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http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20081128ddm004070134000c.html
記者の目:元厚生次官夫妻、殺害事件=野沢和弘(夕刊編集部)
◇「高級官僚は悪」なのか 官庁組織の再構築、急務
支離滅裂、荒唐無稽(むけい)な小泉毅(たけし)容疑者(46)の供述の中で、「大学に行って、高級官僚が悪だということが分かった」は妙にリアルで心に引っかかる。年金などをめぐって厚生労働省を批判する空気が世に充満している。しかし、犠牲になった厚労省の元高級官僚はどのように「悪」なのか?
93年。私が厚生省(当時)の担当になって間もないころ、難解な年金制度について報道各社の記者が勉強会をやることになり、夕方、年金局長室で担当課長の説明を受けた。1時間ほどたった時だった。
「まだそんなことやってんのか。勉強したって役に立たないだろ」。黒い髪をぴしっと七三に分け、エリート官僚然とした山口剛彦年金局長が後ろに立っていた。尊大な物言いに面食らっていると、女性記者が「いつも偽悪趣味なんだから」と苦笑した。それを機にくだけた雰囲気になって局長を囲んだ。誠実な仕事ぶりなのに「山口嫌い」の議員が多く、事務次官の目はないと言われていたが、なるほどなと思った。
その後、自民党単独政権から非自民連立政権、自社さ政権へと変転し、厚生大臣も1年持たずに次々と代わった。薬害エイズの解決を掲げた菅直人厚相が就任した時、女房役の官房長が山口さんだった。非加熱血液製剤でHIV感染した患者らが国家賠償訴訟を起こしていたが、歴代厚相は「国に責任はない」と繰り返してきた。その厚生省がどのような解決策を描くのかが焦点になった。
さいたま市にある山口さんの自宅に夜、取材で訪ねたことが何度かある。惨劇の現場になった自宅だ。「悩ましいなあ」を繰り返す山口さんは「菅さんて本当はどんな人? 詳しく教えてくれないか」と言った。歴代大臣とは勝手が全然違うのだという。真剣な目が組織に忠実な「歯車」の苦悩をにじませていた。
薬害エイズ問題は、隠されていた資料が省内から見つかり、訴訟は和解、担当課長などの刑事訴追へと展開した。報道も厚生省批判一色になったが、山口さんはあまり変わらなかった。「学生たちが厚生省を取り囲んで抗議したでしょ。あれはこたえた。息子と同じ世代なんだよ」。父親としての顔を初めて見た。
薬害肝炎や年金など最近に至っても、厚生労働省といえば庶民を踏みにじる悪玉のように報道される機会が多い。都合の悪い資料を隠し続けてきたように、うそや背信もあれこれ見てきた。ただ、厚労省という官僚組織を間近に見て感じるのは、守屋武昌前防衛事務次官のようなドンが絶大な権限を振るうのはまれで、1〜2年の限定された期間ポストに就いた官僚が、歯車に徹して政策を継続させていることだ。
年金や医療や福祉など社会保障制度は複雑なものが多く、エリート官僚といえども高度な専門性を要求される仕事を短期間で意のままにするのは難しいだろう。省内のしがらみ、政治家やOBや業界団体の意向など数々の制約に縛られ、思うような権限を振るえないと実感している官僚も多い。その結果、政策決定システムの中心が空洞と思えることもしばしばある。
薬害も年金も、どこかの時点で誰かが英断を下して政策を見直していれば、これほど深刻な事態に陥らなかったに違いない。問題の先送り、不作為の積み重ねは、いずれ深刻な結果を招く。積年の課題に世間の批判が着火した時、何もかも焼き尽くすような勢いで炎は広がっていく。
政府の「厚生労働行政の在り方に関する懇談会」座長の奥田碩(ひろし)・トヨタ自動車相談役が「厚労省たたきは異常な話。マスコミに報復してやろうか。スポンサーを降りるとか」と発言して物議をかもしたが、厚労官僚の子どもが学校でいじめにあっている話を奥田氏が聞いて義憤にかられたのだと側聞する。厚労省バッシングが家族にまで及び、省内にも不安といらだちをマスコミに向ける空気が渦巻いているのを感じる。
「空洞」に向かってやみくもに石を投げ込むだけでは相互不信と欲求不満を募らせ、不穏な空気を醸成させるだけだ。歯車の集合ではなく、真に責任の取れる政策決定システムを官庁に再構築することが何をおいても必要だ。報道する側も知を集積し、奥の深い批判眼を養わなければと思う。
山口さんと最後に会ったのは、次官の後、福祉医療機構理事長に天下ってしばらくしたころだった。10年ぶりだったがさほど懐かしがるでもなく、官僚時代そのままの物言いと七三分けが印象に残る。
理不尽極まりない死である。何かしらの教訓をくみ取ることが、せめてもの供養ではないかと思う。
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毎日新聞 2008年11月28日 東京朝刊
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