★阿修羅♪ > 社会問題6 > 328.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
http://nanaya-dokugo.jugem.jp/?eid=104
切り捨てられる現場の派遣労働者をみて、戦中、天皇と大本営のために死んでいった前線の兵士の姿を想像した。
『英霊となって靖国に奉られる』は、「(人間らしく扱われなかった戦うためだけの駒を)せめて死んだ後だけでも体裁よく称えてやろう」という、実戦での死を免れる立場の者が考えた「おためごかし」だと思っている。
市場経済も労働者を兵士のようにこき使い、切り捨て、過労死という戦死さえ容認する。そこには「人間らしく」という思いやりなどない。
働く意欲も潜在的な能力もあるはずの人々が、寒空に放り出される姿がテレビ画面で何度も映し出される。契約期間を満了もさせずに、年の暮れに、なんと残酷で非人間的仕打ちではないか。
オランダの非正規雇用の人々もかつて同じような状況にさらされた、とNHKの番組で紹介していた。雇用の調整弁としての扱いは社会全体を不安定にし、経済発展に水をさした。結果として、オランダは正規・非正規に関わらず、同一労働同一賃金を基本とし、非正規雇用の失業補償と職業訓練・技術習得の手助けを保証する制度に改めた。失業給付は3年間認められ、その期間に技能修得できるような環境もあるという。画面の中の、職場へ向かう非正規雇用の労働者の顔は生き生きとしていた。
日本も、失業補償を確保した上で非正規雇用の採用枠を認めるべきであった。経済人たちが何かにつけて口にする「国際競争に勝つために」という大義名分は、オランダの経済界の人間も同じように言っていたという。しかし、社会あっての経済であって、人を大事にしない制度は社会全体をだめにしていく。失業補償と人材教育は経済競争が激しくなっても切り捨ててはいけないという結論に至った。アメリカ式ビジネス・スタイルは市場競争を盾に経営者側だけに都合のいい、アンフェアなルールを敷いていると思う。ルールはフェアであってこそ、うまくいくのではないか。
アンフェアがまかり通るのは、人間の多くが自分さえよければいいと思っているからだと思う。わが県もわが市も財政状況は悪化しているのに、昨年に比べて今冬のボーナスは、人事院勧告に従って増加した。県民・市民レベルの数倍である。彼らのボーナスが税金から出ていること、この不景気を非常事態と考えれば、条例を改正してでも対処しようと思うはず。政治・行政の危機感が市民の感覚と離れている限り、どんなに声を上げて改善を求めてもよくはならないのだろうが、如何せん、自治体首長と議員を選んだのはこの地に住む人間であるから、一蓮托生と言うべきなのかもしれない。
激動の戦中に、虫けらのように死んでいった人々と最後まで命と財産を保障されていた特権階級の人間がいたように、社会の構図は、現代も姿を変えて残されていると思うのである。