@「犬の仇討ち」だったのか では、犬は感謝しているのだろうか。「仇を討って頂き、ありがとうございました」と喜んでいるのだろうか。 そう、34年前の「犬の仇討ち」をした小泉容疑者(46)のことだ。「いや、別の理由がある」「共犯者がいる」「黒幕がいる」、と言う人が多い。しかし、いないだろう。狂気のクレーマー殺人だった。 もっとも、犬の殺されたことをずーっと毎日、思い続け、やっと「仇討ち」したわけではない。犬を殺された34年前は悲しくて、思いつめた。しかし、その後はずっと忘れていた。ところが最近、「年金」「厚労省」という言葉が毎日のようにマスコミから流される。「官僚が悪い」「こいつらは許せん」「厚労省こそ悪の元凶だ」…と。 その時、フッと思い出したのだ。34年前のことを。保健所に犬を殺されたことを…。普通ならば、「そうだ、昔こんな悲しいこともあったな」と思い出し、それで終わりだ。でも、こうした人々の特徴として、その〈怨念〉から逃れられなくなる。ずーっと、何日でも何日でも考え込む。そして行動に移す。厚生次官の住所も調べた。そして、いきなり刺した。3人も続けざまに。2人は死亡し、1人は重傷だ。 「教唆した人間がいる」「黒幕がいる」と言う人もいる。いや、いない。もし、いるとしたら、それはマスコミとネットだ。「厚労省、官僚が悪い!」と毎日言っていた。それが、彼の耳には、「こいつらを殺れ!」「お前がやれ!」と聞こえたのだ。「ちょうどいい。これで注目されるだろう」とも思った。次に、ネットの話だ。あの秋葉原の「通り魔殺人」のことを考えてみたらいい。「弱者がなぜ弱者を襲うのだ」と言われた。「殺人はいけない」と言いながら、〈支持〉する人も多くいた。自分たちの気持ちを代弁してくれたと思う人もいた。 又、「同じ弱者が同じ弱者を襲っちゃいけない」「どうせなら〈敵〉を狙え」と言ってた人もいた。「政治家や、六本木ヒルズに住んでるような金持ちを狙え!」と無責任に叫んでいた人もいた。 それが彼には「天の声」として聞こえたのだ。 事件が起きた時、私は数社の新聞社から取材された。しかし、コメントは全て、ボツになった。面白くないからだ。彼らの「期待」に応えなかったからだ。マスコミは全て、「これは政治テロだ!」と思い、色めき立った。きっと右翼だろうと思った。「厚労省に天誅を加えたのだろう」と。右翼団体か、あるいは「潜在右翼」だろうと見当をつけた。公安もそう思って調べた。 私は言った。「これは右翼ではありません」「潜在右翼でもありません。秋葉原の通り魔事件のような事件です。〈思い込み〉が強くて、刺した。でも、犯罪のシロウトですから、すぐに捕まります」と。 「エッ!そんな馬鹿な!」と記者たちは言う。「厚生次官が次々と殺されてるんですよ。こんな時期に、次官への「個人的怨み」が重なるはずはない…と。そんな「偶然」はないと。 テレビも新聞も、「政治的テロ」だという。その「大合唱」を見て、私も不安になった。もしかしたら、「テロ」なのかも、と。しかし、右翼がやるはずがない。やるなら、堂々とやって、その責任をとる。大体、関係のない奥さんを殺したりしない。 でも昔、「風流夢譚」事件があった。中央公論社の社長夫人が重傷を負い、お手伝いさんが殺された。あれと似た事件かもしれない。その可能性もあるが、あれは、「社長をターゲットにし、いなかったので、パニック状態になった。眼鏡を落とし、近づく影を警察官かと思い刺した。初めから、関係のない女性を殺そうとしたわけではない。それでも右翼からは「女を殺して、右翼道に反する」と随分と非難された。 今回の事件は、なんの迷いも逡巡もなく、いきなり夫妻を殺した。そして、もう1人、奥さんを刺した。ものも言わずに、「殺す」ことだけが目的だ。こんなことは右翼であれ、潜在右翼であれ、ありえない。 「右翼なら堂々とやり、責任をとる」「逃げない」と言ったが、一件だけ例外がある。朝日新聞の記者を殺傷して逃げた赤報隊だ。もしかして「彼」かと思った。しかし、彼らだって、「殺し」が目的ではない。「主義主張」がまずあって、何度も小さな事件を起こし、声明文も出し、そのあとで「殺人」をやっている。いきなり殺して、逃げる、ということはない。 それに、犯人は目撃されている。「30代らしい」という。あっ「彼」ではないと思った。 そして、犯人は捕まった。いや、出頭してきた。これだけは私も予測できなかった。「すぐに捕まる」とは思ったが、自ら出頭するとは思わなかった。でも、目撃されてるし、「逃げ切れない」と思ったのだろう。いや、「やるだけはやった」と思ったのだろう。「天の声」に応えて、やってやった。そして「呪縛」から逃れたのだろう。 何人かの新聞記者から電話があった。「やっぱり鈴木さんの言う通りでしたね」と。「でも、どうして分かったんですか」。「それは、私もいつも“天の声”を聞いてるからです」「……」。というやりとりがあった。 A元活動家の二木さんと「テロ問答」をやった 11月26日(水)に、大阪朝日放送の「ムーブ!」に出た。二木啓孝さんたちと一緒だった。このニュースがトップだった。「動機が理解できない」「バックに暴力団や政治集団がいるはずだ」という。私は否定した。 「理解できない」と言うが、理解できない理由で、ほとんどの犯罪は行なわれている。小・中学生が、ネットで悪口を言われた。そんな「ささいな事」で刺す。バカな!と思う。全く理解できない。夫が妻を口喧嘩の末に刺す。バカな。何も殺すことはないと思う。理解できない。犯罪は皆、「理解できない」のだ。理解する必要もない。100%理解したら、私らも同じことをやる。 もう一つ。「仲間がいた」「バックがある」…。これも違う。この男は、近所でも有名なクレーマーだった。危ない男だ。車に当たって金をせしめたり。騒音がうるさいと建設会社に押しかけて金をとったり。だから、誰がこんな「危ない男」を鉄砲玉に使うか。考えてみたら分かるだろう。指令した方が、不安で不安でたまらない。いつ口を割るか分からない。だったら、自分でやった方が安心だ。 それに、メリットがない。「いや、闇の勢力がいる」「政治テロだ」とか言う人もいる。しかし、少しでもこの男に接触したら、全て喋られる。 政治テロや暴力団の抗争で、下の者に指令を出すことはある。しかし、それも、「自供されるかもしれない」「その時は仕方がない。自分も捕まってやる」という〈覚悟〉をもって指令を出す。初めから一体だ。 その点、今回は、危なすぎて使えない。歯止めが効かないクレーマーだ。指令などでやる男ではない。 「そうでしょう。二木さん」と私は「ムーブ!」の本番中に言った。「二木さんは左翼の過激な学生運動をやっていた。だから、分かるでしょう。こんな危ない奴は使いませんよね」と。二木さんは、ギョッと驚いてたが、「そうですね」と言っていた。でも、「右翼に言われたくねえよ」とも言っていた。 「ペット・ロス」という言葉がある。家族とも思っていたペットに死なれ、悲しみに襲われ、心身が病んでしまう人々のことだ。かなり多いという。 小泉容疑者は、子供の時、犬を殺された。野良犬を拾って来て飼ってたら、うるさい。やはり野良犬はダメだ。近所に迷惑をかける。と父親が保健所に連れて行った。そこで殺された。小泉少年はショックを受けた。殺したのは保健所だが、連れて行ったのは父親だ。怨むなら父親を怨めばいい。でも殺意は父親に向かない。それでさらに34年経って、厚生次官を殺し、「犬の仇は討った」と父親に手紙を出した。おかしい。見当違いだ。理解できない。でも、理解できない〈思い込み〉が全ての犯罪を起こすのだ。 平和な今の日本でも、実に多くの犬や猫が殺されている。戦争中なら、なおのことだ。空襲になった時、犬が逃げ出して人を襲うかもしれないと思い、「全ての犬を供出しろ!」と命令された。泣く泣く、犬を供出した。子供たちは皆、ショックを受けて、悲しんだ。「ペット・ロス」の人々ばかりだ。そして、その時の悲しみを思い出しながら、60年経って本にした人もいる。『愛国の昭和』に書いたが、『ムツとわたし』という本だ。大和田啓子さんが書いた。とてもいい本だ。殺された犬を偲び、その時の悲しみを書いている。「ムツ」も本に書いてもらい、本当に感謝しているだろう。喜んでいるだろう。 (以降話題が政治版に合わないので省略)
|