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日本では、仕事場とお酒の席の距離が近い。職場単位で飲みに行くことは珍しくないし、とくに長時間労働が常態化すればするほど、職場における仕事とお酒の相互浸透が進みやすい。 そして、先輩、上司、顧客や取材先など、本来なら緊張感を持って接するべき相手も、お酒が入れば「飲み友だち」となって、ちょっぴり羽目をはずすことが許されるようにもなる。 どうやら、中川昭一前財務・金融相の身辺も、飲酒に対してかなり寛容な職場だったようだ。 ○酒に甘い人々に囲まれて YouTubeで繰り返し記者会見の様子を見たが、とにかく驚くのは、中川氏の周辺の人間たちが、あの状態で大臣が記者会見に出席することを止めなかった(止められなかった)ことだ。 あるいは、受け答えもままならぬ大臣の様子を見ても、「またいつものあれか」と見過ごすことができるぐらい、周りの感覚がマヒしていたのかもしれない。 記者たちの側も、「国民の知る権利」を代行する職業として、中川氏に対してどこまで緊張感を示して向き合ってきたのだろうか。今回の中川氏の騒動は、記者会見とは、記者団に対してではなく、その向こうにいる国民に対して語りかけるものだという「会見」の本質的意義について、政府側も記者側もすっかり忘却していたことを窺わせる事件だった。 ○「世界」が覚ましてくれた酔い かねてからうわさになっていた中川氏の酒癖は、これまでは一部の週刊誌が報道する以外、「スキャンダル」にはならなかった。 「夜討ち朝駆け」をしながら中川氏にぶら下がってきた記者たちなら、彼の行状を知らないはずはない。権力監視をするはずの記者たちによる日ごろからの「お目こぼし」が、あのような会見を招く遠因となったのではあるまいか。 これまでのところ、中川氏本人はもちろん、首相の任命責任や記者会見出席を黙認した官僚たちの責任が追及されている。 だが、私はぜひ、今回の外遊に同行していた記者たち、そして常日ごろから中川氏に張り付いているいわゆる「中川番記者」たちから、なぜこうなるまで彼の飲酒癖が問題にならなかったのか、その理由を聞いてみたいのである。 結局、彼の飲酒癖が政治問題として取り上げられたのは、食事には必ずワインが振舞われるイタリアにおいてだった。「世界に醜態をさらした」と民主党の小沢党首は批判したが、永田町からは時差も文化差もある遠い異空間において、日本国大臣の真の姿が顕在化したことは象徴的だ。 G7という非日常の場が、エリート記者も官僚も総理大臣も目を背けてきた事実をしっかりとあぶり出してくれた。国際化が、こんなところにまで効用を発揮するのは、日本特有の現象かもしれない。 ○後から後から出てくる新事実 実は、私はこの原稿の大部分をすでに2月18日の朝までに書き終えていた。読売新聞が2月17日の朝刊で、前日の中川氏の会見の惨状について一面で報道しなかったことがきっかけだった。これはいかなる価値判断によるものだったのだろうか、ということを問いたかったからである。 しかし、振り返って問題の記者会見の扱いを時系列で比較すると、読売新聞だけでなく、各紙はすべて当初は「ちぐはぐな受け答え」「かみ合わない」「口調がはっきりしない」など、全体的に事件を控えめな表現で報道していた。 ところが、その後、いったん世論の趨勢が中川氏批判へと流れ始めると、堰を切ったように彼の酒癖がもたらした過去の粗相が暴露されていった。 さらに、病気だと弁明したにもかかわらず、会見後にバチカン博物館の見学をしていたとか、直前の日ロ財務相会談でも朦朧(もうろう)としていたとか、20日の時点になってもローマ外遊時の中川氏に関する「新」事実の続報が届く。 結果的に、日本に住んでいる私たちは先週ずっと、テレビや紙面で中川氏の“宴のあと”におつきあいしなければならなかった。 ○番記者は何を取材しているのか こうした経過を見ていると、普段、大臣のまわりには大勢の記者たちがぞろぞろと付いて回っている(少なくともテレビなどで見るとそう見える)にもかかわらず、いったい彼(女)たちはどのような方針で何を取材しているのか、国民が知るべきことを知らせていないのではないか、そんな不安が募ってくる。 日本の政治が低レベルだからといって、ジャーナリズムまで低レベルになる必要はどこにもない。だが、残念ながら、どこかでこの二つは共犯関係にありそうな、そんな予感を抱かせてしまう。 今回の記者会見事件については、メディア側にも、国民に対していくばくかの説明をしてほしいと思うのだが、いかがだろうか。 |