解説 政府多数派の敗走は米とイスラエルの敗北 五月七日、レバノンの首都ベイルートで、親欧米のシニオラ政権を支持する反シリア派の武装組織と、シーア派抵抗運動ヒズボラならびにその同盟者である親シリア派武装組織との軍事衝突が起こった。 衝突の直接的きっかけはシニオラ政権が五月六日にヒズボラの軍事電話網を「違法」としてそれを解体する措置に出たことである。この軍事電話網は二〇〇六年のイスラエル軍によるレバノン侵攻をはねかえす上で大きな効果を発揮していた。 今回の衝突の直前、五月四日付の「アルシャルク・アルアウサット」紙は、ライス米国務長官が「シリアによるレバノンへの干渉」とヒズボラを支援するイランを非難する発言を掲載していた。したがってシニオラ政権によるヒズボラ電話網解体措置は、米政権の後押しによるものであると推測できる。この軍事衝突は八十八人の死者を出しながら、五月十四日、政府がヒズボラ軍事通信網解体を撤回することで終息した。事実上、ヒズボラなど野党勢力の勝利であり、米国とイスラエルの敗北でもある。この事態の推移から何を読みとるべきか。ジルベール・アシュカルが答えている。(本紙編集部) 以下のインタビューはイタリアの日刊紙「イル・マニフェスト」の五月二十九日付に掲載されたものである。ミシェル・レポリとベンデット・パロンボによるこの翻訳は、五月十三日に行われたインタビューのオリジナルな起こしに基づいたものである。このインタビュー記事を、その後の五月二十二日に書かれた原稿を付してここに掲載する。(「インターナショナル・ビューポイント」編集部) 第一ラウンドの攻防と評価――最近の出来事によって、現在の情勢は「第一ラウンド」におけるヒズボラとその同盟者の勝利を確証しているように思われます。あなたはどう思われますか。 起こった出来事は、今まで隠されたままだった力関係の変化を、非常にはっきりしたものにさせました。ヒズボラとその同盟者は、西ベイルートを支配するために軍事的手段に訴えました。それには首都のスンニ派が圧倒的な地域の支配をもふくんでいます。キリスト教徒が支配権を持っているのは、いまだ事態の影響を受けていない東ベイルートだけです。戦闘はレバノンの他の地域にも拡大しましたが、ベイルートで起こったような劇的な意味を持っていません。 ベイルートで起こったことは何よりも、政府の多数派と対峙する中で、ヒズボラとその同盟者が圧倒的に軍事的に勝っているのを明らかにさせたことでした。 この角度からすれば、それは米国政府にとっていっそうまぎれもない敗北です。政府多数派は、サウジ王政やエジプトといったアラブにおける米国の同盟国に支持された、米国の同盟者だからです。 ブッシュ政権は中東において敗北につぐ敗北を積み重ねてきました。それはすでにはっきり負けだとわかっているサッカー・チームに対して、相手側のチームが試合の終わる最後の時まで新しいゴールを入れ続けるのと似ています。 ヒズボラと、シリアやイランを含むその同盟者が上げた最後のゴールは、二〇〇六年のレバノンに対する戦争以来明らかだったことを確認するものでした。つまり、ブッシュ政権は国内政策と同じぐらい対外政策でも悲惨な結果に陥っているということです。 ――この情勢においてレバノン国軍の果たす役割は何でしょうか。 レバノン軍の態度は、二つの主要な要因によって決定されます。 第一は、この軍隊はどのような場合でも、紛争において「干渉主義」的役割を果たせないということです。レバノン軍は「仲裁」的部隊として行動できるだけです。それは国連のブルーヘルメット(平和維持部隊)と似通っています。それは、国の人口構成を反映する軍隊であり、衝突の際どちらかの側にたって積極的役割を果たすことになれば、軍はただちに分裂してしまうでしょう。そうなれば、レバノンで良く知られた現象を再び作りだしてしまうでしょう。軍の破裂です。 第二の変数は、軍のトップは米国政府ならびにヒズボラを含む他の陣営によって将来の共和国大統領として認められていることであり、彼は大統領に選出される可能性の保証として、国内紛争においては中立を保つというイメージを育むために気をつかっているのです。この二つの要因――軍の構成と司令官の野望――は、軍を仲裁の役割に封じ込める結果をもたらしています。 ――あなたの意見では、同日に噴出したゼネストと衝突にはつながりがあると思いますか。 正直に言ってノーです。ゼネストは単なる口実だと私は思います。さらに、ゼネストが求めていた社会的・経済的要求は、すぐに忘れられてしまいました。 ストライキは政府に反対する動きとして支持されましたが、ヒズボラがヘゲモニーを取っている野党勢力は、その要求に何も言及していません。 すべては、一方では爆発に点火した政府の決定を焦点にしており、他方では野党と議会多数派との間の、将来の制度に関する政治的交渉を焦点にしています。私が「議会」多数派と明記したのは、それが議会多数派ではあるけれども、おそらく国内の多数派ではないからです。 ヒズボラとハマスの相違――西側ではヒズボラの行動を二〇〇七年六月のガザにおけるハマスの行動になぞらえてクーデターと描き出すことが多いのです。西側の評者の多くは、ヒズボラの目標はレバノンにイスラム共和国を樹立することにあると主張しています。それについてのあなたのコメントは? 最後から始めましょう。ノーです。私はヒズボラの究極的目標がレバノンにイスラム共和国を樹立することだとは思いません。それは愚かしいことです。 これがクーデターかどうか、ハマスがガザでやったことと似たところがあるかという質問の方がより真剣な検討に値します。この点で私は、二つの状況の間には共通点も重要な違いもあると言いたいのです。 違いから始めましょう。第一にガザはパレスチナの他の領域から地理的に孤立しているのに対して、ベイルートはレバノンの首都であり、国の他の部分と十分なつながりを持っています。第二にガザの住民は宗派的構成からいって均質的であり、したがってガザでの権力の掌握が可能であり、実際ハマスは権力を取りました。 ヒズボラは、レバノンにおいて権力を取ることはできないことを完全に知っています。ヒズボラはそのことを公式の結成時から明白に述べていました。そのことは、レバノンでイスラム共和国を樹立する条件がないことを意味しました。レバノンは多宗教的・多宗派的国家だからです。ヒズボラの主要な関心は、自分自身の宗派的コミュニティーを支配することです。 ベイルートで最近起こったことは、ヒズボラによる「権力の掌握」ではありません。反対陣営に対する軍事行動であって、ヒズボラならびにその同盟者、そのほとんどがシリアと密接なつながりを持った勢力による「領域の掌握」なのです。もちろんヒズボラはシリアと関係がありますが、良く知られているようにヒズボラはまず何よりもイランと結びついています。 ヒズボラ自身、自らが軍事的に征服した地域への軍の配備を求めており、自分たちには権力を取る意思はないと繰り返し述べています。しかし彼らは、力関係を明らかにし、誰がより強力なのかを誇示したいのだと繰り返し語っています。 当初ヒズボラは、自らの行動を防衛的な動きだと提起しました。ヒズボラは言っています。「政府は、われわれの通信ネットワークを解体し、野党に近い人物である空港警備の任にあたっている軍人を解任する決定を下したことで、われわれへの宣戦布告を行った」と。ヒズボラは、こうした政府の決定が彼らを政治的のみならず軍事的にも攻撃するさらなるシグナルであると解釈しました。ヒズボラはしたがってわれわれが見てきたような反撃を行ったのです。 しかし彼らが行ったことと行動の広がりを見れば、「予防的防衛」ということを意味するのでないかぎり、それが防衛的行動だったと装うことは誰にもできません。ヒズボラは、政府が彼らに対して行った決定の撤回に必要な範囲をはるかに超えて、軍事的攻勢を開始しました。 抵抗的勢力か宗派的民兵か この観点からすれば、ガザにおける出来事との共通点が一つあります。すなわちガザでも、ハマスの行動は、パレスチナ自治政府の中で米国政府に最も近いムハンマド・ダーラン派が準備していた敵対に対する予防的動きでした。ワシントンに支援されたこの分派は、まさにハマスに敵対する動きを準備していたのであり、そこで彼らは予防的動きを選択したのです。 ガザにおいては、ハマスはダーラン勢力の解体を超えて突き進んだのが違っている点です。ハマスは、ガザ回廊のファタハ主導のバレスチナ自治政府を抑え込んだだけです。しかしまたハマスは、パレスチナの領域で選挙で選ばれた政府であると正しくも主張することができました。レバノンでは、ヒズボラは権力を掌握しなかったとはいえ、私が繰り返し述べてきたように、軍事的行動において必要な範囲を超えて突き進んだのです。 軍事的勢力としてヒズボラのイメージは、自らをつねに抵抗運動と規定し、したがってレバノンにかつて存在し、今も依然として存在している民兵とは異なっているというものでした。しかしヒズボラは自らの正統性の基盤としてきたこのイメージは、今回の行動の後で、大きなダメージを受けてしまいました。それは、そのほとんどがシリアの代理人であり、真のギャング集団であり、ヒズボラと違っていかなる政治的正統性も持たないグループと組んでヒズボラが軍事力を行使したからです。アマルをはじめヒズボラの密接な同盟者は、抵抗勢力というよりは宗派的民兵にはるかに近い組織なのです。 ヒズボラは、スンニ派が支配的な地域をふくむ西ベイルートの支配権を獲得するための行動の中で、これらの同盟者に自分たちの軍事勢力を参加させました。この時以後、ヒズボラはレバノンの宗派紛争において武器を使用する勢力として登場しました。これはすでに、宗派的分極化を悪化させており、人びとは一部のメディアが予言していたことが現実になるだろうとの恐怖を抱くに違いありません。すなわち「レバノンのイラク化」です。この表現は、米国の侵略後イラクで支配的となったシーア派が、スンニ派勢力が開始した宗派的戦争に対処しなければならなかった情勢を引き合いに出すものです。つまり自爆攻撃、自動車爆弾などをふくむきわめて血まみれの戦争です。 私は、こうした事態が近い将来レバノンでも起こりうること、ワハビ派やサラフィ派が、イラクで行動している勢力のようにレバノンにおいて反シーア派の騒動に入り込み、最近の衝突でまたも始まった宗教的・宗派的戦争の力学を強めるようになることを恐れています。現在までのところ、まさしくヒズボラのイメージと、一九九〇年の内戦終結以後存在してきたコミュニティー間のある種の「平和協定」のおかげで、このような事態は回避されてきました。実際、ヒズボラがイスラエルに向けられた防衛勢力として現れていることは、ビン・ラディン型のサラフィ派でさえレバノンのシーア派を攻撃することができない情勢をもたらしてきました。そうした攻撃はアラブ世界できわめて不人気だからです。 今回の事件が起こった後、ヒズボラのイメージは根本的にではないにしても変化しています。しかし今回の事件は、ワシントンの同盟者――サウジ王政、エジプト、ヨルダン――が、とりわけ二〇〇六年夏以後、宗派的主張を使ってイランとヒズボラの信用を失墜させるために試みてきたプロパガンダを強めることになりました。このプロパガンダは今まではほとんど影響力がなかったのですが。 そしてこれが最も危険な側面なのです。 (つづく)(「インターナショナルビューポイント」08年5月号)
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