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2008年11月26日
米国金融資本主義の終焉は本当か?
100年に一度の世界金融危機の割には、世界の指導者が本気になって危機打開の新たな枠組みづくりに邁進しているように感じられないのは私だけだろうか。
書店に足を運ぶと金融危機がらみの本が溢れかえっている。
やれドル崩壊とか、米国一極支配の時代は終わったとか、そんなタイトルの本ばかりだ。
その中で、「強欲資本主義 ウォール街の自爆」(神谷秀樹著 文春新書)という新書を購入して読みおえたばかりだ。
住友銀行からゴールドマンサックスに転職し、今は独立してみずから投資銀行を経営しているという金融マンが書いたこの書は、米国金融資本主義の只中に在職しただけあって、「ウォール街」という言葉に象徴される米国金融資本主義の担い手たちのモラル喪失を、見事に教えてくれている。
たとえば、ウォール街の強欲金融マンが米国政府の高官に抜擢された人事について、こんな会話を紹介している。
・・・「あんな欲深いヤツが政府の高官なんて、まったく政府の人事はどうなっているんだ」、
「いい人事じゃないか。ウォール街にいる欲深い連中を監視するには、その中でも一番欲深い男を政府高官にするのがもっとも有効だろう。ジミー・カーター(信心深い良心的な元大統領)じゃ務まらないよ」
「そりゃそうだ」・・・
こんなエピソードから始まって、興味深い話が山ほど書かれている。それはもの凄い腐敗ぶりだ。
金融界に生きる者にとっては目新しいことではない話でも、ウォール街の実態を知らない一般の我々にとっては、「ウォール街」がここまで犯罪的だったのか、これでは金融危機が起きるのも時間の問題だった、などと、あらためて思い知らされる。
この書はまた、米国の行き過ぎた金融資本主義は、モノがつくれなくなった米国の行き着く先であり、それは実体のない詐欺的錬金術でしかなかった、それを「グローバル・スタンダード」という美名のもとにはやしたて日本に導入した小泉・竹中政権の対米追従政策こそ、日本国民を塗炭の苦しみに追いやったとして、つぎのように糾弾している。
・・・(世界金融危機を招いた)真犯人はいったい誰だったのだろうか。私は、まず真っ先に世界に過剰流動性をばら撒いた二つの国の政府を挙げる。一つはレーガノミックス以降、「財政赤字」、「貿易赤字」の「双子の赤字」を垂れ流したアメリカ政府であり、もう一つは(ゼロ金利を放置し)海外の高金利資産に投資する「円キャリー取引」を促進させた日本政府である・・・
これも同感だ。
今ではメディアも、小泉・竹中政権が唱えた「構造改革」が実は米国新自由主義時の手先でしかなかったという批評を遠慮がちに載せるようになった。
せめてサブプライムローン問題が小泉・竹中政権の絶頂期に炸裂し、小泉・竹中政権を直撃していれば、日本国民ももっと早く目を醒ましたことだろう、と残念に思う。
ここまではいい。
ところが、読み終わってこの書を閉じたとたんに、いいようのない虚しさに襲われた。
なぜかを考えてみた。
著者は、経済学者下村治博士の警告を引用しながら、次のように結論づける。
・・・アメリカが、世界一の生産力を背景として、世界一の健全な経済を堅持してきたからこそ、アメリカのドルが世界の基軸通貨として成立しえたのであるが、もはや米国経済が世界経済の一つとして相対化され、米国経済に節度がなくなった現在においては、IMF,世銀を中心としたブレトンウッズ体制は新しい世界経済の枠組みに変わらなければならない・・・
その通りである。
そして、今度の金融危機を乗り切るには、これまでの世界金融システム、国際通貨システムを変える程の抜本的改革が必要である、という意見は、今ではあらゆる経済解説で見ることができる。
ところが現実は決してそのようには動いて言ない。
それは単に国際政治の場において米国の覇権がいまなお衰えていないという事だけではない。
米国という国が決して覇権を手放さないだろうと思うからだけではない。
IMF,世銀体制は終焉した、ドルの一極支配は終焉した、と唱えている人たちもまた、心の底では、米国の覇権主義は終わらないと思っているに違いないと思うからだ。
そして、世界がここまで米国金融資本主義のうまみを味わった以上、各国もまたもとには戻れないと思うからだ。
物欲主義、拝金主義が人々の心に染みついてしまった以上、ものづくりにはげめ、実物経済に戻れと言っても、皆がそれを素直に受け入れられないと思うからだ。
石川遼という少年ゴルファーの一億円プレーをここまでメディアが騒いでいいのか。
彼には何の責任もないし、彼のプレーの素晴らしさは称賛ものである。
しかし、未成年の少年が何億もの収入を手にする事をここまで喧伝する事自体が、拝金主義、勝ち組至上主義を煽ることではないのか。
それが金融危機の反省にたとうとしている時に健全な事なのか。
派遣労働で酷使されている何百万人の若者の事に少しでも思いを馳せてみる必要はないのか。
経済番組で真っ先に報道されるのはニューヨークと東京の株式相場である。
見ているがいい。もし株価がさらなる下落なしに上昇に転じていくのなら、そしてそれは誰にとっても好ましい事ではあるのだが、もはや誰も金融危機の事は忘れ去るであろう。制度改革は遠のき、あらたなビジネスチャンスのテーマが模索されるに違いない。
あれだけ金融危機が叫ばれても、株高があがり資産価値が高まれば、それですべてが解決するのだ。
読後感に覚えた虚しさは、みなの心に潜む建前と本音の乖離を感じるからである。
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