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08年3月17日 中日新聞
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http://www.chunichi.co.jp/article/feature/yui_no_kokoro/list/200803/CK2008031702096101.html
2003年の夏に「もやい」で訪問相談のボランティアを始めた看護師の宇鉄昭子(38)は、路上からアパートに移りながら、孤独に悩む人たちの多さに驚いた。
話す機会が少ないため、しばらくは口がうまく回らない。親身に話を聞いてくれることを喜び、何時間もなかなか帰そうとしない人もいた。「しゃべる人がいねえから、野宿の方がましだったな」。そんな言葉に、胸が痛んだ。
稲葉剛(38)=もやい理事長=はある男性のアパートを訪ねたとき、畳が血だらけなことに驚いた。足をけがして血がにじみ、判を押したように跡がついていた。だが、男性は糖尿病による視力低下と痛みのまひのため、けがに気付いていなかった。
アパートに入ったのに、けがを教えてくれる人もいない。「自立支援が孤立支援になってしまう」。自分たちの取り組みは正しかったのかと考えると、つらかった。
「一軒家が借りられそうだ」。04年の春、そんな話が持ち込まれたとき、真っ先に飛び付いたのは宇鉄だった。「お菓子を出してコーヒーが飲めたら、アパートで孤独な人も来られるじゃない」
喫茶店を経営した経験がある元路上生活者らに、電話や手紙で呼び掛けた。「一緒にやろうよ」。おじさんばかり7、8人が集まった。
「お昼を挟むなら、食事も出そうよ」「経営もちゃんと考えなくちゃ」。メニューを考え、スパゲティやトーストの試食をする。「自分が路上生活のころなら、いくらだったら食べに来るかな」。ランチは350円、飲み物は100円に決めた。コーヒーメーカーを持ち寄ったり、看板を作って持参する人もいた。
大工経験のある元路上生活者たちが、コンクリート敷きだった1階の床を、フローリングに改装した。設計は学生ボランティアが行い、壁も木に張り替えた。「みんなの居場所をつくるんだ」。そんな意欲が満ちていた。
04年6月、こもれび荘の1階に、週1度だけ開く「サロン・ド・カフェ こもれび」がオープンした。
仕事や家族の絆(きずな)を失った人たちが話に花を咲かせ、人間関係を築いていく場所になった。
カフェで「ママ」と呼ばれる宇鉄は言う。
「ここに来ると、関係をつくりたがっている自分を発見するんです」
素(す)の自分になれる心地よい居場所。それが必要なのが、路上生活の人たちだけではなかったことに、宇鉄も気付いている。
人間は1人では生きられない。そんな当たり前のことが、現代では忘れられつつある。都会の片隅に生まれた「カフェ」から、結いの価値を見つめ直したい。