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http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyotama/news/20081129-OYT8T00892.htm から転載。
「全生園」平沢さん、実名帰郷へ
来月4日茨城・古河市「生きる尊さ伝えたい」
国立ハンセン病療養所「多磨全生園」(東村山市)に入所している全生園元自治会長、平沢保治さん(81)が12月4日、約70年ぶりに母校の茨城県古河市立古河第二小学校を訪問し、講演する。実名を明かしての帰郷は、全生園入所後初めてだという。平沢さんは、「子どもたちに生きる尊さを伝えたい」と話している。
平沢さんは、1927年に古河市で生まれ、当時の古河男子尋常高等小学校(現・古河第二小)を卒業。13歳でハンセン病を発症し、まもなく全生園に入所した。50年には同じ入所者の妻と結婚し、断種手術を強制された。ハンセン病に対する偏見や差別を解消するため、全国各地で講演を行っており、2005年には、ハンセン病の差別をなくすための活動が認められて吉川英治文化賞を受賞した。
茨城県には何度も講演に訪れた。しかし、故郷古河市を訪れる際は、表だった行動は控えた。自らの存在により、親類に差別や偏見の目が向けられるからだ。古河市内の保健所で講演した時もペンネームを使った。
堂々と実名を明かして故郷に帰ろうと考えたのは2年前。体調を崩したことがきっかけで、「あと何年生きられるかわからない」との気持ちが強くなった。しかし昨年、平沢さんの支援者が寺に先祖の墓参りの意志を伝えたところ、住職から暗に断られ、非公式な墓参りしかできなかったという。
「なぜ、隠れて墓参りをしなきゃいけないのか」と帰郷への思いは強くなる一方だった。故郷に残る親類のことを考えると、ためらいはあった。堂々と故郷に帰れない元患者は今でも多い。しかし、「故郷にハンセン病に対する正しい認識を伝えられるのは自分しかいない」との思いは消えなかった。実名での講演は、支援者が市に働きかけて実現した。
講演では、同小5、6年生を対象に、差別や偏見に耐えてきた自らの体験を通じて、人生の尊さや命の大切さを訴える。断種手術で子どもを持つことができなかったからこそ、ふるさとの子どもたちに自らの生きた証しを伝えたいという平沢さん。「ハンセン病は患ったが、誰にも負けない生き方をしてきたと母校の後輩たちに胸を張って語りたい」と話している。
◇
これまで同小の同級生2人が「講演を聞きに行きたい」と、平沢さんに連絡してきたという。「70年の歳月が過ぎ、浦島太郎のような気分。一人でも多くの同級生に会えれば」と、旧友たちとの再会にも思いをはせている。
(2008年11月30日 読売新聞)