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投稿者 ダイナモ 日時 2008 年 11 月 05 日 22:42:41: mY9T/8MdR98ug
 

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20081023/174919/


前回から読む)


「平成21年5月21日から裁判員制度が実施されます。裁判員制度とは,国民のみなさんに裁判員として刑事裁判に参加してもらい,被告人が有罪かどうか,有罪の場合どのような刑にするかを裁判官と一緒に決めてもらう制度です。国民のみなさんが刑事裁判に参加することにより,裁判が身近で分かりやすいものとなり,司法に対する国民のみなさんの信頼の向上につながることが期待されています」

 最高裁のホームページでは裁判員制度についてそう説明されている。あれよあれよというまに採用が決定され、実施も目前にせまっている裁判人制度は、独特の法システム社会である日本に果たしてなじむのだろうか。

*  *  *  *

郷原 まず国民の司法参加は、やった方がいいのか、やらなくてもいいのか、二分法なんですよ。そうしたら、やった方がいいということになる。なぜなら、外国の多くの国でやっているから。

武田 最高裁のHPでも「国民が裁判に参加する制度は,アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア等でも行われています」とありますよね。

郷原 やっていないのは日本だけだから、やった方がいいとなります。そこでまず、エンジンがかかるわけですね。じゃあ、どういうふうにやるのか。その制度設計には日弁連の上の方を占めている人権派弁護士のように、この国の司法の根幹部分を変えてしまいたいと思っている人たちも絡んでいたわけです。

 彼らは職業裁判官中心の司法の世界を変えたいわけですね。治安維持的な裁判に対してずっと抵抗してきた人たちは、それを崩してしまいたいと思っていて、そのために裁判官の手から裁判を国民の手に取り戻せということになる。そうすると、陪審制という話になるわけですね。とにかく全部、国民から選ばれた陪審員が決めればいいんだという話になる。

 ところが、そこまでの制度は裁判所は絶対に認めない。でもまあ、参審制ならいいだろうと妥協した。これがとんでもない方向に発展する。

武田 たとえばどのあたりのことでしょう。

郷原 まず数のバランスです。アメリカの陪審員制のように12人の陪審員全員が国民から選ばれるというほどじゃないけれども、裁判官 3人に裁判員6人という結構な人数を取り込むことにした。しかも裁判員を選挙人名簿から無作為に選ぶわけです。ヨーロッパの参審制は団体とかの推薦で、一応フィルターを掛けた形で裁判員が選ばれるんです。しかも任期制です。日本の裁判員制度はアメリカ方式を選択して、事件ごとに素人を無作為で選ぶのです。

 ただアメリカの場合、陪審員による裁判を受けるかどうかは、被告人が選択するんですが、日本は被告人の権利とは関係ないということで選択権はなし。

 もう一つアメリカの陪審制と違うのは、そこにヨーロッパでやっている参審制のように有罪無罪の判断だけではなく必ず量刑も含めて判断するというところです。でもヨーロッパは死刑を廃止している。日本の場合は死刑がありますから、死刑か無期かという職業裁判官ですら尻込みするような量刑を裁判員が判断する。

 これはもう、国際的にも類を見ないモンスターみたいな制度ですよ。

武田 欧米折衷なんだけど、悪いところだけ集めてみましたって感じでしょう、死刑の存廃についてアンケートを採ると死刑存置論が優勢らしいですけど、自分で判決下すとなるとびびりますよね。

制度がおかしければ、運用はもっとおかしくなる

郷原 ものすごく重い制度になったので、当然それに対して、国民の側は、参加したくないという声が上がる。そこで最高裁が何を始めたかといったら、裁判員の負担をできるだけ軽くするということです。

 そんなに気にしなくても簡単ですよ(笑)。すぐ済みますよ、せいぜい3日。長くても1週間で済みますよとなるわけです。要するに最初から3日間ツアーの日程でスケジュールを組んで、その日程でできる範囲内で審議を終わらせようということです。そうじゃないとツアー客が集まらないからです(笑)。

武田 最低催行人数があるわけですものね。裁判の場合も。

郷原 それで、3日で収められるようにしようと思うと、事前に争点を整理して、1日目は何、2日目は何、3日目は何と審理の予定を詳細に決めておかないといかんわけです。ところが、やっぱり実際の事件って、そんな単純なものじゃなくて、証人尋問でいろいろ調べていたら、最後のころになって思いも寄らない事実が出てくることもあるんですよ。

 で、どうするか。1つの方法はツアー期間を延長することです。でも、これは期間を限って仕事をやり繰りして来てもらっているので難しい。そこでもう1つ別のツアーを組んでやってもらう。これは法的には可能なんだけど、まずいでしょう。だって、最初からツアーに参加していない人が途中から出てくるわけですよ。

武田 急に引っ張り出されたって、それまで何も見て来ていないんだから、これはできない。もはや同じ裁判ではない。

郷原 そうすると、結局、最初の日程で何とか終わらせようという話になってしまいます。延長なしで終了して判決です。それまでの審理の結果だけで判断してまうということです。法律上は必ずそうなるということではないんですが、制度の組み立てに問題があるので、どうしても、そういう雑な裁判になってしいかねないということです。

武田 重い刑だけが裁判員制度の対象になるというのに、そんな体制では困りますよね。たたでさえツアー期間(笑)が限られていて急がされているわけだし、まさにプレゼン能力に長けた方が勝つようになる、そういう状況になって来かねないですね。

郷原 実際そうなっているんですよ。今、東京地検では、裁判員制度に対応する部が裁判員制度の対象事件を捜査から公判まですべて扱っているそうですが、そこはものすごく人員が増強されていているそうです。普通は1人の検事が月間に何十件も担当するのですが、その部の検事は担当事件の数が極端に少なくて、あとは何をやっているかといったら、プレゼンの練習(笑)。

武田 PowerPointを作ったりして(笑)。

郷原 この間、裁判所や検察庁の幹部の会合でで講演をしたんです。そこは、その地域の高裁長官検事長、地裁所長とか、検事正とか、みんな集まっていました。僕はいつものように「法令遵守が日本を滅ぼす」というタイトル講演をやったんです。その後、懇親会のときに、昔一緒に仕事をしたことのある、私より少し先輩の検事正が、「郷原、お前の講演はうまい、話がうまい、お前の話し方をうちの公判担当の検事に教えてやってくれ」と(笑)

武田 うまいかへたかなんですね。正しいか正しくないかじゃなくて、プレゼン問題にすり替わっちゃっているわけですね。しかしそんな裁判員制度を「司法を国民に取り返すべきだ」という人権派とか戦後派の法曹人が主体的に関わることで進めてしまったわけでしょう。皮肉な構図ですよね。ぼくは清潔な人柄の人権派の法曹人には敬意を持っていますが、あるシステムの中に彼らがはめこまれると、最初に望むものとは全く違うものを出力してしまう怖さを彼ら自身にもっと認識して欲しいとも思っています。そこに無頓着だと「地獄への道には善意が敷き詰められている」ことになり得るわけですよ。

 こうして裁判員制度も含めて至る所で法コンシャスにならざるをえない状況があって、企業社会でもコンプライアンスが流行語になっているわけでしょう。

郷原 「法化社会」への対応にコストを掛ける企業がコンプライアンス企業と評価されるようになった。法令遵守にコストをかける企業はそうじゃない企業と比べてグレードが高い企業のように扱われた。

武田 そうした変化のひとつの典型としてホリエモン事件があると思う。郷原さんの場合、事務所が六本木ヒルズで、まさしく物理的に横でライブドアの事件をご覧になっていらっしゃったわけで、どういうふうに感じられましたか。

郷原 ライブドアという会社がうさんくさいというような印象を僕は前から持っていたんです。会社の事業の実態じゃなくて、証券市場をうまく利用することで膨れ上がっていくというやり方は、まともな会社がやることではないというイメージは持っていました。

 しかしそんな会社を経営しているホリエモンを自民党が選挙に使ってマスコットにするところまでいって、社会的に認知されたような雰囲気になっていました。ところが、そこで突然、法令を振りかざして、ライブドアに攻め込んだのが検察だった。検察というのは、必ず「法令遵守」を錦の御旗にしてで出てくるんです。

武田 まあ、それが仕事だとも言えますが(笑)。
「この企業は法令遵守に反した」ことをメディアに訴える

郷原 その破壊力がすさまじかった。あれだけの大規模な捜査部隊を組織して、マスコミにもあらかじめ知らせたのかどうか分からないけれどもカメラの大放列の中、六本木ヒルズという象徴的な場所に攻め込んでいく。

 ということで、ライブドアという会社は、あのときから法令遵守に反した企業になった。法令遵守に反する前、国民の多くに、自民党にまでもてはやされていた存在だったライブドアと検察の捜査で法令遵守に反するとされた後とでは、メディアの扱いの違いは極端です。

 しかも、その法令違反というのは、ライブドアという会社の評価を根底からひっくりかえすような事実なんだろうと誰しも思ったのですが、実はそうではなかったのです。もうかった金を会社の利益にするか資本準備金にするかという会計処理上の問題が問題にされただけだったのです。それでも、一度、検察の捜査によって、ライブドアに対する世の中の評価が出来上がってしまうと、それ以降、法令違反の中身がどうであれ、メディアの扱いは同じです。

武田 だらしないと思うのは「悪法は法ならず」という立場をマスメディア、ジャーナリズムは取ってよいわけでしょう。法に対するある種のガバナンスというか、司法システムそのものに対する異議申し立てはできるある種の特権的なポジションというものがジャーナリズムにあったと思うんですよ。

 ホリエモン事件に対してそうしろという話ではないけれど、少なくとも一般論として法システムとジャーナリズムシステムは別物だというスタンスを取って良いはずなのですが、ジャーナリズムの方も、賞味期限切れ事件報道がそうだったけど、違法か違法でないかを非常に薄っぺらなかたちで議論して、法令遵守しない奴をひたすらバッシングしてゆくようになってしまっていますよね。

郷原 もう1人、六本木ヒルズで検察にたたきつぶされた村上氏は、見事に情報の出し方を考えて、非常に巧みに記者会見を演出していました。彼はマスコミや世間の反応を読み切っていたつもりだったんですよ。

武田 ホリエモンより一枚上手だった。

郷原 ただ、彼の日本の司法の世界、法令遵守の世界に対する読みは80%でしかなかった。というのは、世の中で嫌われちゃうと、法令の方が増幅して、違法領域が拡大していくんですよ。日本では、法令というのは世の中の評価に合わせて適用範囲が大きくなる。

武田 まさに法が適用される水位を上げ下げするわけです。それを司法自体が行う。法というものの性格を思うと、恣意的に拡張できてしまうことがまずおかしいんだけど。

郷原 村上氏もそこを読み違えたわけです。裁判所はその行為が世の中にどう評価されたかを考慮して、だいたい結論を決めていて、それに法令を合わせるんですね。

武田 村上の官僚時代はそこまではしなかったんでしょうね。だからこそ彼は読み違えたという皮肉な構図がある。アイロニーをこめていうけれど、「健全」な司法観によって彼は足を引っ張られたわけで、そこには相当に屈折した事情がありますね。しかし、村上という存在以上に、こうした法運用の恣意性こそが問題の元凶のような気がしていています。

 乱暴なことばかり書いてきたので、こう言うと驚かれるかも知れないけれど、ぼくは日本は法治主義であるべきだと思っているんですよ、民主主義国家というのは。法治主義というのは前提として法律の運用に関して恣意性を排除しないといけないのだと。ところが検察や裁判官からして法令を恣意的に扱っているのでは法治主義を徹底できない。

 「死刑はベルトコンベヤーのように執行されるべきだ」とかいう法相発言があって問題になっていましたが、本人の意図はともかく、言葉尻だけ捉えればぼくは法の執行というのはそうあるべきだと思いますよ。司法システムは機械のように正確に作動すべきですね。しかし今、裁判や検察の動きを見ていると世間の空気を読み過ぎている。

郷原 それは間違いない。

武田 俗情に寄り添っていますよね。

郷原 その典型が事故や港区のエレベーターの事故でしょう。

 伝統的に刑事司法が積み重ねてきた過失犯の概念があり、そこから出てくるアウトプットがあるわけです。それが世の中の論調に大きく影響され、消極方向の結論が出せないので、いつまでたっても警察の捜査が終わらないということになるのです。

世論に引きずられる刑事司法

武田 あれはどうですか。光市の高裁差し戻し審。

郷原 あれもですね。

武田 量刑相場を狂わせましたよね。

郷原 パロマの湯沸かし機の事故もそうです。あの事故は製品の欠陥によるものではありません。昔は、湯沸かし器の排気用のファンが止まっても燃焼がそのまま続いて一酸化炭素中毒事故が多発していたんですが、パロマがファンが止まると燃焼が止まる連動装置を付けた新製品を発売したところ、爆発的に売れたんです。

 ところが、その連動装置が故障して火がつかないというトラブルが起きたときに、修理業者は、連動装置を取り外せば、古い機種と同じ性能になるわけですから、それで済ませてしまったんですね。それでも、電源がつながっていてファンが回っていれば、不完全燃焼は起きないわけです。ところが、その状態で、湯沸かし器の専用のコンセントが何らかの原因で外されるとファンが止まって不完全燃焼事故が起きます。

 パロマの湯沸かし器事故は、このようないくつもの偶然が重ならない限り起きない事故で、それも責任の大半は修理業者やユーザーの方にあるわけです。ですから、過去に起きた事故でもパロマが法的責任を負わされたことはなかったわけです。

 だから問題が表面化したとき、パロマの社長は、「悪いのは修理業者であって、メーカーの責任ではない。修理業者に対して憤りすら感じる」と自信を持った言い方をした。おそらく、記者会見での対応について、どこかのリスクコミュニケーションの専門家の指導を受けたんでしょうね。すごくはっきりした物の言い方をしました。

武田 確かにPR会社がリスクコミュニケーション講座とか銘打って取材対応の研修とか請け負っているんですよ。ジャーナリズムの側でも取材相手がどんなトレーニングを積んでいるのか知っているべきだと思って、研修を実際に見せて貰ったことがあります。丁重に事情説明はしても、言葉尻を取られないように事実関係を超えて自分の過失を認めてはならない、とか教わっているはずです。

郷原 ところが、それは確かに法令遵守という面では問題はなかったのですが、社会的責任とかという観点も交えて考えると、自分たちがつくった湯沸器で死亡事故が相次いでいたわけですから、それに対して何とかしようというのが企業としての社会的責任でしょう。

 法令遵守という観点だけではなくて、そういう社会的責任についての認識があればそれなりの言い方があったはずなのに、まったく反対の態度をとってしまったわけです。そのために、マスコミから、社会から滅茶苦茶なバッシングを受け、パロマというと人殺しの湯沸かし器のメーカーのように言われて、最後には、その社会の非難が法的責任に跳ね返ってきて元社長が業務上過失致死で起訴されるというところまで行ってしまったのです。

武田 社会的責任を取らせるために、それまでのカバー領域を超えて法の方が拡張適応されてしまった。

*  *  *  *

 ここに郷原さんのフルセット・コンプライアンス論の本質がある。

 郷原さんは、組織が社会の要請に応えるためにはただ法律を遵守するだけでは済まされず、法的責任と同じように社会的責任を果たしてゆくことこそ本当のコンプライアンスだと考えている。社会的責任を果たすためには、組織の方針を明示し、方針を実現すために組織の構造を整備し、組織全体を方針実現に向けてゆく実践が必要。そうした全てを含め、通常の法律遵守のコンプライアンスを超えて総合的な義務の遂行を求めるので、郷原さんはそれをフルセットコンプライアンスと呼んでいる。

 これはただ組織の理想を目指すのではない。法令遵守だけ行えばよいとし、社会的要請に応えない組織に社会は厳しい。パロマへのバッシングがその典型だ。そしてバッシングが今度は法令の拡大適用を司法に求め、結局、社会的要請に応えなかった組織は違法扱いされて制裁を受けることになる。こうしたプロセスが様々な問題を孕んでいることは言うまでもない。

*  *  *  *

郷原 (パロマの事件は)普通であれば起訴されなかった事例です。パロマの責任はあくまで社会的責任です。パロマのところに刑事責任の追及の矛先を向けるというのは、従来の刑事の常識では考えられないことです。

武田 ところが、その考えられないことが起きたわけですよ。これは司法の問題と、社会的責任という倫理的な問題というものの腑分けができてないわけですよね。それはマスメディアの受け手の市民社会もそうだし、マスメディア自身もそうであるということです。そこのだからボタンの掛け違いが巡り巡って、司法の領域に倫理的な問題が流れ込んじゃうというところですね。

郷原 そこなんです。司法の分野には、かたくなに守るべき部分があるんです。でも、それだけですべて問題が解決できるかと言えばそうではなくて、法的責任はなくても、社会的責任という観点からも考えないといけない。それでバランスが取れるわけです。

武田 それはまさに、実はジャーナリズムが問われているところがあって、人が死ぬとそういうことになりがち。こんなに人が死んでいるのに、これを違法だとして罰することができないような法では困るではないかと、そういうところに直結しちゃうわけですね。

 こうして恣意的に法をケースバイケースで延び縮みさせて、つまり拡大したり縮小したりして対応するんじゃなくて、ちゃんと立法措置を取ることによって、法のシステム自体を変えることによって、それを罰せるようにすべきなのに、その手順が飛ばされちゃう。それはジャーナリズムの問題だと言っていいんじゃないでしょうかね。

 法が問えない領域でガバナンスを発揮するのは、それこそジャーナリズムの社会的使命でしょう。ジャーナリズムのコンプライアンスでもある。それが果たせていないから世論というか、世間の心情的反応が法の拡大適応にすぐ直結する構造を許しちゃっている。

郷原 何でもかんでも法的責任追及という刃が向けられるようなる、すると、法的責任を免れるための行動が行われるようになります。逮捕されたり起訴されたりするとたまりませんから、そのためには隠すとか、最初から何もしゃべらないとか、そういう方向になってゆく。それが、事故や事件の真相解明の妨げになる場合もあります。これは本末転倒も甚だしい。

武田 どんどん悪循環になってゆくわけですよ。法令遵守がむしろ、企業の本来ある経営のレベルそのものを下げかねない。

郷原 しかも、本来、刑事事件で対象とすべき分野以外のものを無理矢理対象にしようとするための努力に膨大な時間がかかることになります。そのために、社会生活に密接に関連する事故で、早く、その証拠や資料を再発防止のために活用しないといけないのに、いつまで経っても、捜査の結論が出ない、事故原因について何もわからないということになってしまいます。そのさいたる例が港区のエレベーターの事故事件です。

武田 それも問題ですね。情報開示によって同じような事故の再発が防げるのにそれも出来なくなっている。

郷原 毎日みんなエレベーターに乗っているんだから、あの事故がどういう事故だったかというのは、社会的にはものすごく関心が高い話なんです。ところが、その事故に関する情報は、2年以上もずっと警察に埋もれたまま、まったく出てこない。

 事故原因について公式な公表も情報提供も何も行われていないのに、しかし事故直後にマスコミが大騒ぎしたことだけが記憶に残っていて、シンドラーは殺人エレベーターというようなイメージが擦り込まれているわけです。

(つづく)


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武田 徹(たけだ・とおる)
ジャーナリスト・評論家。『流行人類学クロニクル』(日経BP社)でサントリー学芸賞受賞。その他、『「核」論』『偽満州国論』『隔離という病』(中公文庫)、『NHK問題』『戦争報道』(ちくま新書)ほか著書多数。東京大学先端科学技術研究センター特任教授として2003-7年にジャーナリスト養成コースを運営。
 


 

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