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2008年12月 3日 (水)
りそなの会計士はなぜ死亡したか(1)
気軽にではなく重たい気持ちで書く記事である。
講談社刊行の『月刊現代』2009年1月号をもって廃刊になる。最終号を飾る2回連載記事に佐々木実氏による「小泉改革とは何だったのか」が掲載された。副題は「−竹中平蔵の罪と罰−」である。前編は「アメリカの友人」、後編は「「勝者」と「敗者」」である。
拙著『知られざる真実−勾留地にて−』(2007年、イプシロン出版企画)、山口敦雄氏著『りそなの会計士はなぜ死んだのか』(2003年、毎日新聞社)と合わせて、三部作として上記記事をぜひご高覧賜りたい。
『月刊現代』所収の連載記事は、加筆、修正のうえ、来春、講談社から刊行されるとのことだ。無事に刊行されることを願う。
私が小泉政権発足時から小泉政権の政策を全面的に批判したのは、以下の五つの理由による。拙著第一章「偽装」第9節「小泉政権五つの大罪」に記述した。
@「財政再建原理主義」
A「官僚利権死守」
B「弱肉強食奨励」
C「対米隷属外交」
D「権力の濫用」
の5点を小泉政権の罪として提示した。
2001年から2003年にかけて、小泉政権は回復の兆しを示していた日本経済に対して超緊縮財政政策を実行して、日本経済を未曾有(みぞう)の大不況に誘導した。財政赤字を削減することが目的だとされた。私は経済の回復を重視しなければ、事態は確実に悪化すると主張した。
実際、日本経済は大不況に突入して戦後最悪の倒産、失業、経済苦自殺を発生させた。財政赤字は減少するどころか激増した。11月30日のテレビ朝日番組「サンデープロジェクト」に出演した竹中平蔵氏は、「経済危機に際しては財政政策を発動することが当然」との趣旨の発言を示したが、2001年から2003年にかけて財政政策を全面的に否定していた主張から、全面的に転換している。
2003年にかけての日本経済の混乱は「人災」だった。適切な経済政策運営が実行されていれば、多くの国民が大不況地獄に追い込まれることはなかった。後述するように、外国資本に巨大な利益を供与するために、日本経済の破壊が誘導された可能性が高い。
A「官僚利権死守」は小泉政権が推進した「改革」が「官僚利権根絶」とは無関係であったことを意味する。郵政民営化、道路公団民営化、住宅金融公庫民営化は、官僚利権を根絶するものでない。「外国資本」、「大資本」、「金融資本」に利益を供与する政策にすぎなかった。真の「改革」は「天下りの根絶」である。小泉政権は財務省の「天下り利権」を徹底的に擁護した。
B「弱肉強食奨励」は「市場原理主義」に基づく政策の日本社会への強制だった。高齢者、障害者、生活困窮者、母子世帯など、政府が手を差し伸べるべき国民に対する諸施策を冷酷に切り込んだ。労働市場の規制撤廃は、非正規雇用労働者と働く貧困層の激増を招いた。国民生活の安定を根底から破壊し、日本社会を世界有数の格差社会に変質させたのは、小泉政権の「弱肉強食奨励」政策だった。
佐々木氏の上記論文タイトルに「格差社会の元凶を本格検証」の言葉が冠せられているのは、竹中氏が小泉政権の経済政策を主導したからである。
D「権力の濫用」は小泉首相が活用できる権限をすべて活用し、独裁者として行動したことを指す。日本の議院内閣制は、首相が権力濫用に対する自制心を取り払うと、独裁者になりうる制度的な欠陥を内包している。小泉首相はこの意味で権力を濫用した初めての首相であったと言える。
また、世論が政治を動かす時代において、マスメディアは「第一の権力」と呼ぶべき影響力を保持する。小泉政権は利益誘導によってマスメディアをも支配した。司法権力は建前上は政治権力と独立していることになっているが、首相が権限をフル活用すると、政治権力によって司法が支配されるリスクを抱えている。小泉政権の時代にはこのリスクが顕在化したと言える。
拙著では、これら、@、A、B、Dの問題についても記述しているが、ここでの本題はCに関連することなので、詳細(しょうさい)は省略する。
拙著の主題のひとつが「りそな銀行救済」にかかる、巨大な疑惑だった。
@なぜりそな銀行だけが資本不足と認定されたのか
A2002年9月30日の内閣改造で竹中氏が金融相を兼務することになった背景
B銀行を自己資本不足に追い込むための「繰り延べ税金資産」計上ルールの取り扱いの変遷
C朝日監査法人のりそな銀行担当公認会計士が2003年4月22日に、突然死亡した背景
D2003年5月12日の「金融問題タスクフォース」での確認事項と会合前後の経緯
E「金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム」メンバーであった公認会計士協会会長(当時)の奥山章雄氏、木村剛氏と朝日監査法人との接触の有無、および「りそな銀行」問題との関わり、
F2003年5月17日の「りそな銀行」処理の意味
が、私が拙著『知られざる真実−勾留地にて−』で、改めて整理した主要論点だった。
佐々木氏の論文では、私が十分に確認できなかった詳細について、丹念な取材が実行され、真実をより鮮明に浮上させている。しかし、その記述によって確かめられた内容は、すべて、私が記述したひとつの推論を補強するものになっている。
2002年9月30日の内閣改造で竹中氏が金融相を兼務することになった。拙著ではこのことについて、「政治専門家は竹中氏の金融相就任は米国政府の指示によるものと指摘した」とだけ記述した。
佐々木氏の論文では、前編で竹中氏が金融相に就任する前後の経緯を詳しく論じている。拙著での私の記述の根拠とした情報と、基本的に重なる経緯が記されている。
この問題を考察する上で、きわめて重要な事実が数多く、佐々木氏の論文に記されている。そのなかから、三つの事例を取り上げておく。
第一は、朝日監査法人でりそな銀行を担当した公認会計士の人物像が詳細に示されていることだ。佐々木氏は会計士を岩村隆志氏の仮名で表現しているが、この岩村氏が2003年4月22日に死亡された会計士である。佐々木氏は丹念な取材により、岩村氏が「銀行監査にかけては会計士業界の若手第一人者と目されるまでの存在」であったことを明らかにしている。
極めて重要なことは、この岩村氏が、りそな銀行の繰り延べ税金資産計上を強く主張していたことである。りそな銀行の繰り延べ税金資産が他の主要銀行同様に5年ないし4年計上されていたなら、りそな危機は発生しなかった。
第二は、2002年12月11日に、三井住友銀行の西川善文頭取、ゴールドマン・サックスCEOのヘンリー・ポールソン氏、同COOのジョン・セイン氏と竹中平蔵氏が密会した事実だ。西川氏の金融問題への対応は2002年と2003年で驚くべき豹変(ひょうへん)を示した。
第三は、2003年3月17日に木村剛氏が朝日監査法人の亀岡義一副理事長と日本橋の料理屋で会食した事実だ。この会食は、現在までメディアをいろいろな意味で賑わせてきた木村剛氏が関与する日本振興銀行との関連で持たれた会合であったことを佐々木氏は指摘している。
問題の詳細については、今後の記事で記述してゆきたいが、朝日監査法人のりそな銀行担当会計士が、りそな銀行の繰り延べ税金資産計上を他行と同様に扱うことを強く主張し、朝日監査法人が担当会計士の判断を尊重して決定を下していたなら、りそな銀行危機は浮上しなかった可能性が高いことだ。
山口敦雄氏は著書『りそなの会計士はなぜ死んだのか』の表紙装丁(そうてい)の帯に、「会計士の「自殺」は何を意味するのか?それは、本当に「自殺」だったのか―」と記述している。
「りそな問題」の闇はまだ解明されていない。だが、いかなる困難を克服してもその闇を明らかにしなければならないと思う。『月刊現代』の論文、拙著『知られざる真実−勾留地にて−』、『りそなの会計士はなぜ死んだのか』の三部作、プラス、ベンジャミン・フルフォード氏著『暴かれた[闇の支配者]の正体』(2007年、扶桑社)をぜひ一度ご高読賜りたい。
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