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――バケツの底は抜け落ちたのか、これから抜け落ちるのか=自公「後ろ向き政治」の結末やいかに―― 共同通信社が6、7両日に実施した全国電話世論調査の結果によると、麻生内閣の支持率は25・5%。11月の前回調査から15・4ポイント急落した。不支持率のほうは61・3%だった。こちらのほうは、前回から19・1ポイント急増している。 自民党総裁の麻生氏と、民主党の小沢代表の「どちらが首相にふさわしいか」との質問に対しては、小沢氏が34・5%、麻生氏は33・5%と、共同通信社の世論調査では初めて逆転した。共同通信は、「麻生首相の一層の求心力低下は避けられない」と伝えている。これだけみても、たしかにそういう数字といえそうだ。 共同通信の世論調査結果を報じたAFPによると、この調査では、回答者の約58%が、追加経済対策のための2008年度第2次補正予算案提出を来年の通常国会に先送りしたことを「妥当でない」と答えている。 6、7両日には、毎日新聞、朝日新聞も政権についての世論調査を実施している(なお読売新聞は5〜7日に実施、麻生内閣の支持率は20・9%と半減、不支持率は66・7%)。 まず毎日新聞からみてみよう。 毎日新聞が6、7の両日、電話による全国世論調査を実施した結果、麻生内閣の支持率は21%。10月の前回調査と比較して支持率は15ポイント下落している。 「麻生首相と小沢民主党代表のどちらが首相にふさわしいと思うか」の問いには、麻生氏が19%(21ポイント減)、小沢氏が21%(3ポイント増)だった。 さて、毎日新聞の07年8月の調査で、支持率22%に追い込まれた安倍政権が、続投の姿勢をみせ、そのまま奇妙にダッチロールしながら、最後は病気を理由とした退陣へと追い込まれていったことを思い出しておきたい。 その「22%」を下回る「21%」であることも考えに入れておきたい。福田政権崩壊の前は、同紙の調査結果は08年5月18%、6月21%、7月22%で、それと「同水準となった」と指摘している。 毎日新聞が同じ記事で、<両者が初めて逆転。「選挙の顔」と「党首力」を期待されて就任した首相が今後、厳しい政権運営を迫られるのは必至の情勢となった>と指摘するのも当然の状況になっているわけである。 定額給付金については「評価しない」70%、「評価する」21%。まったく評価されていない。08年度第2次補正予算案提出を09年1月召集の通常国会に先送りしたことについては、「支持しない」61%、「支持する」24%。まったく政権としての政策に支持がない。箸にも棒にもかからない内閣と指弾されているのと同じであることを、自公政権の面々はここからしっかり読み取る必要がある。これは責任であり義務といえるだろう。 また解散総選挙の時期についての回答だが、 朝日新聞の調査はどうだっただろうか。 麻生首相に「実行力がある」とする人は21%で、「そうは思わない」人は68%。不支持の理由では「政策の面」が63%を占める。自民支持層で麻生内閣を支持する人は54%(同72%)にとどまり、無党派層のうち麻生内閣を支持する人は11%(同26%)というありさま。 これではいくらなんでも、首相に就けておくのはつらい。 麻生氏のこれまでの仕事ぶりについては、 解散・総選挙の時期については、朝日新聞の調査でも「早く実施すべきだ」51%、「急ぐ必要はない」40%で、早期に実施すべきとする人が多くなっている。 有権者からこういう「通信簿」をいただいて、それでもまだ、もし自公両党が首相を続けさせるというのであれば、もはやそれこそ自公両党の執行部や議員の人間性を疑うほかなくなる。この「通信簿」は首相としての麻生氏に対するものだ。同じような状況に陥って、それでも「続投」を表明した安倍氏は所信表明演説までしておきながら、病気を理由に政権を投げ出した。 自公政権の体たらくを糾弾する以前に、そうした常軌を逸した状態にまで「首相」を追い込む政党とはいったいなんだろうか。もうこれ以上、醜態をさらしてほしくない。もうこれ以上、いったんは「首相」と呼ばれる立場についた人が、惨めな姿をさらすことを放置するようなことがあってはならないと思う。麻生氏を首相に選出した自公与党は、早急に手を打つべきである。 麻生氏はこうした結果をうけながらも、「景気対策」をやって支持の回復に努めたいなどと語っているというが、こういうときはまわりの対応が大切だろう。自公与党がそれさえできなくなっているのだとすれば、それこそ、ブッシュ米政権依存のネオコン「弱肉強食」政治そのものというほかなくなる。 自公両党は、自公政治がやってきた政治の責任を、資質など無視して、だれか「やりたい」という人間におっかぶせて(それも身内のはずの人間に)、自分たちは自公失政の責任から逃れようとしている、といわれてもおかしくない状況にあると判断するほかなくなるからである。 だが驚いたことに、共同通信によると河村官房長官は、8日午前の記者会見で、「激流に馬を乗り換えられる状況ではない。政府、与党が結束する一番大事な時だ」と述べたという。中川昭一財務相兼金融担当相も、記者団に「景気回復が首相の第1目標であり、(調査結果は)経済や暮らしを良くするため全力を挙げろということだと重く受け止める」(共同通信)と述べている。 同じ記事で、公明党の斉藤鉄夫環境相は、「(首相の)不適切な発言が支持率低下の一因になっている」と話したことを報じているが、自公与党のこの感覚の鈍さは、もはや「自己保身」以外の何物でもないことを、はっきりと露呈してしまっているといっていいだろう。こういう虚偽で取り繕う自公政治の積み重ねが、民意とズレてズレてズレ続けて、政党としての矜持も、政治家としての存在意義も失うところへと漂流してきたことを、そろそろ実感すべきではないだろうか。 同じく共同通信によると、各党は次のように語っている。 民主党の鳩山氏:「自民党にも不協和音が生じ、政権の体をなしていない」 そして、河村官房長官は「一喜一憂しても仕方がない。叱咤激励と受け止め、景気対策を中心とした09年度予算案や08年度2次補正予算案の編成に全力投球したい」と述べ、自民党の細田幹事長は「残念な結果だ」と語ったものの、今後の見通しについて「雇用、景気対策が理解され回復してくるのでは」と強調、公明党の太田代表は「景気、経済に全力を尽くすという強い姿勢を出す以外にない」とし、同党山口政調会長も「首相のリーダーシップの下で、積極的に果断に予算を仕上げていかなければならない」と訴えた、というのだ。 日本の政治は、ここまで落ちてしまったのか。 麻生氏の暴言はとまらない。日本経済新聞によると、麻生氏は7日の演説で高齢者雇用問題に触れ、「世界中、労働は罰だと思っている国の方が多い。旧約聖書では神がアダムに与えた罰は労働。旧約聖書、キリスト教、イスラム教、足したら世界の何割だ。7割くらいの宗教の哲学は労働は罰だ」と述べる一方、日本については「天照大神が高天原を見たら神々は働いていたと古事記に書いてある。我々は働くのは正しいと思っている」と語っている。 この発言を与党の政治家たちは、それぞれどのように感じるかうかがってみたいところである。これで世界に通用するはずもない。少なくとも私ははっきりとそう思う。読売新聞の伝えた定額給付金についての発言、「さもしく1万2000円が欲しいという人もいるかもしれない」という発言など、「(年収が)1億円あっても」と前置きした発言だから(発言内容に対する賛否は別だが)、麻生氏がいいたいことは、まだどうにか判読可能な部類に属するほうなのである。 しかし、踏襲がふしゅうだの、頻繁がはんざつだの、未曾有がみぞうゆうだのとなってくると、これは理解の範囲を超えている。「医者には社会常識に欠けるものが多い」「たらたら飲んで、食べて、なにもしない人の分の金(医療費)を、なんで私が払うんだ」も、同様だ。 思い出すのもいやになるが、「創氏改名は朝鮮人が望んだ」「日本はハングル普及に貢献した」発言はどうだっただろうか。「失言」癖を指摘されつつ、それ以上の社会的要請に耐えうる常識力の検証もないまま、自民党は麻生氏を自民党総裁に選出し、自公与党は麻生氏を首相に選出したのである。 つまり、米下院に提出された慰安婦問題をめぐって「客観的な事実にまったく基づいていない」と語ったことや、自民党政調会長当時の中川昭一が、「核武装論も選択肢として考えておくべきだ」と発言したときに、「隣の国が持つとなったときに、ひとつの考え方としていろいろな議論をしておくことは大事だ」などと擁護したことなど、いまとなっては、何を言おうとしているのかがわかるだけでも「まし」という状況になっているといえるだろう。 しゃべっていることの意味が人に伝わる。それだけでありがたいと思わねばならない人を、日本社会は「首相」としていただいているのである。首相として100年に一度あるかないかの希少価値を有する人物につきあわせて、これほどアリガタイ話はないと、自公与党は感謝するよう求めるのか、これまでのネオコン「弱肉強食」政治で「痛み」につきあわせてきたうえに、この首相にも「がまん」するよう求めるというのだろうか。 なぜ麻生氏の発言について、あらためて「伝わる、伝わらない」を指摘せねばならないかというと、2008年度2次補正予算案の先送りについて、閣僚も自公両党の幹部の人々も、前述したように、「一喜一憂しても仕方がない。叱咤激励と受け止め、景気対策を中心とした09年度予算案や08年度2次補正予算案の編成に全力投球したい」(河村官房長官)などと語っておられるからである。 この「2次補正予算案」の先送りはおかしいという世論が広がっている理由、早く出せとの国民の声が高い理由は、早急な経済対策の必要性ばかりではない。首相が公的に示した方針なのだから、きちんとその根拠や狙いも含めて案として正式に出せということである。そのうえで吟味に入ることになるのだから、先送りは政治空白をわざわざつくろうとする行為なのである。それを国民は完全に見切っている。麻生政権の保身の小細工など、すっかり見透かされているのである。 口先だけで、案も出さないというのであれば、検証も議論も対案も決議もない。 「2次補正予算案」の先送りに関する河村官房長官などの発言も、ことほどさように、完全にズレきっているとしかいいようがない。それもこれも、自民党内部には、麻生氏と意見がだいぶ異なる方でも、党内の中堅・若手が麻生批判を繰り広げると「けしからん。出て行け」と厳しく叱咤する町村前官房長官のような人がいるからなのだろうか。 私には「けしからん。出て行け」と厳しく叱咤すべきは、意味のわからない失言を繰り返している麻生氏のほうではないかと思えてならないし、少なくとも自民中堅・若手から噴出しているとされる麻生批判は、言葉の意味は伝わってくる。サボタージュでもなければ、怠惰でもない。何とかしないとという危機感、積極的な姿勢はかいまみえる発言ではないか。 こんなときだからこそ党の団結を優先する人、こんなときだからこそ難局打開の策を模索しようとする人。どちらもよくわかる。いかなる組織であろうとも(その内容の正否は別として)どちらも大事な人々なのだろう。だめなのは、こういうときに、話をそらし、ほおかむりをして、自分だけの蛸壺に逃げ込み自己保身に走る輩であろう。 しかしながら、そうした自民党のなかの狭い世界から少しだけ体を後ろにそらして、いまやっていることの全景をながめてみてほしい。自民党も公明党も、自分だけの蛸壺に逃げ込み自己保身に走ろうとしていないか。ここまで世論の批判を浴びてもなお、自分たちに都合よく自己正当化だけに走ろうとしてはいないだろうか。 これではまるで、イラク戦争開戦時に「ひるむな」と参戦をあおった読売新聞社説や産経新聞主張が、ブッシュ大統領さえ認めているイラク戦争の間違いをいまだに認めようとせずに、なんとかとりつくろい、次に「ほらみろ」といえる機会を身を潜めて待っているのと同じようではないか、と私などは思ってしまう。 そして、いま必要な報道とは、政党内部の事情がことこまかに伝わってくる報道だろうか。内部の勢力分析や勢力構造だろうか。自民党や公明党の与党内部の内紛の様子だろうか。政治家を職業として生きている人々の、わいわいがやがやと喜怒哀楽に翻弄され、あわてふためくような様子だろうか。 政治はバラエティ番組ではない。漢字検定に挑戦するエンタテイメント学習番組でもない(ちなみに私はけっこうあの番組のファンである=理由はここではさておく)。「そうか、ふしゅうって読む人もいるのか」などと、うなずいている余裕などないはずである。 毎日新聞8日付社説は問う。 「今回の結果により麻生首相はますます衆院選を遠ざけようとするのだろうか。一方、自民党には再度、総裁選を行い首相交代でしのごうという動きが出てくるのだろうか」 そして、まず指摘する。 そしてさらに指摘する。 この社説はこれに続いて、「直ちに解散」と答えた人が最も多かった理由について、「それは迷走を続ける今の状況こそ政治空白だと少なからぬ国民が考えているからだろう」と指摘する。 日本の政治を、いつまでも泥沼状態のまま放置しておくわけにはいかない。
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