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http://mainichi.jp/select/world/news/20081209ddm007030030000c.html
ブッシュの8年:世界と米国/上(その1) 国益重視の外交強行 軽視された国際社会
◇「我々が戦争すれば後はうまく行く」
ブッシュ米大統領は来年1月20日、2期8年の任期を終える。「ブッシュ流」の政治・外交は、世界の指導者としての米国の威信を失墜させ、国際情勢は不安定化した。また、米国内的にも社会の分裂が深まった。ブッシュ政権の「負の遺産」を検証する。
「米国のイラク軍事計画は危うい」。米国が国連安保理決議を経ずに英国、豪州とともに対イラク開戦に踏み切った03年3月19日(米国時間)、国連の上級スタッフらはブッシュ政権への不信感に支配された。
アナン国連事務総長(当時)特別顧問として、事務総長とブッシュ政権との交渉役を務めたマイケル・ドイル米コロンビア大教授が振り返る。
「私たちは米政府から軍事計画のブリーフィングを受けたが、戦闘終了後の混乱に対応する計画はなかった。米国は戦争はうまくやるが、ソマリア内戦への介入から撤退(95年3月)したように平和維持への経験が不足していることが不安だった。なのに米国は『我々が戦争すれば後はすべてがうまく行く』との発想だった」
ドイル氏がホワイトハウスへ度々出向いても、軍事作戦を指揮するラムズフェルド国防長官(当時)は会おうとしなかった。「米政府の国連への『敵意』を感じた」という。
国連は「戦後」の混乱を予想していたが、武力行使を容認したとの印象を与えたくないことや、米国の尻ぬぐいはしたくないとの立場から「戦後への備え」をためらった。国連を軽視した米国と国連との「史上最悪の関係」(ドイル氏)が国際社会を分断し、イラクの混乱長期化を不可避にした。
◇ ◇ ◇
ブッシュ政権の国連軽視には伏線があった。ブッシュ大統領が国連大使として外交官のネグロポンテ氏を起用したのは就任から1カ月半後の01年3月。議会承認の遅れもあり大使の国連着任は9月20日だった。この間、ブッシュ大統領は民族紛争への人道主義的介入、温暖化対策などで国際的関与を拡大したクリントン前政権の外交を大幅に見直した。
国連や国際法に依拠すれば、国益は国際社会の利益に従属してしまう。「力」に基づく国益重視の外交に転換した。温暖化の京都議定書や弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約からの離脱、核実験全面禁止条約(CTBT)の死文化決定など国際的合意を次々と破棄した。
01年9月の米同時多発テロ後の「対テロ戦争」でこの傾向は加速した。大量破壊兵器などの拡散防止構想(PSI)のように米国主導の「有志連合」方式を国際秩序構築の中核とした。ボルトン元国務次官(前国連大使)は「外交的な議論をしていると前進しない」とまで言い切った。
イラク戦争から5年9カ月、米国は疲弊し、巨額の財政赤字と金融危機にあえぐ。ブッシュ政権は2期目で国際協調へ徐々に軸足を移したが、ロシアや中国などの台頭により米国主導の国際秩序構築も挫折した。
「イラク統治につまずいた米国は、国際社会を敵に回すことができなくなった」。ドイル氏はそう指摘する。【ニューヨーク小倉孝保】
毎日新聞 2008年12月9日 東京朝刊
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