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90年代「アダルトチルドレン」 で隠されたものたち の巻(雨宮処凛)
http://www.asyura2.com/08/social6/msg/125.html
投稿者 ダイナモ 日時 2008 年 8 月 22 日 22:32:07: mY9T/8MdR98ug
 

http://www.magazine9.jp/karin/080820/

 韓国から無事生還しました。

 いやー、とにかく凄かった! 着いた初日からブッシュ訪韓に抗議するデモ! 道を埋め尽くすデモ隊と機動隊! そしていきなり水をぶっ放すどデカい放水車! 初めての放水車体験!

 と詳しく書きたいところだが、今回の韓国取材については「週刊金曜日」で随時書いていくのでそちらを楽しみにしていてほしい。本当にたくさんの活動家たちに会い、語り、交流した。韓国で出会った人々には感謝してもしきれないほどだ。

 さて、いきなり話題は変わるが、最近、考えていることがある。それは、「なぜ90年代に新しい労働運動はまったく起こらなかったのか」ということだ。劇的に状況が崩れていったのに、若者からまったく「抵抗」がなかった時代。この問題については連載中の講談社「現代新書カフェ」というメルマガに長い文章を書いたのでそちらも参照して欲しいが、その原稿を書いたことで大分整理されたので、その整理されたことなんかを書きたいと思う。なぜなら、自分自身のテーマとも非常に大きくかかわることだからだ。

 最近、プレカリアート運動にメンヘラーと呼ばれる人々が参加していることはこの連載にも書いてきた。が、もちろんそれはまだ少数の動きだ。ではメンヘラーの人々はこれまでどうしてきたのかというと、多くの人が自殺という形で自らの命を絶ってきた。

 こんな原稿を書いている私自身も、立派なメンヘラーだった。中学時代のいじめをきっかけにしてリストカットが始まり、20歳頃からはオーバードーズも加わった。20歳を超えると完全に生きづらさをこじらせてしまい、何が原因でこんなにも生きづらいのかもさっぱりわからず、常に自分は生きていちゃいけないんだと思っていた。特にバイトをクビになるたびに「お前なんかいらない」と言われてる気がして死にたくなった。

 そんな私がもっとも生きづらかったのは90年代中盤から後半にかけての20代前半の頃だ。そしてこの頃、メンヘラーの人々に画期的なものが登場する。インターネットだ。自殺系、自傷系サイトの掲示板ではそれまで誰にも言えなかったリストカット話が語られるようになり、オフ会では多くの若者たちが手首の傷を見せ合い、精神科で処方された薬を交換する姿が見られた。

 そんな90年代後半は、若者が「生きづらい」条件が思いきり揃っていた。時代は就職氷河期で就職試験に100社落ちる若者が当り前にいた。学校を出たらどっかの会社に就職、というそれまでの「普通に生きるライン」そのものも絶たれ、フリーターとして漂流すれば「だらしない」とバッシングされた。多くの企業は不況の中で「スキルの高い即戦力」だけを欲しがり、「使える人間じゃなきゃ価値がない」「少しでもダメな人間は徹底的に排除して当り前」「市場競争に勝ち残れない人間はいらない」という空気が露骨にこの社会を覆い始めた。大の大人たちがあっさりとリストラされ、「社会に出た」友人たちは満身創痍で精神まで破壊された挙げ句に使い捨てられていた。90年代後半、この国の社会が急速に「余裕」と「優しさ」を失い、企業社会が自らの生き残りを賭けて剥き出しの市場原理に染まっていく中で、「社会に出る」ことそのものは、一部の若者たちにとって、とてつもなくハードルが高くなってしまった。

 そして、本人たちも「理由」を言語化できないまま、彼らの多くは静かに「労働市場」からの撤退を始め、かわりに自らを「メンヘラー」と定義した。或いは、病名によって。そうしていれば「働かない」「働けない」「とても社会に出ていけない」自分が少しは免責されるからだ。

 しかし、当時、生きづらさを語る時に、当事者の口からそんな「背景」が語られることはまったくなかった。目の前の現実はすごいスピードで変化しているのに、「労働」や「雇用の破壊」なんて言葉は、誰も思いもつかなかった。代わりに語られたのは、「親」のことだ。はからずも「アダルトチルドレン」という言葉が流行し、生きづらい若者たちは、自分のどうにもならない苦しみの原因を「機能不全家族」「自分を愛してくれない親」に求めた。それまで「生きづらい」自分を責めていた若者たちは、親という「敵」を発見したのだ。そして90年代にこの社会で起こっていた様々な問題一一若者を見捨てるような雇用政策や長い不況など一一は、家庭内に凝縮される形で見えなくさせられていった。彼らの多くは親を責め、家庭内暴力を繰り返しながらも働けないので実家で暮らし、そのことで更に親から責められる日々を送っていた。家は自らの生存、存在そのものを否定される場所でしかなく、「機能不全家族」という言葉は真実味を増していった。「働かないと生きることを認めてくれない」親の無理解は、「小さな頃から親の言うことを聞くいい子じゃないと愛してくれなかった」という記憶を呼び覚ました。彼らの多くは、親の言うことを聞いて頑張ってきた人々だった。本当に、頑張りすぎるほどに。しかし、バブル崩壊後の不況は、彼らの努力をすべて無に返した。親の言う通りに塾に通い、見たいテレビも見ず、遊びたくても我慢して必死で頑張って勉強してきたのに、そんな彼らにこの社会は「不況になったので今までのことは全部嘘になりました」とばかりにあっさりとハシゴを外した。果てしない徒労感と、不満、行き場のない憤り。仕方なくバイト生活をすれば、親も親戚も世間も彼らを「やる気がない」などと責める。そうしてたまりにたまった怒りは、一番身近で「戦後日本の一億総中流の神話」を吹き込んできた親に向けられる。「頑張れば報われる」と、脅迫するかのように未来を人質にして努力を強いてきた親。その時に「アダルトチルドレン」という言葉ほど有効なものはなかっただろう。

 もちろん、「アダルトチルドレン」という言葉で救われた人も多くいるのでこの言葉自体を否定するつもりはない。ただ、あまりにも絶妙なタイミングで出てきた言葉だったため、「目の前の現実の問題」が見えなくなってしまったという作用も否めない。

 あの頃、若者たちの目は不思議なほど社会に向けられることはなかった。あれほどすごいスピードで「生きること」そのものが破壊されていたのに、みんな自分の「心」を守ることだけで精一杯だったのだ。そうして時には深刻な親子間の対立に陥り、その中で自ら命を絶っていった。ある時、子どもに死なれた親の姿を見て、思った。これは決して「親」だけの問題ではないのではないのか?なにかとてつもなく大きな矛盾が、家族の中に凝縮されているんじゃないのか?そしてそれは、とても親一人で背負えるレベルのものではないのではないか?

 90年代から00年代初頭にかけて、そんな形で私の周りでも少なくない若者が自ら命を絶っていった。多大な犠牲者を産み出し、あれから大分経った今、あの当時若者だった世代には「ロスジェネ」という名がつけられ、そうしてやっとその「背景」に目が向けられつつある。そのことに、なんだかどうしようもなく割り切れない思いがあるのだ。
 


 

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