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2008年12月16日
湯浅誠氏の言葉に感動する
最近の私にしてはめずらしいことだが、かつて講演に呼ばれた人たちの忘年会に出席するために飛騨に出かけた。
東京駅での乗り継ぎのつかのまに、書店に走って湯浅誠著「反貧困」(岩波新書)を買い求めた。
12月14日の朝日新聞に湯浅誠氏が第八回大佛次郎賞を受賞したという記事が、本人のインタビュー記事とともに載っていた。選考委員のすべてがこの書を絶賛していた。それを思い出したのだ。
私は湯浅氏が貧困者支援の活動家であることも、その活動の証として上梓されたこの「反貧困」という本の事も、もちろん知っていた。
しかし、貧困問題はいまや多くの人が取り上げているこの国の一大経済、社会問題である。
その問題こまで自分が関与するまでもないだろうと傍観者を決め込んで、あえてこの本を今日まで読まずにきた。
しかし、この朝日の記事を見て、この機会に読んでみようと思ったのだ。
移動中の列車の中で読み、忘年会の酔いがまだ冷めない頭で就寝前に読み、そして残りのページをチェックアウト前の時間を使って読み終えた。
その時の感動を振り返りながらこのブログを書いている。
この本の何が私をとらえたか。
それは、東大政治学博士の湯浅氏が、みずから日雇い労働者の体験をしてまでもこの国の貧困問題に取り組み、あくまでも貧困者の側に立ち、そして貧困問題の解決策を提起をしている、この言動一致の見事さである。
今日の日本の貧困問題は、決して人材派遣会社ザ・アールの奥谷禮子社長のいうような「・・・過労死をするまで働けなんて経営者は誰もいいませんからね・・・(自己主張もできないような)弱い人間が増えてきている・・・」と言う言葉に象徴される「自己責任の問題」ではなく、貧困と向き合おうとしない政治家・官僚・財界の政策が作り出したものであると断じる明快さである。
それは、小泉・竹中が進めた「構造改革」という名の新自由主義の否定であり、いまでもメディアに顔を出す小泉・竹中の厚顔さと、それを許す政治家、メディア、国民に対する痛烈な弾劾である。
しかし、私が湯浅誠の書の中でもっとも強烈な印象を受けたのは、「強い社会をめざして」という章の中に述べられている次の彼の言葉である。
・・・貧困が大量に生み出される社会は弱い。どれだけ大規模な軍事力をもっていようとも、どれだけ高いGDPを誇っていようとも、決定的に弱い。そのような社会では、人間が人間らしく再生産されていかないからである・・・人間を再生産できない社会に「持続可能性」はない。私たちは誰に対しても人間らしい労働と生活を保障できる、「強い社会」を目指すべきである・・・」
見事な外交論であり、安全保障論である。
平和憲法9条と憲法25条(生存権の保障)の一体論である。
「貧困と戦争に強い社会を作ろう。今、私たちはその瀬戸際にいる」
という言葉で締めくくられている「反貧困」を読み終えて顔を上げた私の目前には、ガラス窓の向こうに、朝日に照らされ、白く冠雪した飛騨連邦が威風堂々と広がっていた。
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