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2008年12月01日
政治報道の正体
いま発売中の新潮45という月刊誌の12月号に、フリージャーナリスト上杉隆氏の手による興味深い記事を見つけた。
さきの月刊文芸春秋11月号に掲載された麻生手記によって、麻生首相は冒頭解散を決めていたのではないか、という事が明るみになった。その事が国会質問で取り上げられたほどだ。
その麻生論文が、実は麻生首相が書いたものではなく、朝日新聞の現職政治記者である曽我豪という編集委員の手になるものだ、と上杉氏は書いているのだ。
ついでに言えば、上杉隆氏はまた、月刊文芸春秋の連載政局インサイダー記事である「赤坂太郎」の書き手もまた曽我豪氏に違いないと書いている。
因みに、この曽我豪という朝日新聞の政治記者は、2005年の新党(国民新党)づくりの際の亀井静香、田中康夫長野県知事(当時)会談の報道を、あたかも田中康夫知事から直接したかのように虚偽報道した事件で、関与者の一人として戒告処分を受けている政治記者である。
政治家と政治記者の癒着関係や、もたれあい関係は、何も珍しくはない。
ましてや政治家のスピーチや著作を代理人が書くという事は当たり前の事である。
何事も日本が真似をしたがる米国では、ジャーナリストが政治任用されて、公然と大統領のブレーンやスピーチライターになっている。
だから上杉氏もその事自体を問題にしているのではない。
問題は政治家と政治記者の協力関係が日本では隠されているという事である。
米国では現役のジャーナリストが同時に大統領の協力者となることはない。
すなわち、大統領の協力者になる時はジャーナリストの仕事をいったん辞めてからこれを行なう。
ジャーナリストとして政治記事を書く間は、決して同時に特定の政治家の協力者にはならない。
この原則が守られるからこそ、メディアと権力の腐敗がギリギリのところで守られるというのだ。
これは正しい指摘だと思う。
日本の政治報道が米国のそれに比べ上質な報道が少ないのは、このけじめのなさに違いない。
匿名性の影に隠れてしか本音を書くことのできない保身性に違いない。
特に、大手メディアの政治記者は、権力者に逆らって情報源を失う事を恐れ、地位をなげうって国民に真実を知らせる覚悟を持つことなく、今の恵まれた境遇に安住しすぎているのではないか。
私は、フリージャーナリスト上杉隆がどれほどのジャーナリズム魂を持った政治記者だかは知らない。
しかし、少なくともこの新潮45の記事は興味深く読ませてもらった。
ちなみに、新潮45の12月号には、もっと興味深い記事があった。
あの田母神前航空幕僚長が、M資金の詐欺話に危うく引っかかりそうだったという記事だ。
そのような脇の甘い人物が国防のトップだった事に慄然とし、やめてもらう切っ掛けとなった論文事件は国益にかなった論文であった、という記事に、妙に感心させられた。
ついでながら、この詐欺未遂事件がまったく新聞には報じられないのはどうしたことだろうと思ってしまう。
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