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(回答先: 立花隆さんの「メディア ソシオ-ポリティクス」の海外アーカイブを阿修羅のスレッドでまとめて保存してくれないかと、。 投稿者 ROMが好き 日時 2008 年 12 月 05 日 18:06:37)
第11回 中国の反日デモを挑発した小泉首相の政治責任を問う (2005/04/22)
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050422_seijisekinin/
2005年4月22日
中国の反日デモのニュースを見て直感的に感じたことは、これは日本で起きた60年安保から70年安保にかけての日本の世相とそっくりだということである。60年安保の時代、私は大学生でデモの現場にいたし、70年安保の時代、私は駆け出しのジャーナリストで、現場をあちこち歩きまわっていたから、その空気をよく知っている。
60年から70年にかけて、日本の若者の気分は基本的に反米だった。
60年の反安保デモはしばしば反米デモとなり、「アメリカ大使館に行こう」のかけ声でデモ隊がアメリカ大使館にワッとおしかけ、上海の反日デモどころではない激しい反米デモを繰り広げた。安保締結を記念してアイゼンハワー大統領が訪日し岸首相と会話するということになり、その下見にハガチー秘書官がやってくると、羽田空港を出たところでそれをデモ隊の大群がとりかこんで車をボコボコにし、ハガチー秘書官はヘリコプターで危く空中脱出という映画のような場面があって、アイゼンハワー訪日は中止になった。
危機管理できないと反日デモはエスカレートする
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国会ならびに首相官邸はは連日何万何十万というデモ隊でとり囲まれ、岸首相の周辺では自衛隊の出動要請一歩手前までいっていたことはよく知られている。
70年安保(実際には、67年頃から騒ぎがはじまっていた)のときは、ベトナム戦争がまっさかりで、世界中で反米運動(反ベトナム戦争運動)が盛り上がり、68年にはフランスなど各国で学生運動と結びついて「5月革命」といわれる騒動になった。日本でも、この年は1月に佐世保で空母エンタープライズ寄港阻止、3月には王子米軍キャンプの野戦病院設置阻止など、激しい抗議行動が毎月のように全国各地で燃えあがり、10月の新宿騒乱事件まで休むことなく物情騒然たる事態がつづいた。
あの激しい時代を知っている層にとっては、上海の反日デモなどかわいいものである。いま東京の歩道には、石などひとかけらもなく、石を投げようと思っても投げる石が見つからないが、あの頃、東京の歩道にはくまなく、その少し前に撤去された都電の線路をはさんでならんでいた舗石が歩道に移されて歩道の舗装に使われいたから、その辺いたるところに、大きな敷石があった。
next: 過激派の学生たちが…
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050422_seijisekinin/index1.html
過激派の学生たちが、それを片端から砕いて投石に使ったので、舗石は、投石に使われてなくなってしまったか、それ以上投石に使われるのを恐れた当局の手によって先に撤去されてしまうかしてしまったので、いま東京の歩道に舗石はないのである。だから、上海の日本領事館に投げ入れられた石5千箇ときいても我々の世代は一向に驚かない。なんだそれくらいかと思う。
上海で学生たちが投げているのは、石以外には水入りのペットボトルか、ペンキやインクが入ったガラスビンのたぐいだが、あの時代、世界中の学生が投げていたのはモロトフカクテル(火炎ビン)だった。
いま日本では、中国の反日デモに対する過剰反応が出て、中国大使館を襲撃する者まで出ているようだが、こういう状況が一番危い。日中戦争がなぜはじまったかというと、満州事変以後、中国全土で燃え広がった反日運動の波がある。日本の新聞で、中国の反日運動が大報道され、日本人に犠牲者まで出るようになると、日本中に怒りが燃え広がり、やがて中国を懲らしめるべきだとの声が強くなっていった。満州事変が、武力進出の口実を作るために日本の軍部が仕掛けた謀略事件にはじまるという、いまの日本人ならみな知っていることも、当時の日本人は誰も知らないから、日本人は中国で起きる反日デモにひたすら怒りをためこんでいたのである。
両国間で、今の状況を上手に危機管理できないと、反日デモはアッという間にエスカレートする。水入りペットボトルがモロトフカクテルにエスカレートするのに必要なのはほんのちょっとしたきっかけだけだということを知っておくことが必要だ。
いま反日を叫んでいる中国人の若者の大写しの顔を見ていると、あの時代に反米を叫んでいた同世代の日本の若者たちの顔を思い出してしまう。
うまい図式が大衆運動を爆発させる
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あの時代をふり返ってみて、なぜあのような暴力の爆発が起きたのかというと、過激派の煽動もあるにはあったが、それだけであのような大爆発が起きるものではない。ベースにあるのは、社会の一般大衆のレベルまで広く蔓延していた欲求不満の感情である。欲求不満は必ずしも明確な対象があるわけではない。暴力が爆発するときにそれが向う対象が必ずしも欲求不満を生んだ原因とはかぎらない。どんな人間でも、何らかの原因で心理的抑圧が長くつづけば、ムシャクシャした気持というガスがたまってきて、それが臨界値に達すると、必ず爆発を起こす。それが個人的事情による欲求不満なら、爆発は個人のレベルにとどまるが、ガスが社会全体にたまっていると、社会不安をもたらすような大爆発を起こす。
社会全体が厳しく締め付けられているときには、爆発は起こらない。しかし、厳しく締め付けていたものがなくなり、しかも、個々人の生活にゆとりが生まれたときに爆発は起こりやすい。さらにそれにナショナリスティックな情動が結びつくと、民族的な大爆発になる可能性がある。
next: 60年安保で起きたことは…
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050422_seijisekinin/index2.html
60年安保で起きたことはそれだったとおもう。日本人は、長期にわたる戦争体制の中で、最大限の抑圧を受けてきた。戦争が終って、基本的自由が国民に与えられたといっても、アメリカによる占領支配の中で、それは管理された自由でしかなかったし、それより何より、戦争が終ってから、日本は貧乏のドン底時代が長くつづき、法的自由が与えられても、その自由を楽しむことができる層はごく限られた層だけだった。
しかし、1955年の神武景気のあと、57〜58年のナベ底景気を経て59年には岩戸景気を迎えた。ここで日本経済は完全に復興し、世界でもたぐい稀な高度成長時代に入っていく。生活にある程度のゆとりが生じ、手から口への日常の衣食住生活以外のことを考える精神的ゆとりが生まれてきた。そこまできたときに、いろいろたまりにたまっていた欲求不満が爆発的にそのはけ口を見出したのがあの騒動だったのではないだろうか。
戦争が終ってから15年。完全な経済破綻、生活破綻が何年も何年もつづいて、やっと、生活全体が上向いてきて、周辺を見まわしてみる余裕が出てくると、欲求不満がかきたてられる。それで起きた大爆発があの騒動だったのではないか。
中国で起きていることも、大状況としてはそれに似ている。長い抑圧政治が終り、手から口への経済的困窮の時代が終ったところで、周辺に目をやったすきに、まず目に入ってくる比較の対象が豊かな国日本である。今回のデモで「日本帝国主義」を糾弾するプラカードが沢山あったので、我々の時代、「アメリカ帝国主義」を糾弾するプラカードが沢山あったのを思い出した。中国のマルクス主義学生(最近では中国が共産主義国家であることを忘れている人が多いが、中国の学生は基本的にみんなマルクス主義者である)の国から見れば、日本は図式通りの帝国主義国家であり、中国の富を現に収奪しつつある国家なのである。
あの時代、日本の学生に基本的な世界の見方の図式を与えたのはマルクス主義であったから、アメリカの帝国主義の日本支配、世界支配が諸悪の根源というのはとてもわかりやすく、みんなすぐに、アメリカ帝国主義糾弾を叫んだのだ。怒りをぶつける対象をわかりやすく示してくれる図式がないと大衆運動はなかなか盛り上がらない。逆に、欲求不満のガスがたまっているところに、大衆の心をつかむうまい図式が投げこまれると、大衆運動は一挙に爆発する。
next: 中国の絶対的優位を脅かす日本の常任理事国入り
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050422_seijisekinin/index3.html
中国の絶対的優位を脅かす日本の常任理事国入り
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中国の場合、長い長い抑圧といえば、共産党による政治支配と経済体制支配だろうが、それはいまなお基本的には継続しているといっても、ケ小平時代に大きくタガがゆるめられ、江沢民時代には憲法まで変えて、社会主義市場経済という名の市場経済を国家の経済制度にしてしまった。
そしてその後あの高度成長期の日本のような高度成長がつづき、いつのまにか世界経済の中でゆるぎない地位を確立してしまっている。何しろ人口が多いから、パーキャピタでは中国経済はまだ世界の中で高位グループとはいえないが、グロスではすでにあらゆる側面で最高位グループに入るようになってしまったことはよく知られている。
経済的な成功をおさめたらあとは欲しくなるのはプライドである。ケ小平時代のはじまりからかぞえてすでに24年、江沢民時代のはじまりからかぞえてすでに16年である。経済的成功がこれだけつづいたら、ナショナリスティックなプライドがこのような形(反日デモ)で爆発しても不思議ではない。我々の時代に、それが反米(反親米自民党政権)という形で爆発したのと同じようにである。
もう一ついうなら、中国は、名目的政治的には、国連常任理事国という名誉ある地位をとっくの昔から得ているから、あと欲しいのは、国際社会において実質的政治力を発揮できるポジションである。そういう意味で、中国がぜひともほしいのはG7ないしサミットの構成メンバーという地位だろう。
中国としては、日本が早くからそのメンバーになっていて、そこでアジアの代表面をしているのが気に食わなかったのに、今度は、中国が絶対優越的地位を保っていた国連における地位(常任理事国)を日本が求めはじめ、それを国連事務総長が支持するかのごとき発言をしたことが全くもって許し難いということだろう。反日デモのスローガンで、日本の常任理事国入り絶対反対が繰り返し強く叫ばれていたのは、そういう理由だ。
中国を挑発する小泉首相の靖国参拝
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この反日デモの一件で唖然としたのは、小泉首相の態度である。小泉首相の靖国神社参拝問題が、この最大の引き金となっていることはどう否定しようもなく明らかなのに、その点を問う記者の質問に、小泉首相はぬけぬけと「関係ありません」の強弁を繰り返していた。その小泉首相の認識に異論をとなえて質問を重ねることができない記者もジャーナリスト失格である。
next: 天皇ですら…
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050422_seijisekinin/index4.html
天皇ですら、かつては靖国神社に何度も参拝していたのに、A級戦犯が合祀されてからは、参拝を避けているのである。そのマインドにおいて小泉首相よりずっと右翼的な中曽根元首相ですら、かつては靖国参拝をしていたのに、中韓国の抗議を受けてからは、靖国参拝を避けたのである。
こういった一連の事実が公知の事実として存在するのに、何度抗議されてもこれ見よがしに靖国参拝をつづける小泉首相の行為は挑発的であるとすらいえる。裁判所からも小泉首相の靖国参拝を違憲とする判決がすでに出されているのに、それが下級審のもので、小泉首相に対する拘束力がないということを理由として、小泉首相はそれを一顧だにしなかった。
小泉首相には小泉首相の信念があるのかも知れないが、小泉首相の行動は、一国の首相として、ポリティカリーには、インコレクト(不適切)である。一国を代表する政治家の行為は、たとえ、これは私的行為ですと断った上でなしたものであっても、それが私室でなされる純粋私事でないかぎり、純粋私的行為にはなりえない。そして衆人環視の中で行われる政治家の「私的」行為は、政治的色彩を帯びざるを得ない。行為する政治家の例もそれがわかってやっているのだし、それをウォッチする側が、そこに政治的意図を読みとるのも当然すぎるほど当然である。
中国反日デモショックで株が暴落
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その点、小泉首相より、天皇のほうがはるかに道理がわかっている。天皇は、自分が日本国のシンボルの行為と解釈されることがわかっているから、A級戦犯が祀られている神社に参拝するわけにはいかないという選択をしたのである。小泉首相はどうして天皇にならうことができないのか。
天皇は日本国の代表者だが、自分は日本国の代表者ではないからそれでいいのだと小泉首相が考えているとするならそれは誤りである。天皇は日本国をシンボリックに代表しているにすぎないが、小泉首相は日本を政治的に代表している。であるが故に、小泉首相は政治的色彩を帯びた自己の行動がもたらすすべてのことに対して、政治的結果責任を負っている。
小泉首相はどう言い抜けようと、これだけの反日デモを起こしてしまったことに対して政治責任がある。
中国の反日デモショックで株が暴落した。それもそのはず、どん底にまで落ちた日本経済がようやくここまで復活することができたのは、隣国という立場を利用して、高成長をつづける中国経済の昇龍の勢いの波にうまく乗ってきたからである。中国の労働力と生産力をうまく利用してきたからである。中国の市場をうまく開拓してきたからである。
そのすべてを小泉首相が台なしにしつつある。経済界はごうごうたる非難を小泉首相に浴びせてしかるべきだ。小泉首相のかたくなな態度が、ここまでようやく立ち直った日本経済をまたドン底にまで落してしまうかもしれないのである。
next: 反日デモで問われる小泉首相の政治責任
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050422_seijisekinin/index5.html
反日デモで問われる小泉首相の政治責任
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もうひとつ解せないのは公明党の態度である。仏教政党である公明党は、本来、小泉首相の靖国神社参拝に反対の意志を持ちつづけてきたはずである。靖国神社に代る国立の非宗教的戦没者メモリアルの建立を主張していたはずである。それが小泉首相政権の一翼をにないだしたとたん、かねての持論を捨てて、小泉首相の靖国神社参拝に抗議をしなくなってしまったのはどういうわけか。政治的宗教的信念より、小泉首相から鼻の先にブラ下げられている政治的利益の方が大切ということなのか。
私は一時、小泉首相をなかなかの政治家と評価し、そう書いてもきた。しかし最近、これは歴代の政治家の中でも最低に近い部類ではないかと思いはじめている。
郵政民営化にしてもそうだ。なぜそれがいま必要なのか、さっぱりわからない。なぜいまそれにそれだけ政治エネルギーをそそぎこまなければならないのか、さっぱりわからない。政治でいちばん大切なのは、たくさんある政治課題に優先順位をつけることである。一国の政治課題はいつでも山積している。しかし、その解決にさけるリソースはいつもかぎられている。時間も、金も、エネルギーも。
小泉首相は首相などになるずっと前から、訳のわからない郵政民営化以外何も政策を持たない政治家といわれてきた。総理大臣になって、一応の改革をなしとげた後(小泉改革のそれ自体は私も半分程度評価している)で郵政民営化をさして「いよいよ、これが改革の本丸」と叫んでいるわりには、相変らず、それにどれだけの意味があるのか、どれだけの重要性があるのかさっぱり見えてこない。最近では、この人は総理には向いていないと思いはじめている。この人に早くやめてもらわないと日本は沈没してしまうのではないか。
立花 隆
評論家・ジャーナリスト。1940年5月28日長崎生まれ。1964年東大仏文科卒業。同年、文藝春秋社入社。1966年文藝春秋社退社、東大哲学科入学。フリーライターとして活動開始。1995-1998年東大先端研客員教授。1996-1998年東大教養学部非常勤講師。
著書は、「文明の逆説」「脳を鍛える」「宇宙からの帰還」「東大生はバカになったか」「脳死」「シベリア鎮魂歌―香月泰男の世界」「サル学の現在」「臨死体験」「田中角栄研究」「日本共産党研究」「思索紀行」ほか多数。講談社ノンフィクション賞、菊池寛賞、司馬遼太郎賞など受賞。
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