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英エコノミスト誌電子版:二〇〇七年一一月一四日
http://www.economist.com/world/asia/displaystory.cfm?story_id=10127783
「日本のメディアのドン」
ヤマボウシ:訳
<前代未聞の権力をもつ新聞発行人>
本誌が東京支局のオフィスとして借りている部屋は、保守的で知られる「読売新聞」の本社屋内にある。この新聞は日本で最も人気が高いが、たまたま同国で最も有名な野球チームを保有している。それとも、野球チームが新聞社を保有しているのだったろうか。どちらにせよ、その本社屋を眼にして浮ぶイメージは、商業やスポーツに関連するものでは決してなく、在りし日のどこぞの社会主義国の巨大な政府省庁である。
床はリノリウム張りで、回廊は果てしなく続き、五〇メートル置きに休憩所が喫煙者向けに設けられている。四階が報道専用のフロアである。だが、その部室は古臭く廊下は味も素っ気もなく、場所ににじみ出ているのは重々しくもサエのない官僚主義の雰囲気である。
同じ建物内には社員食堂や、白衣を着た医療職員の精鋭集団、宿泊設備、そして本式の浴場(男性用のみ)さえも備わっている。さらには自前の警備部隊を擁するが、その主な仕事は、八一歳の渡邊恒雄会長専用のエレベーターを誰かが使おうとするのを引き止めることにあるらしい。渡邊会長が不意に到来しても、こうした人々がお辞儀や敬礼をするのを見れば気が付かされるのである。
しかしながら、この建物と政府官庁との主な違いは、日本のほとんどどの政府大臣も望んだことがないほど強大な権力を渡邊氏がもつという点にある。読売の記者たちの裏話では、渡邊氏が立てた編集方針に従う以外に選択の余地がないという。記者の立場は読者にも及ばないのである。
ここ二、三週間の政界の茶番劇を例に取ろう。夏の選挙では野党の民主党が参議院の支配権を握ったが、その火の玉党首である小沢一郎氏が一一月二日に、自民党総裁でもある福田康夫首相と会談をした。これまで小沢氏は、自民党主導の政権を倒して総選挙に勝ち、民主党に政権担当能力があることを証明すると公約していた。ところが、一一月二日には政治取引が行なわれたのである。つまり、民主党が自民党と「大連立」を組んだ場合に小沢氏と民主党は何を手に入れることができるかという問題である。福田氏は小沢氏に対し、いくつかある特典の中でも特に副首相の地位を申し出たらしい。
翌日、小沢氏がこの取引を党の役員会に持ち帰ると、役員たちは激怒した。そこで小沢氏は辞任を表明したが、代わりの適任者がいないため党は小沢氏を慰留したのである。小沢氏は柄にもなく深い悔いを表明したものの、大連立を最初に持ちかけたのは福田氏ではなく小沢氏であるという記事を書いた新聞記者たちをののしり、このときにはすでに元の調子を取り戻していた。それから二、三日すると小沢氏は前言を撤回し、「ある人物」が大連立をめぐっての福田氏との最初の接触を仲介したと説明した。この「ある人物」とは、間違いなく渡邊氏であったのである。
大連立構想を支持する七一歳の福田氏やその他の自民党守旧派の人々ために口を利く資格が渡邊氏にあることは疑いようもない。九月に安倍前首相が小沢氏の攻撃で、それまでに見られた胆力の欠乏をさらに悪化させて辞任した後、渡邊氏は自民党のキングメイカーたちを集めた重要な会合を開き、その場で福田氏は自民党の総裁選出馬への説得に応じたほどである。
こうした成り行きを知らされていなかったのは読売の読者ばかりではなく、ライバルである他の四つの全国紙の読者にしても大体は同様であった。これまでのところ、わずか二紙の社説が渡邊氏の関与に対して丁重に疑問を投げかけたのがすべてである。ちなみに、日本の政治分野のジョークには「社説を読むのはその執筆者だけ」というのがある。
このような不透明さを産み出すのは政治・文化的要素である。すなわち、主流のメディアは分析的でもなければ敵対的でもない。遠慮なく言えば、そのほとんどが与党に奉仕し
ているのである。だが、不透明さが産み出される原因には、商業的な面も存在する。最もよく売れている3つの日刊紙(読売・朝日・日経)は、2つの小規模全国紙(毎日・産経)を廃業に追い込むことが共通の利益となっており、相互に敵対する気がないのである。それどころか、三紙は複数の商業的企業を共有してさえもいるのである。
小規模二紙に関しては、政府が新聞産業に対して容認している定価制度(再販制度)がなければ収益はさらに悪化していたことであろう。強大な権力をもつ渡邊氏はこの産業を政府筋において保護し、寡占状態の維持を持続させることを許したのである。
この結果、新聞は渡邊氏や、大連立をつくり出すための渡邊氏の裏工作を批判することをほとんどしなくなった。大連立構想の源である渡邊氏の信条によると、国家の諸事は経験を積んだ少数の人物の手に委ねられるべきであり、そうすればかつての旧態依然たる自民党のような民主政治の混乱を招くことがないというのである。実際、小沢氏はその古い自民党で政治経験を積んだ人物であり、渡邊氏とその同類は久しく民主党を自民党から迷い出た一派閥に過ぎないものとみなしてきた。
だが、大連立はとんでもない構想なのである。もしこれが実現していれば、日本は政府を清潔に保つ反対党がない状態となり、有権者から政治的選択の権利を奪うことになっていたであろう。それにはたいていの日本人も反対する。事実、構想が進展してもたらされたものは二大政党の機能不全であり、日本の政治は茶番劇へと成り下がったのである。傲岸不遜な渡邊氏がこの経験によって謙虚となることがありうるであろうか。老練な評論家・森田実氏によれば、それは太陽に西から昇ることを求めるようなものだという。
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