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2008年12月11日 (木)
りそなの会計士はなぜ死亡したか(5)
「Electronic Journal」様が引き続きりそな問題について、詳細な記事を掲載してくださっている。私は十分に追跡できていなかったが、「Electronic Journal」主宰者の平野浩氏は2003年の時点から、りそな問題を追跡されてきたようである。貴重な記述を多数発表されてきておられるので、ぜひご高覧賜りたい。
2002年9月30日の内閣改造で竹中平蔵氏が金融相を兼務することになった背景に、米国のブッシュ政権の強い意向が働いていたことは確かな事実のようだ。筆者は拙著『知られざる真実−勾留地にて−』に記述したが、詳細な経緯を佐々木実氏が『月刊現代』で記述された。
米国は日本の資産価格暴落を渇望(かつぼう)した可能性が高い。金融恐慌の可能性が高まり、日本の投資家が株式や不動産を投売りすれば、日本の資産価格は理論値をはるかに超えて下落する。暴落した価格で日本の投資家が投げ売りした資産を買い占めれば、資産価格が反発した時点で莫大な不労所得を獲得できる。
資産価格が暴落すれば、日本企業は相次いで破綻する。金融機関が不良債権に対する損失処理を終えてしまえば、金融機関は不良債権を破格の安値で売却する可能性が高い。破格の安値で売却した不良債権を買い取り、他方で、資産価格の反転上昇が生じれば、やはり莫大な不労所得を手にすることができる。不良債権ビジネスも米国資本の重要な標的だった。
小泉竹中経済政策は2001年から2005年にかけて、@まず日本経済の徹底的な悪化を誘導し、A金融恐慌への突入を辞さない政策スタンスを示すとともに、B金融行政に人為的な操作を行い、C株価、不動産価格の暴落を誘導し、D最終局面で公的資金による大銀行救済を実行して、資産価格の反転上昇を誘導した。
2002年から2003年にかけて、暴落した日本の資産を破格の安値で買い占めた中心は外国資本だった。これらのシナリオが意図されたものであったなら、まさしく犯罪的行為である。
2001年から2003年にかけて日本経済は戦後最悪の状況に誘導された。多くの罪無き国民が失業、倒産、経済苦自死に追い込まれた。2000年に日本経済は浮上したのだ。浮上した日本経済を安定的に保つことは困難ではなかった。
しかし、小泉竹中経済政策は日本経済を崩壊させる方向に意図的に経済政策の舵を切った。私は小泉政権の発足時点から、小泉政権が提示した経済政策を実行すれば、日本経済は間違いなく最悪の状況に向かうことを警告し続けた。
小泉政権が誕生した局面では、熱病のような空気が日本を支配し、小泉政権を批判する者はほとんど存在しなかった。私は圧倒的な少数派であったが、現実の経済は私が警告した通りに変化した。日経平均株価は小泉元首相が所信表明演説を行った2001年5月7日の14529円をピークに下落し続けて、2003年4月28日に7607円に暴落した。
小泉政権は「退出すべき企業を市場から退出させる」ことを政策の柱の一つに位置づけた。そのなかで、竹中金融相は2002年10月に、大銀行について、「大きすぎるからつぶせない」との考え方をとらないことを明言した。
同時に「金融再生プログラム」で、金融機関の資産査定を厳格化し、繰延税金資産の計上を1年分までとする、驚天動地(きょうてんどうち)のルール変更を強行しようとした。
米国のルールをそのまま日本に適用しようとしたのだが、米国では不良資産に対する引当金積立が無税扱いであるのに対し、日本は有税扱いだった。有税償却だからこそ繰延税金資産5年計上が容認されていたのであり、繰延税金資産計上を1年分とするなら、無税償却を認めなければ釣り合いが取れない。竹中金融PTは極めて初歩的な誤りを含む、行政の横暴だった。
金融機関首脳が猛烈に反発したのは当然であった。結局、竹中金融PTは繰延税金資産計上ルール変更を断念せざるを得なかった。面目を丸つぶれにされたリベンジがりそな処理の背景であったと考えられる。
りそな処理の経緯の詳細を追跡すると、そこには民間経済活動に中立、公正でなければならないはずの行政が、驚くべき逸脱を犯している姿が浮かび上がる。りそな銀行は人為的に自己資本不足に追い込まれた可能性が高い。そして、りそな銀行が「一時国有化」という「破たん処理」ではなく、「実質国有化」と呼ばれる「救済処理」を適用されたことは、あまりにも不自然である。
銀行の収益環境が急激に悪化していたのは、りそな銀行に限ったことではなかった。収益状況から判断してりそな銀行の繰延税金資産の5年計上が認められないというなら、同様に5年計上を認められなくなる大手銀行は複数存在した。りそな銀行だけが標的にされたことがまず不自然である。
朝日監査法人の岩村会計士(仮名)が、りそな銀行の繰延税金資産の複数年計上を強く主張したとされることは順当である。朝日監査法人は結局、木村剛氏が主張していた決算処理方法をそのまま採用したと判断することができる。木村氏は竹中金融PT、金融問題タスクフォースのメンバーであり、国際監査法人KPMG系列日本法人の代表だった。
そして、りそな銀行の監査を担当していた朝日監査法人と新日本監査法人の提携国際監査法人はKPMGだった。木村剛氏は2003年3月17日に朝日監査法人の亀岡義一副理事長と会食している。朝日監査法人がりそな銀行の速報ベースの2003年3月期決算計数を入手したのが4月16日で、この日以降、朝日監査法人幹部は木村剛氏の主張と完全に重なる主張を展開し、りそな銀行の繰延税金資産計上を否認する方向に大きく舵を切ったのである。
朝日監査法人でりそな銀行担当実質責任者であった岩村会計士は、朝日監査法人上層部の方針と大きく対立したと考えられる。そのなかで、4月24日、自宅の所在するマンションの12階から転落して死亡した。自殺と処理されているが、他殺の可能性を完全に排除することはできない。
竹中平蔵元金融相は、りそな銀行の決算処理、監査法人の対応について、2003年5月17日の記者会見で次のように述べている。
「決算ないしは監査に対して、特に監査人の判断に対して我々は一切口を挟む立場にはありません。独立した監査法人がプロフェッショナルとして独立した立場で判断する」
5月12日の金融問題タスクフォースで、竹中氏は「金融庁は監査法人の判断にはいっさい介入しない」と発言し、5月17日の説明の前提となる発言を示した。しかし、この言葉を言葉通りに受け取る者はいない。
三つの問題点を指摘する。
第一は、『月刊現代』で佐々木実氏が指摘している、金融問題タスクフォースメンバーの証言である。佐々木氏は金融問題タスクフォースのメンバーだった野村修也中央大学教授から、極めて重大な証言を得ている。
それは、タスクフォースでは、メンバーである野村氏と川本裕子氏が竹中氏と竹中氏の補佐官の岸博幸氏と綿密に裏で打ち合わせをしながら、正式な会合では、久しぶりに会ったかのように挨拶して裏会議の存在がばれないようにカムフラージュしていたとの内容だ。5月12日の会合も同様であったという。
第二は、5月12日の会合で、奥山章雄公認会計士協会会長が「本当にいいんですか」と金融庁側に何度か聞いていることだ。そして、新日本監査法人関係者は、繰延税金資産の関係で、銀行が実質的に破たんするような監査をするのに、金融庁の意向を聞かなくてよいのかどうかを奥山氏に相談したことを認めている。この点も、佐々木氏が『月刊現代』のなかで明らかにしている。
第三は、朝日監査法人の方針に甚大な影響を与えたと考えられる木村剛氏が、5月14日のインターネット上コラムで、りそな銀行を念頭に置いたと明確に読み取れる文章の中で、繰延税金資産の計上はゼロないし1年分しかあり得ないと強く主張しながら、3年計上の決定に対して、その後、一切の批判を示していないことだ。
木村氏は5月14日付記事タイトルを「破たんする監査法人はどこか」とした。りそなの監査法人が繰延税金資産計上について、ゼロないし1年以外の決定をするなら、その監査法人こそ、破たんに追い込まれるべきであるとの主張を展開した。
りそな銀行の自己資本不足の道筋を付けたのは木村氏であると見ることができる。その木村氏の主張が最後の段階で修正されることに、木村氏は強く抵抗したのだと考えられる。
ところが、決着は3年計上だった。1年と3年の間には天と地の相違があった。竹中氏は1年の決定を選択できなかった。1年計上はりそな銀行の破たんを意味した。りそな銀行の破たんは金融恐慌への突入を意味した。「大銀行破たんも辞さず」と公言しながら、竹中氏は「破たん」を選択できなかったのである。
『文藝春秋2009年1月号』に「麻生総理の器を問う」と題する記事が掲載された。このなかで、渡邉恒雄読売新聞会長が竹中氏の金融行政に関する、極めて重大な事実を明らかにした。竹中金融行政の深い闇が少しずつ明るみに引き出されつつある。
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