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2007年夏の参議院選挙の直後には、政権を賭けた総選挙決戦に向けて自民党と民主党の論争が激しくなると予想されていた。しかし、昨年秋から始まった臨時国会は、期間だけは長くなったものの、テロ対策新法をめぐる与野党の駆け引きばかりがクローズアップされ、緊張感のある論戦は見られなかった。 政治の展開に対する国民の期待を裏切ったのは、民主党における政権戦略、政権構想の欠如である。いまだにくすぶり続ける大連立の話も、その現われのひとつである。政府与党を解散に追い込む政治戦略はここで論じるテーマではない。政権交代を追求する上で、権力闘争よりも重要な政権構想、どのような社会を作るかというビジョンについて、ここで考えてみたい。 ねじれ国会の本質は、国会に2005年の民意と2007年の民意というまったく異なる二つの民意が並存している点にある。2005年の民意は小さな政府を支持し衆議院の絶対多数という形で続いている。2007年の民意は格差社会批判と生活優先という方向性を持ち、参議院の野党優位という形で存在している。衆参両院だけではなく、それぞれの政党の中にも、メディアや世論にも、二つの民意が混在し、議論の基軸が曖昧になっている。 次の政権の政策課題を考えるとき、昨夏の参院選に現れた民意から出発することが大前提となるべきである。民主党の側では、「生活第一」というスローガンを具体化するような政策大綱を示すことこそ、政権選択を迫る政党の責務である。参院選の民意に示されたように、格差社会に対する憂慮や社会保障の持続可能性に対する危機感が社会全体にある程度共有されている。また、環境破壊の深刻化に対する関心が高まる中で、経済活動の自由放任ではなく、何らかの公共的ルールを求める世論も存在する。 しかし、そうした問題を解決するためにどのような政策を組み合わせるかという点について、政党にもメディアにも明確な構想があるわけではない。たとえば、民主党は自民党よりも徹底的な温暖化対策を打ち上げながら、揮発油税の暫定税率廃止を主張している。価格の低下は必然的にガソリンの需要増加をもたらすが、そのことについて民主党がどう考えているか明確ではない。生活第一を具体化する政策の財源について「無駄を省く」以上の構想が現れない点も、政策能力の欠如と言われても仕方ない。 いまだに改革派を自称する政治家には、格差縮小の美名の下で、自民党が改革路線を捨てるという批判もある。たとえば小池百合子氏は、前原誠司氏との対談の中で、福田自民党が小泉時代に新たに獲得した都市の支持層を捨て、利益配分によって地方の古い支持者に回帰しようとしていると批判する。前原氏も民主党の生活優先路線について同様の不満を持っている(『朝日新聞』2008年1月7日)。 メディアの混乱も深刻である。メディアはワーキングプアや医療崩壊に警鐘を鳴らし、強力な対策を求めている。一方、いざ政府が金をつぎ込もうとすると批判を加える。たとえば、昨年末に予算の財務省原案が内示されたとき、与党政治家の圧力によってバラマキに回帰したとか、改革が後退したといった論評が新聞の社説や解説面に踊った。 そもそも政策とは分配の変更をもたらすものである。労働分野の規制緩和を進めて低賃金労働を可能にすることは、労働者から企業への富の再分配をもたらす。好景気の恩恵に浴した人々は、同時にそうした政策の受益者である。いわば、強者に対する再分配は改革と賞賛されてきた。これに対して、地方への補助金など格差縮小策の受益者は、農民、商店主など弱者である。これら弱者に対する再分配はバラマキと非難される。新自由主義路線がもたらしたひずみを憂慮しながら、小さな政府を是とする新自由主義的発想が抜けきっていないため、経済財政諮問会議の打ち出す歳出抑制策を支持するという矛盾が、メディアには存在する。 政治の世界では、社会の悲惨に対する関心は広がりつつあるが、他方で政策により公金を使うことに対しては批判や躊躇が存在する。様々な政策的支出が既得権や腐敗と結びついたという過去の記憶がそうした批判の理由である。しかし、一つはっきりさせておかなければならないことがある。現在、格差社会や社会保障への対応を求めている論者は、決して旧式の景気対策を求めているわけではない。政府が本来なすべき義務を改革の名の下に放棄していることを批判し、再び義務を果たすことを求めているのである。全国どこでも医療や教育などの公共サービスを提供することは政府の義務である。 しかし、医療制度改革や交付税改革のためにそれらのサービスが崩壊しつつある。また、非正規雇用が急増し低賃金労働が広がりすぎたために、人間の尊厳を守ることが困難になるという新しい状況に政府が手をこまねいていることが問題なのである。これらの問題に対して政府として義務を果たすことは、旧来の顧客のご機嫌を取ることとはまったく別である。 公共支出に対する合意がまだ存在しないということは、現在政府が提案している政策が現在の社会矛盾を解消できるという道筋が見えない点にも理由があるであろう。そうした道筋を見えるようにするためには、個別的問題に対応するミクロの政策だけでなく、これから実現すべき全体的な社会イメージを描き、その中に個別の政策を位置づけることが不可欠である。 そうした全体的イメージを構想するための基礎的な作業として、我々は国民がどのような日本社会を望んでいるかを把握するための世論調査を行った。政策能力といえば官僚と同次元の小ぢんまりしたものを作る能力と誤解されている向きがある。現状から大きくかけ離れたビジョンは絵空事として政党もそうした議論を躊躇している。しかし、今の日本の危機を打開するためには大きな構想が必要である。国民が何を望んでいるかを知ることによって、政党・政治家の側もあるいは学者やメディアも、大胆にビジョンを提起できるはずである。 1 国民の現状認識今回我々が行ったのは、ポスト構造改革段階における国民の政策選好に関する調査である(RDD法、全国約1500サンプル)。小泉構造改革は、日本型経済システムの否定とアメリカ型新自由主義モデルという処方箋という論理からなっていた。そこで、我々は、最初に構造改革の帰結をどのように評価するかという現状認識を明らかにし、その前提の上に、日本型システムを否定すべきかどうか、アメリカ型モデルを採用すべきか他のモデルを取るべきかという2つの問題に関する民意を探ろうと考えた。詳細な分析は次節で展開するが、結論から言えば、以下のような国民意識の傾向を明らかにすることができたと考える。(表はこちら。さらに詳細な調査結果はこちらへ。)a.構造改革に対する否定的評価日本社会の現状を問う質問に対しては、表1に示すように「格差拡大」、「公共サービスの質の低下」という否定的な答えが圧倒的に多かった。さらに、「利益追求のために手段を選ばない」という答えが次いでいる。2000年代後半、史上最長の景気拡大といわれながら、経済活力の回復を選んだものはごくわずかであり、政治、行政の改革の成果を評価する者も少数であった。この傾向は性別、地域、職業による偏差はほとんどない。政党支持との関係では、自民党支持者に経済回復をあげる者が全体よりも10ポイント多かった点が目立った。b.将来の生活に対する大きな不安個人の生活を軸として将来のイメージを問うたところ、表2に示すように、「不安」「やや不安」を合わせれば70%以上が将来に対して暗い展望を示している。これに対して、「安心」「やや安心」と答えたのは28%であった。この傾向についても、性別、職業、地域、世代による偏差はほとんど存在しなかった。政党支持との関連では、自民党支持層に楽観派が4割程度存在し、ひときわ目立った。これに対して民主支持層では悲観派が8割近くおり、楽観派は20%しかいないという点で、自民支持層と対照的である。生活の安定感を持つ層が自民党を支持していることがうかがわれる。c.公共サービスに対する大きな需要将来の生活を脅かす脅威についてたずねたところ、表3に示すように、年金と医療の崩壊が1位、2位を占めた。昨年夏以降、景気の減速や株価の低迷についての報道が多かったにもかかわらず、経済の衰弱を脅威にあげる人は少なく、社会保障の崩壊が生活を脅かす要因として認識されている。逆に言えば、社会保障を中心とする公共サービスへの需要が大きいということになる。また、日本型システムのうち変えるべきものは何かという問いに対しては、表4に示すように、「公的な社会保障を強化する」という答えが36%と1位になった。このことは、従来の日本の社会保障が会社単位の従業員福祉や、家族による現物サービスの提供に依拠してきたことに対して認識が広まり、家族の疲弊や雇用慣行の変化の中で、公的制度として確立された社会保障が必要だという要求が広がっていることを示している。さらに、貧困対策に関する質問に対しては、表5に示すとおり、「職業訓練など政府による自立支援」という答えが5割近くと1位になった。この点でも、現金給付ではなく、公共サービスの提供を人々は求めている。d.北欧型福祉社会モデルへの期待望ましい社会モデルについて問うたところ、表6に示すとおり、「北欧のような福祉を重視した社会」が6割弱で1位となり、「かつての日本のような社会」が3割強で2位となった。「アメリカのような競争社会」を選んだのは6%あまりであった。小泉政権以来の新自由主義改革にもかかわらず、アメリカモデルを支持する人はごくわずかである。政党支持との関連で見れば、アメリカモデルへの支持が極めて低いことは各党共通であり、自民党支持層では伝統回帰派が全体よりも10ポイント多く、民主、公明、共産支持層では福祉社会支持派が多い。こうした傾向は、①で紹介した構造改革への低い評価と合致する。e.消費税率引き上げへの反対福祉社会を支える財源として、最近論議されている消費税引き上げ問題についてたずねたところ、表7に示すとおり、消費税率の引き上げにはきわめて強い反対が存在することが明らかとなった。政党支持との関連では、自民党支持層に税率引き上げ肯定論が他党支持層よりも10ポイントあまり多く存在したことが目立った。2005年9月に内閣府が行った社会保障と国民負担に関する世論調査では、社会保障の現状維持または充実のためならば国民負担が増えてもやむをえないと答えた人が三分の二存在した。今回の結果と組み合わせるならば、増えてもよい負担とは、法人税や裕福な人が払う所得税であり、一般庶民が払う消費税ではないという解釈をするしかないであろう。f.日本的システムに対する公平な評価日本的システムに対する総括的評価に関連して、維持すべきものとしては「雇用の維持」「地域の人間関係」「中小企業、自営業の保護」が上位に来ている。また、改善が必要なものとしては、先に紹介した「公的社会保障の強化」に続いて、「官僚の力を弱める」が多くの支持を集めている。④の社会モデルに関する答えと総合すれば、人々の間には日本的な調和や平等という美風を維持したいという要求はあるものの、旧来のシステムに回帰することは不可能という現実的な判断が存在することがうかがわれる。こうした民意を受け止めた上で、次の選挙で国民の待望する政策構想を打ち出すために、政党は何をなすべきか、次に考えてみたい。 2、見え始めた対立軸@ 新しい福祉志向今回の調査から我々は、長い間複雑なねじれ状況を示してきた二大政党の間に、ようやく新しい政策対立軸がほの見えてきたことを感じている。我が国の将来社会像として、アメリカ型の競争と効率、北欧型の福祉重視、かつての日本型の終身雇用という3つのイメージから選んでもらったところ、6割以上が福祉重視を、そして3割が終身雇用社会を選んだ。 ここでは福祉というキーワードがやや過大な吸引力を見せた面もあろうが、興味深かったのは、それでも自民党支持層では「北欧のような福祉重視」を目指すべきと答えた人が民主党支持層に比べて10ポイントほど少なかったことである。また、日本型システムについて改革するべき点を尋ねたところ、自民党支持層では「競争原理を導入し平等の行き過ぎを見直す」と答えた人が民主党支持層に比べて10ポイント以上多かった。 これに対して民主党支持層では、「北欧のような福祉重視」への支持が有意に多かったことに加えて、日本型システムについて改革するべき点として「公的な社会保障を強化すること」を挙げた人が自民党支持層よりも10ポイント近く多かった。さらに、貧困問題への対処として「最低限所得の保障」を挙げた民主党支持者は、自民党支持層を18ポイント上回った。 こうした経済社会政策をめぐる軸を見る限り、自民党と民主党双方の支持層は、予想以上にはっきりした志向の違いを見せている。それでは、新たな対立軸とはお馴染みの「小さな政府」対「大きな政府」の対抗なのであろうか。つまり、民主党支持層は単純に大きな政府による上からの再分配を求めているのであろうか。実はそうとも言えない。経済社会政策をめぐる軸に加えて、社会の決定責任、行政依存、伝統的家族といった、価値・文化的な軸をめぐる態度を見てみると、もう少し立体的な構図が見えてくる。 日本型システムの改革点として、民主党支持層には「公的な社会保障を強化すること」と並んで、「官僚の力を弱めること」を挙げる者が多く、これも自民党支持層を8ポイントほど上回っている。社会保障の財源については、「行政改革を進めるなど国民の負担を増やす以外の方法」を求める回答が自民党より10ポイント以上多い。 他方で同じく価値・文化的な軸に関連して、自民党支持層では、日本型システムの継承するべき点として「男女の役割が異なった伝統的な家族」を挙げた人が5ポイント以上多かった。自民党支持層では、民主党支持層に比べて、一方では規制緩和や競争原理の強化を求め、他方では伝統的な価値規範の堅持を求めている。これに対して、民主党支持層にはその傾向は弱く、他方で官僚主導の政治に批判的である。あえて言えば、ここには保守と伝統に対する個の自律の志向をうかがうこともできよう。 経済軸での市場志向が価値・文化軸での保守・伝統志向と連結するパターンについては、かつての英米のサッチャー政権やレーガン政権などにも見られたことで、新保守主義とも呼ばれてきた。したがって、今日これを意外な取り合わせと見る人は少ない。市場が従来の地域コミュニティや家族を揺るがすならば、これを補うために伝統的価値の復権を求める流れが強まるのは、いささかマッチポンプ式ではあるがそれなりに筋が通っている。 これに対して、福祉重視と大きな政府への警戒感が同居することは、旧来型の福祉国家を前提にするかぎり、矛盾しているようにも見える。これは、民主党が市場主義的な改革路線から格差社会批判へと軸足を移したことに伴う「混乱」と解釈することもできよう。もっと意地悪く、負担を求めず格差を是正するかのごとき、「バラマキ型」選挙キャンペーンの痕跡を見る者もいるかもしれない。 しかしながら、我々はここには新しい政策対立軸のヒントがあると考える。 格差社会の是正を求めることと、行政の裁量と庇護に依らない個人の自律に支えられた生活を追求することは、十分に両立しうる事柄である。むしろ両立させるべき事柄と言うべきであろう。 重要なことは、生活保障とセーフティネットを求める基盤と条件が変化していることである。2005年の劇場型選挙に勝利した自民が都市型政党に、2007年の一人区の反乱の受け皿になった民主党がむしろ地方型の政党になったという印象があるが、コアの支持層を見る限り、自民党の支持層は農林漁業に多く、管理職および現業労働者にシフトする。これに対して、民主党の支持層は、自由業、事務・技術職にシフトしていて、むしろ都市型の支持基盤といえる。 つまり、生活保障を求めるのは地方の非競争部門であり、都市のサラリーマンは競争・効率重視で「小さな政府」を志向するという構図はもはや当てはまらなくなっているのである。私たちがかねてから指摘してきたとおり、雇用や介護などをめぐる新しい社会的リスクが拡がるなかで、都市部において公的なセーフティネットのニーズが高まっている。他方でこうしたニーズの担い手たちは、見てきたように、裁量型の行政による庇護的な生活保障を拒否するのである。都市住民が求める小さな政府を実現するのが改革ではなく、都市住民が抱えるリスクに対処するためにセーフティネットを整備することがこれからの改革なのである。 A 対立軸を機能させるために「行政不信に満ちた福祉社会志向」という、一見矛盾しているような志向をもった有権者層がたしかに厚みを増しつつある。問題はこうした有権者層をつかむことができるビジョンが提示されていないことである。行き過ぎた「改革」に対する地方からの反乱を受けて、従来型の利益誘導に回帰するならば、こうした層の離反を招きかねない。他方で高負担高福祉の福祉国家を日本でただちに実現しようというのも、強い行政不信を考えると現実的なシナリオには思われないし、このシナリオもまた、一歩間違えると個の自律を脅かしかねない。行政を肥大化させない分権型福祉社会という構想は、これまでもあった。たとえば欧州の社会民主主義勢力がかつて掲げた「第三の道」は、集権的福祉国家でも新保守主義でもない、個の自律を支え人々の社会参加を促す福祉を推進しようという構想であった。NPOなどを活用し、所得保障それ自体よりも人々の社会参加の条件を整えることで格差の拡大を抑制しようという考え方は、今日でも依然として意義がある。だが日本では、この構想はそれなりに注目されたものの、現実政治に十分に浸透したとは言えなかった。それはなぜであろうか。 その理由の一つは、問題提起のタイミングのずれであろう。欧州でイギリス労働党などが「第三の道」の提起をおこなった90年代の半ばは、日本では自民党と民主党(あるいは新進党)が、「改革」のスピードを競い合っていた時期であった。リクルート事件以来の政治スキャンダルの噴出と、バブル崩壊がひきおこした日本型システムへの幻滅のなかで、日本政治は「政治改革」から「構造改革」へと「改革」ブームに湧いた。かつて日本型システムを礼賛していた経済評論家たちが見る間に市場派に転身し、日本型システムをぶっ壊すと大見得を切る政治家こそがもてはやされるなかで、「第三の道」のような構想は、歯切れが悪く中途半端なものとしてはじき飛ばされた。 しかしながら、小泉・安倍政権の「改革」がもたらしたものについて、64%の人々が「貧富の差や都市と地方の格差が広がった」と答え、だからと言ってかつての日本型システムへの回帰もありえない政治の膠着状況のなかでは、「第三の道」論の提起はきわめて今日的な主題となっている それでは遅ればせながら今こそ「第三の道」なのかと言えば、こうした構想が提起された欧州と日本の現実とのずれも念頭に置かれなければならない。高失業率ゆえの社会保障支出増大に苦しんでいた欧州では、「福祉より就労」が「第三の道」論のスローガンになった。つまり、職業訓練、カウンセリング、保育サービスなどで、人々を労働市場に繋げることで、行政支出の肥大化を抑え個の自律を高めようとした。 これに対して、日本では社会保障支出それ自体が小さく、代わって公共事業や保護・規制で非競争部門に雇用を提供すること格差を抑制してきた。つまり、日本ではもとから「福祉より就労」だったのである。そして、一貫した原理に基づく「所得の再分配」ではなく、行政裁量と利益政治に支えられた不透明かつ恣意的な「仕事の再分配」のシステムが、人々の行政不信を極限まで高めたのは当然とも言えた。ところが、「仕事の再分配」のシステムが縮小し、高齢化も進展するなかで、人々は新しいセーフティネットを求めざるをえなくなっている。 3 政党政治の展望自民党と民主党で、支持者の政策的志向性がある程度分岐していることが明らかになったことは、政策本位の政党政治の前提条件が整ったことを意味している。小泉構造改革の時代をくぐり、新自由主義的政策の受益者もある程度は形成された。この調査から明らかなように、それらの人々は自民党支持者に新たに組み込まれた。小泉の都市型政党戦略は一定の成功を収めたということができる。他方、構造改革の被害者は将来の生活に大きな不安を抱きながら民主党に期待を寄せている。自民、民主の両党が政策本位の二大政党制を作り出すというなら、これらの支持者の意思に忠実に政策を打ち出すことが両党に課せられた使命ということになる。政党がそれぞれ政策的基軸を明確にすることによって、国民は次の選挙において有意義な選択を行うことができる。我々は小泉時代の新自由主義的政策に反対であるが、この時代の構造改革によって、二大勢力の対決という政策論議の空間ができたことで、日本の政党政治が進化したと考えている。そうした基本的な方向付けの中で、政策論議を進めていく際に注意すべき点を上げておきたい。第一は、分断政治から決別することである。小泉時代には、「官から民へ」、「守旧抵抗勢力の打破」といった、敵を叩くためのきわめて単純なスローガンが多用された。こうした単純な言葉は、郵政民営化など特定のプロジェクトを実現するためには効果を上げたが、政策論議を深めることには逆行した。政策はユートピアを実現するものではないし、敵を殲滅するものでもない。社会に現存する問題を徐々に解決するものであり、あらゆる政策には効果と同時に越すとも存在する。いずれの勢力も自らの政策について現実的な議論を行うことが求められている。 第二に、行政不信にまじめに取り組むことである。小泉時代には、自民党はむしろ行政不信を一層煽ることによって、自らへの支持を集めた。この手法も、政治にとっては自己破壊的である。年金記録の杜撰な管理を見れば、人は官僚制に対して不信感を持つのが当然である。年金における申請主義のような官尊民卑の仕組みを打破することは、党派を問わず重要な課題となる。しかし、政策を立案、実行する装置としての官僚制を破壊することは、どの党が政権をとっても、自らの政策を実現する妨げとなる。単に官僚攻撃をするのではなく、官僚の倫理とやる気を引き出すことは政党の課題である。政治の使命は、官僚に対して明確な理念や価値観に基づいて具体的な目標を設定することである。繰り返しになるが、福祉サービスの拡大を謳いながら財源は無駄を省くことで捻出するという程度の「政策論」では、官僚のやる気を引き出すことはできない。 第三に、政策の効果とコストについて、具体的に語ることである。既に述べたように小泉時代には、強者に対する再分配が改革という美名の下で進められた。これ以上、改革という意味不明の言葉を使うべきではない。社会保障改革ではなく、はっきりと医療費削減、介護費削減と言うべきであり、地方交付税改革ではなく交付税削減と言うべきである。そして、そのような政策がもたらす結果を明らかにした上で、その是非について国民の判断を仰ぐべきである。たとえば最近、救急患者のたらいまわしが批判を集めているが、これは断じて医師の心がけの問題ではない。医療費抑制と医師不足という政策の帰結なのである。改革という呪文から国民を解き放ち、どのような日本社会を作りたいのか、具体的な議論をすべき時である。 また、子ども手当てや農家への戸別補償を主張するのであれば、どの程度の予算を投入するのか、財源として無駄を省くと言うならどのような無駄を省くのかを明らかにすべきである。何が無駄かは実はそう簡単に定義できる話ではない。公共事業や地方交付税など大口の歳出については既にかなり削減が進んでおり、これ以上削減を続けたら地方におけるナショナルミニマムの確保や雇用の維持が不可能になる。民主党が福祉国家路線を打ち出すこと事態は歓迎したいが、それならばなおのことレベルの高い政策論を展開しなければ、国民も官僚も説得できないのである。 九〇年代から始まった政治改革や政党再編の試行錯誤は、最終段階に入った。右側に新自由主義路線を取る保守政党、左側に福祉国家路線をとる社会民主主義・リベラル政党が対置するという世界標準の二大政党制の姿がようやく現れつつある。次の総選挙でそのような競争的政党システムが定着するかどうかが問われることとなる。同時に、自民、民主両党の中に、このような政党の性格付けに居心地の悪さを感じる政治家が大勢いることも確かである。それぞれの党が基軸を明確にすることによって、反発する政治家が自らにとって自然な党に移るという再編も、あるべきかもしれない。そこまで本格的な政策論議が求められているのである。(『世界』3月号、宮本太郎 (北海道大学)と共同名義) |