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(回答先: 「人を裁くことできない」 裁判員制度で善光寺住職(産経新聞) 投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 12 月 01 日 16:53:02)
この意見は可笑しいでしょう。
裁判員制度についてはマズゴミも反対意見を多く載せるようだが
ここまでマズゴミが反対意見を載せると、天邪鬼な私は、あれ〜何か可笑しいな
と思ってしまう。賛成意見があまり出てこないのはどうして?
もし仮に私が選ばれたら、警察検察の手続きに少しでも不備があれば
無罪を主張するつもりだ。私のような人間はまず選ばれることはないと思うけどね。
裁判員制度には不備が多々あるとどこかで見たことがあるが、
それは、直していけばいいこと。
反対の人は現在の裁判制度のままで本当にいいと思っているのだろうか。
警察、検察、裁判官に全幅の信頼を置いている阿修羅の住人の数は如何ほどだろうか。
私は、警察、検察、裁判官よりは自分の感覚を信じる者である。
裁判員制度を一番警戒しているのは、実は警察検察ではないのか。
光市の母子殺害事件差戻審の各テレビ局のヒステリックな扱い、
また別の事件の被害者家族たちの極刑を望む声、声、声。
私にはこれらの傾向が裁判員制度の導入決定の後に顕著になった感じがする。
また時々、テレビなどで「最近は厳罰化の傾向が強い云々」などというが本当か?
一時期、麻生が秋葉原のお宅諸君から喝采を受けたこともあるのだろうよ。
それが総裁選のころからテレビでは「国民的人気に高い麻生云々」同じ嘘っぱちじゃなかろうか。
私には、これらが検察の極刑要求に裁判員が同意する心理的垣根を低くするための
操作ではないかという気がしてしかたがない。
それで
私は、この住職に問いたい。
あなたは人々に説法はしないのか?
> 「宗教者は人を裁かないで済む世の中にするのが役目。人を裁くことなどできない」
それでは「宗教者は人に説法しないで済む世の中にするのが役目。人に説法することなどできない」
と言い換えたらどうか。この住職、即、無言の行に入らねばならないだろうよ。
> 「裁判員には人を裁くつらさがふりかかる」
つらさがふりかかると言うが、それではつらさを人に押し付けていいのか?
釈迦も泣いていると思うよ。末法だな〜。
>「人の心を乱す悪い制度を国民に押しつけるべきではない」
そもそも、仏教自体現世を苦しみの多い世界と見ているわけで
それでいてこころの平安を保つための教えが仏教の根本ではなかろうか。それなら言いたいな
「人の心を惑乱させる税金強制徴収制度を国民に押し付けるべきではない」
嫌で変な言い方、どこか自分の心にしっくり来ないが、
仏教的には裁くのは人間自身ではなく、その犯した罪に対してではないか。
(何を言っているのかよく分からない、自分自身でも)
お寺には戒律があると思うがそれを犯した坊さんはどうなるのかな。
裁かないのかな。よく知らないが。この住職に聞いてみたい。
仏教者なら、仏教者としての立場から無罪を主張すればいいだけの話ではないだろうか。
「私は貝になりたい」ではないが
「私は裁判員になりたい」
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