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*再掲です。
2008年11月04日
見ているがいい。裁判員制度は来年5月の導入とともに大問題となる。
私は7月15日のブログで、来年5月からはじまる裁判員制度は第二の後期高齢者医療制度になると書いた。
つまり、現実に導入されるまでは国民は関心を払わないが、導入して自分がかかわってみて初めて、その制度がいかに実害を与えるものであるかに気づいて猛反対する、という意味である。
私に関して言えば、裁判員制度導入の必要性をまったく認めない。
司法官僚の思いつきに付き合わされてはたまらないから対応策も考えている。
誰かが書いていた事であるが、くじで当たった者であっても、極端な思想の持ち主や、権力に楯突く者は、裁判所は決して裁判員に選ばない。
「私のような知識の無いものが人を裁いてもいいのでしょうか」、などという、よく言えば謙虚、悪く言えば権力に従順な者ほど、司法官僚は裁判員にさせるというのだ。いわゆるカモである。
裁判員制度ができたところで、最後は裁判官がすべてを決める。
素人の国民は、裁判に参加した(させた)というアリバイ作りでしかない。
だから従順な国民の方が都合がいいのだ。まじめに裁判に取り組む良心的な国民こそ好ましい。
これほど国民を馬鹿にした制度があろうか。
裁判員になりたくなければ裁判所を困らせるような態度をとればいい。俺は死刑論者だから、誰彼かまわずに悪い奴を死刑にする、などといった極端な違憲を口走っていれば、絶対に裁判員に選ばれる事はない。
さて前置きが長くなった。
なぜ私が裁判員制度について再び書く気になったかといえば、11月3日の産経新聞に曽野綾子の裁判員制度反対の次のような意見を見つけたからだ。
曽野綾子といえば私の考えの対極にある人物だ。
ことごとく私の考えとは異なる考えを語る人物である。
だから私もこのブログで、たびたび曽野綾子の言論批判を行なってきた。
そんな曽野綾子であるが、裁判員制度に反対する意見については見事に一致した。
彼女は言う。
「・・・裁判員制度が発足するというが、まだこんなことが出来ると考えている人がいる。
素人もいっしょに判決を出せるなら、なぜ大学の法科に受かるのも、司法試験に通るのも、あんなにむずかしくしなければならないのか。その難関を通った玄人とずぶの素人が、どうして一緒に仕事ができると思うのか。どの世界でも、玄人と素人の間には師弟関係こそあれ、、平等などないのが原則だ。しかも最近の日本人はろくろく本も読まず、文章の形で表現もできないのに、どうして与えられたデータから真実を推計できると言うのか・・・
PR用と称して『サイバンインコ』なるキャラクターを作るセンスも、幼児化の典型である。子供に裁判員になってもらうなら、なだめるためにおもちゃも必要だろうが、大人がなんでディズニーを真似る必要があるのだろう。」
同感だ。
11月4日の毎日新聞の「質問なるほドリ、最高裁長官はどう決まるの?」の中で、先日最高裁長官に決まった竹崎博允(ひろのぶ)氏が、48年ぶりに最高裁判事を飛び越えて東京高裁の裁判長から異例の抜擢で最高裁長官になった理由が次のように述べられていた。
「・・・竹崎氏は最高裁事務総長など司法行政の中枢ポストを務めた際裁判員制度の設計で中心的な役割を果たしました。現在64歳で、定年まで5年8ヶ月という長い任期を確保することで、制度の円滑なスタートと定着に向けて尽力するよう期待されたのでしょう・・・」
総選挙の際に行なわれる最高裁判事の国民審査では、私は竹崎氏に不信任のバツを記入する事を決めている。
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