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(回答先: 第62回 2006年の日本経済を展望する量的緩和巡る政府・日銀の攻防 (2005/12/26) 投稿者 ROMが好き 日時 2008 年 12 月 07 日 00:08:10)
第63回 数の力でねじ伏せるポスト小泉体制の真実 (2006/01/06)
http://web.archive.org/web/20060207220341/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/060106_kazu/
2006年1月6日
昨年末、テレビ朝日の「スーパーモーニング拡大スペシャル」で、多くのゲストとともにポスト小泉を論じた。
私はかねてから主張してきたように(第53回 キング・メーカーの執念と野望)、来年9月になっても、小泉首相がきれいさっぱり、政界から去るようなことはあるまいと思っている。総理の座から身を引くことはあっても、かつての吉田茂や田中角栄のように、その後も強烈な政治的影響力を駆使して、キング・メーカーになり、裏側から政界に君臨しつづけるだろうと思っている。
しかし、出席者の大半は、特に小泉首相本人をよく知る人ほどそうは考えず、小泉首相はきれいにやめてしまうだろうと考えているようだった。
その根拠はというと、「あの人はそういう人なのだ」という。
あの人は、政治の世界の切った張ったに、とっくに嫌気がさしていて、早くこういう世界と縁を切って、残りの人生、オペラ鑑賞などの自分の趣味の世界にひたりきって送りたいと考えているはずという。
小泉首相の本質はそういう趣味人だという。
小泉首相はホモ・ポリティコス
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私の見方は違う。小泉首相は本質的に「政治的人間(ホモ・ポリティコス)」であり、政治の世界から生涯抜けきれない、政治に魅入られた人間だと思う。
たしかに、強い趣味人という性格もあわせ持つようだが、それはあくまで趣味の世界の話であって、リアルな人生の選択の問題としては、これまでも、それが最優先されることはなかった。
もし、小泉首相がそれほど自己(趣味人)をつらぬく人であるなら、これまでの人生において(総理になる以前)、政治家をやめる機会がなかったかといえば、いくらでもあった。
それでもやめないでここまできたということは、小泉首相が本質的に「ホモ・ポリティコス」であることの何よりの証明である。
最近の日々、総理大臣役を嬉々として演じている様子を見ても、これまでの、絶体絶命の政治的苦境に立たされた場面(郵政法案否決など)でも、不敵な面がまえで、ニヤリとする余裕すら見せて、それを乗り切っていく様子を思い返せば、この人は、本質的に、「政治の世界大好き人間」であり、政治的生活に中毒してしまった人間なのだということがわかるだろう。
そのような政治的人間が、最高権力を握る座についたまま、それを全部投げ出して、ハイ、サヨウナラをしてしまうなどということは、世界の政治史を見ても、およそ考えられないことである。
http://web.archive.org/web/20060215053849/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/060106_kazu/index1.html
小泉首相自身にもそのつもりがないことは、小泉首相の最近の政治的身の振る舞い方を見れば明らかである。
いまや日本の政治の世界の最大の政治的イッシューは、「ポスト小泉」問題であり、その最大の役者は誰かといえば、「ポスト小泉候補」にあげられている誰彼ではなく、小泉首相自身である。キング・メーカーたる小泉首相である。
小泉政治の原点は「経世会(田中派)つぶし」
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ここにおいて、日本の政治は、新しい「院政」時代に入りつつあるといってよいだろう。
現に最大の政治的パワーを持つ人間(形式的にも、実質的にも)が、形式的には、最高権力者の座から降りて、形式的最高権力者を別に立て、自分はその背後にまわって、実質的最高権力を行使し続ける政治体制を院政という。
院政とは、平安末期に、天皇に代って上皇(引退した天皇)が政治を牛耳るようになって生まれた体制だが、それに近い体制は、日本の政治史上何度も生まれている。
徳川時代のはじめ、初代将軍家康は、早々と将軍職を二代目(秀忠)にゆずり、自分は背後で政治をコントロールしつづけた。日常的雑務は二代目にゆずり、自分はもっと大きなこと、それから二百余年にわたってつづく徳川政治の基盤作りに熱中した。
表舞台にいた将軍の二代目、三代目など、今となってはほどんど記憶する人すらにない影の薄い存在となった。
近くは、ロッキード事件以後、政界の表舞台から形式的に姿を消し、裏から闇将軍となって政治をコントロールしつづけた田中角栄の例がある。
小泉政治の原点が、あの時代にあり、その政治的エネルギーがもっぱら経世会(田中派)つぶし(政治構造において、人脈において)に注がれてきたことは周知の通りである。
田中角栄全盛期の「数の力」を超えた“小泉派”
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小泉首相の最大の政治的情念は、田中政治(自民党旧体制)の徹底的破壊にあり、それは今もつづいている。
郵政改革も、三位一体改革も、数々の特殊法人つぶしも、道路公団改革、道路財源の一般財源化、国策金融機関改革、あるいは、最近のNHK改革にいたるまで、小泉改革とは、徹底的田中型政治つぶしという視点から見ると、実にわかりやすく、筋が通っている。
それほど小泉首相の深層心理における反田中角栄意識(ライバル意識)は強烈なものがある。
http://web.archive.org/web/20060215053849/nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/060106_kazu/index2.html
小泉首相が本当に自分は田中角栄をしのぐ戦後最大の政治家となったと実感できる日がくるまで、その情念はとどめがたいものがあると思う。
そして、その目的を達成するための最後のステップとして絶対に必要なのが、闇将軍時代の田中角栄以上の実力をもって政界を支配することであり、キング・メーカーとなることだろう。
小泉首相はすでに、事実上、そうなりつつある。正式の小泉派はないものの、森派の中の小泉の完全コントロール下にある人々と、小泉チルドレンを合わせたら、100名を軽々突破し、田中角栄全盛期の田中派の数をとっくに抜いているのである。
そして、小泉首相に対抗できるパワーを持つ派閥はすでにすべて事実上解体している。
「政治は力だ」、「力は数だ」が田中角栄の口ぐせであり、田中は数の力を背景に、日本の政治を牛耳りつづけた。
同じことを、小泉首相はすでにはじめている。比類ない数の力を背景に、小泉首相は好きなように政治を動かしている。もはや、正面切って小泉首相に逆らおうとする人は、自民党に誰一人いなくなった。
新しい政治的枠組みの模索がはじまる
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小泉首相が、新しい政治的イッシーューを次々に政治の中心舞台に持ちだし、それを自分の一言で方向づけしていくというのが、見えてきた「2005年体制」の根幹である。それを小泉独裁体制と呼ぶ人もいるが、小泉首相の支配する数の力が、この体制を根っこのところで支えている。
小泉体制を掘り崩す力は、今のところ、萌芽すら見えない。これから形式的にポスト小泉に誰がすえられようと、小泉首相の政治支配は9月以降もまだまだつづくというのが、私の基本的観測である。
政治の世界は、権力者が実質的権力を持ちつづけている限り、形式はそれに合わせて動いてしまうものである。院政の時代も、徳川大御所の時代も、田中闇将軍の時代もそうだった。
9月が近づくに従って何が起こるのかといえば、何者かによる、ポスト小泉に向けての新しいパワー体制の構築ではなく、小泉首相が9月以後もパワーを持ちつづけることを合理化する新しい政治的仕組み(枠組み)を模索することだろう。
これから9月にかけて、自民党の解体組み直し=政界大再編から、総裁公選規定の改編、自民党の党則改正にいたるまで、いろんなアイデアが出てくるだろう。
立花 隆
評論家・ジャーナリスト。1940年5月28日長崎生まれ。1964年東大仏文科卒業。同年、文藝春秋社入社。1966年文藝春秋社退社、東大哲学科入学。フリーライターとして活動開始。1995-1998年東大先端研客員教授。1996-1998年東大教養学部非常勤講師。2005年10月から東大大学院総合文化研究科科学技術インタープリター養成プログラム特任教授。
著書は、「文明の逆説」「脳を鍛える」「宇宙からの帰還」「東大生はバカになったか」「脳死」「シベリア鎮魂歌―香月泰男の世界」「サル学の現在」「臨死体験」「田中角栄研究」「日本共産党研究」「思索紀行」ほか多数。講談社ノンフィクション賞、菊池寛賞、司馬遼太郎賞など受賞。
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