にさまざまの事情で外に出なければならないこともあり得る、そういうときにだれかがきちんと知事にかわって対応できる体制を初めから明確にしておく。この発想は、アメリカの大統領が何かあったときには、すぐ副大統領が昇格する。副大統領に事故があったときには、副大統領は同時に上院議長でありますが、直ちに下院議長が昇格する。それでだめなら直ちに国務大臣が昇格する。大統領と副大統領とは決して同じ飛行機で旅行しない。こういうような危機管理の意識というのは常にあると。 私は、長野県の県政をお預かりする立場として、その程度の自覚は持ってやっているつもりでございまして、そういう意味で、私にとりまして危機管理というのは尋常ならざる重要な課題だと思っているところであります 以上、お答えにかえさせていただきます。 |