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http://www.iwanami.co.jp/sekai/2008/08/pscript.html
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大きな災害は、その地域の抱える矛盾や弱点を白日の下に曝す。阪神大震災(1995)では、市内の建て込んだ木造家屋に住む高齢者が多く犠牲になった。ハリケーン・カトリーナ(2006)では、車で逃げ出すことも出来ない米国の貧困層の存在を、あからさまに示した。 それと同様に、ある種の犯罪は、その社会の矛盾・弱点を、人々の前に剥き出しにしてみせるのではないだろうか。 99年9月、東京・池袋で23歳の新聞配達店店員が庖丁と金槌で通行人8人を殺傷。01年6月、大阪・池田小事件 (小学生8名殺害)。08年1月、東京・戸越銀座で高校生が庖丁で5人を刺す。3月、茨城県で24歳の青年が通行人8人殺傷。同月、岡山駅で18歳の無職少年がホームから男性を突き落とす。そして6月、25歳の派遣社員による秋葉原無差別殺傷事件である。 多くの人がここに共通の流れを見ている。襲ったのは、真面目でおとなしく、一見弱々しい若者であり、襲われたのは見も知らぬ弱いもの(子ども、女性、老人)であり、無防備な通行人である (本号四氏座談会、北原論文)。 「格差社会」が元凶と指摘する声があるが、それだけでは正しくない。格差は昔から存在していたし、貧困ももっと甚だしかった。現代の孤独、絶望、閉塞感には、別の要因が加わっていると考えなければならない。 湯浅誠氏は、現在の日本を、一歩躓くとたちまち底辺にまで滑り落ちてしまう「すべり台社会」と名づける(『反貧困』岩波新書)そして底辺まで落ちると、這い上がることは極めて難しい。湯浅氏は、現代の貧困とは、お金がないだけでなく、家族関係や友人関係など、「溜め」がない状態のことだという。 かつてなら、失敗や挫折をしても、愚痴を聞いてくれたり多少の面倒を見てくれる家族や友人や隣近所があった。そうしたバッファーは、いま消えてしまった。 そんな絶望的な孤独の中で、選ばざるを得なかった「派遣」労働は、細切れで、いつ切られるか分からない不安定な仕事である。そればかりか、「必要なのは俺でなく、誰でもいい労働力」と秋葉原事件の犯人が書き付けたように、熟練もなく評価もされず誇りももてない。 自己評価の低さが、こうした犯罪加害者の共通点である。仕事を切られたり見つからなかったりすると、自分は世の中に必要とされていないのか、と思い悩む。新自由主義の内面化ともいうべき「自己責任論」が、さらに自分を追いつめる。 自分に尊厳を感じられない人間が、他人の尊厳を重んじられるはずがない。刃が自分に向けば自殺となり、他人に向けば殺人となる。あまりに軽い自分の命であり、あまりに軽い他人の命である。 ネットに発信し続けた秋葉原事件の犯人は、まるで「自分を止めてくれ」と周囲に発信し続ける自殺志願者のようではないか。10年間、年3万人を超えて続いている自殺とこうした犯罪は連関していると考えるべきだろう。 問題を個人の生育暦や家族関係や心の病だけに帰させてはならない。たしかにそのような要因もあろう。しかし、社会の矛盾・弱点は、もっとも"弱い部分"から噴出するのである。 答えは厳罰化にはない。政治は、直ちに派遣労働を規制し、「すべり台社会」の是正に取り組むべきだ。そして市民も、互いに「溜め」になる連帯社会をどう作るか、真剣に考えなければならない。 ----------------------------- |