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最近、「国民目線」という言葉がしばしば政治家の口から出される。私はこの言葉が大嫌いである。視線の代わりに目線という言葉を使うことがそもそも下品である。視線が自然なものであるのに対して、目線は、撮影の時に目を向ける方向のことで、そもそも作り物である。この言葉からは、国民と同じ地平からものを見ることはできないが、一応国民と同じようにものを見るふりをするという、権力者の偽善が伝わってくる。
麻生太郎首相もこの言葉を使うが、彼の目線がどこに向いているか、十月二六日の一連の出来事ではっきりした。秋葉原におけるパフォーマンスのバカバカしさは、先週の本欄で書いた通りである。同じ日に、麻生邸見学ツアーに行った反貧困運動の参加者がただ道を歩いているだけで、三名も逮捕されるという事件が起こった。このときの映像はユーチューブなどで見られる。警察による違法、不当な弾圧であることは明らかである。
麻生首相が本当に日本社会を明るくしたいなら、オタク相手の与太話ではなく、生活に苦しんでいる若者と向き合って話し合えばよいではないか。残念ながら首相はそこまで腹が据わっていない。今回の逮捕は、自らの特権性に対する国民の視線を遮断したいという首相の意向が警察に伝わり、その結果起こされた弾圧としか思えない。(東京新聞11月4日)