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中日新聞 08年1月20日
全文
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/yui_no_kokoro/list/200801/CK2008012002080960.html
「あったかいなぁ」
栄村(長野県)の特別養護老人ホームで働く介護ヘルパー有田よし江(60)は、90歳すぎのおばあちゃんに救われた。
今、思う。
「あの笑みが、終わらせてくれた…」
それまで、有田はずっと“旅”をしていた。
昨春、大阪市近郊のベッドタウンから栄村へと移り住んだ。21歳で結婚。2男1女に恵まれ、子育てに追われる「どこにでもいる主婦」だった。そして、それが「嫌だった」。
団塊の世代。「競い合うのが当たり前」の時代を生きてきた。子どもにピアノ、琴、バイオリンを習わせた。変な見えや教育の無理強い、自己満足。でも「その他大勢に埋もれたくなかった」。
「がん」。49歳の時、宣告された。夫の慰めの言葉も耳に入らなかった。手術は成功したが「死」を身近に感じ、抑えきれなかった。
「自分らしく自由に生きたい。だから家を出ます」
夫の「2度と帰ってくるな」という言葉を背に家を出た。アパートを借り、パートで働きながら始めた独り暮らし。山登り、スキューバダイビング、マラソン…やりたいことは何でもやった。つかの間の満足感。でも、長続きはしなかった。
働けなくなったら…不安に襲われ、夜、電灯とテレビをつけてないと眠れない。次第に「独り」が恐ろしくなった。
有田にとって「老い」とは「弱い」もの。新天地に栄村を選んだ理由の一つは、介護保険料が安いことだった。
「こんな雪国に来てばっかじゃねえの」なんて言った大家さんが、親身に世話を焼いてくれる。近所の人が「これ畑でとれたから持ってけ」と野菜を置いていく。純粋で損得勘定のない応援だった。
そんな時。
「何やってんの」
村にきて半年後の昨年秋、施設利用者の給食の配膳(はいぜん)を間違え、同僚から飛んできたひと言。「やっぱり老化してる」。再び自信がしぼみ、胃が痛くなり、退職に追い込まれた。
そして、あの日。
再出発を期し介護の職について間もなく、お年寄りの足をベッドの角にぶつけてしまった。「しかられる」。委縮した。とっさに顔を見た。だが、90歳のおばあちゃんは、痛みをこらえながらただ顔の真ん中に深いしわを寄せて笑っているだけ。ぶつけたあんたもつらいよね−人を許す、そんなあったかい顔だった。
「あのおばあちゃん、ずっと他人に優しく生きてきたんでしょうね」
心の痛みがすーっと消え、やっと気づいた。人を思いやる大切さ、支え合う家族の尊さ。
「この村で、人のために生きていけたら」
せめて、これから先の人生。村のおばあちゃんらしく、もんぺ姿で麦わら帽子をかぶり、やわらかな「笑み」を浮かべていたい。
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