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麻生暫定首相が求心力を失い、与党が迷走している。 「日本にはさほど影響はない」といっていた米国発世界同時不況のあおりをうけて、「派遣切り」や準職員、正規職員の雇い止めが広く深く、深刻に広がっている。 麻生政権や与党は「100年に一度」の経済危機と呼んで、総選挙対策である「バラマキ」政策を、消費税導入のおまけ付で打ち出し、内部混乱の度合いをいっそう深めるに至っている。(JCJふらっしゅ:Y記者の「ニュースの検証」) そもそもその「100年に一度」があやしい。自公政権が呼び込んだ雇用環境の劣悪化、崩壊の状況は、米国のサブプライムローン問題以前から深刻化し社会問題化していたのであり、それに対する満足な手当てもせず、ぐずぐずしている間に、今回の世界同時不況が襲っているのである。 小泉政権以来、米ネオコンの弱肉強食戦争政治に追従して、日本の経済・労働環境を足元からぐらつかせ、自らの保身を優先して「日本崩壊」を進めた自公政治は、その悪政・失政を世界同時不況のせいにしているが、それこそとんでもない話である。 そのうえ、「100年に一度」と危機をあおりながら、打ち出す「策」は政策ともいえない代物ばかりで、麻生氏がアドバルーンをあげると、即座に世論の厳しい反応がはねかえって来る。だから即座に与党内部がごたごたする、という状況を繰り返している。 衆参で多数を占める議員数が異なるため、「ねじれ」などと呼んで、与党が満足に政治を遂行できないのは、その「ねじれ」のせいであるかのようなプロパガンダを打つメディアもいまだに存在するわけだが、その「理屈」がいかにいいかげんなものか、与党の悪政のボロ隠しを企図したものであるか、もはや否めないところまで自公政治は行き詰まっている。産経新聞主張や読売新聞社説も、ここへきて調子よく、またまた微妙にトーンを変えてきていたりする。 自公政権は、ブッシュ米政権の戦争路線にはいち早く飛びつき、イラク戦争への介入の道を突き進み、同時に戦費捻出(米国への財政支援)のためと米日合作によるネオコン勢力による世界制覇を目途したが、そこは泥沼へと通じる道だった。 米国の軍産複合体は一息ついたが米経済は疲弊し、日本経済は見かけの数値は上昇したが、ひと風吹けばそのままぐらつき倒れこんでしまうような脆弱な体質へと急速に基盤を劣化させてきた。その典型が派遣労働者など非正規雇用の形態で働く労働者の蔓延である。 派遣労働は業種を限定し専門性の高い職種に限って認められていたものが、小泉政権は「改革」と称してそのタガを外し、いつでもどこでも取替えのきく、労働者使い捨て経済の構造を日本社会に充満させることで、「みせかけ」の数値をはじき出し、専門労働者の育成にストップをかけ、個々人がうちに秘める能力を引き出す道筋に栓をして封じ込めてしまった。 自衛隊の海外派遣強行と同時並行して、「お国のため」に粉骨砕身、兵士のごとく身をささげる「国民総動員」の仕組みづくりを、ブッシュの「戦時大統領」にならって、日本流に敢行したのである。これは弱肉強食どころではない。一人ひとりの労働者を大切にし、かつ消費者志向のものづくり、サービス創出へと脱皮の過程にあった日本の経済社会は、生活者と労働者の両側面から国としての21世紀の発展基盤を再構築していこうとするベクトル上にあったといえるが、その労働と生活のバランスを崩すことで、根本的な改変期を迎えていた日本企業の危機を、一時的に覆い隠したに過ぎない。 弱肉強食の論理を撒き散らし、「自己責任」を名目に強者が弱者を追い落とし、使い捨て、その強者もどんどん弱者へと転落させて日本国民全員を「兵士」として総動員しようとする政治を、自公政権は続けてきたのである。 その流れをつくるためにはメディアへに圧力をかけることをいとうことなく、それどころか身内であるはずの議員までをも、意見が異なれば島流しにした。その戦時政権の首相気取りのやり方で、国会から、企業社会から、地域社会から、自由の空気を奪い、多様性を奪い、活力を奪い、生きがいを奪い、人の生活としての余裕を奪い、生活文化の基盤を崩し、人と人とのつながり、集団内・集団間コミュニケーションに阻害をもたらし、日本社会総体を機能不全に追い込んできたのである。 「そんなことは私は知らない」と小泉氏も、安倍氏も、福田氏も、麻生氏もいうのかもしれないが、政治家は社会の仕組み・システムを動かすことがどのようなことにつながるのか、プラス面もマイナス面も俯瞰して把握していなければならない。特に、人の生活や命、文化にかかわる部分では、「知りませんでした」では通用しない、深刻な大打撃を与えることもあるのだ。 ネオコン教の根源に根付く「弱肉強食」の論理は、強者が弱者を食い物にすることを正当化するロジックが埋め込まれているが、食い物にするどころか、食い物にもできないように根こそぎ死滅させてしまう傾向さえあることを、私たちは見てきた。 自公政権が回転させてきた「後ろ向き」の歯車は、まだその回転のままである。世界の一大変革期に、米国はブッシュを選出して没落した。他者を支配して幸せをもたらすことなどない。力による支配は継続できない。そうした教訓を世界は負の資産から如実に汲み取ったが、自公政権の「後ろ向き」の回転は、まだ続いているのである。 ゆえに、総選挙で勝つための当面の策として、景気や雇用などの対策を盛り込もうとしても、それは続けてきた「後ろ向き」の、負の政策の否定に自ずとつながる。だから自民党内が混乱してあわてふためき、収拾がつかなくなるという姿を繰り返しているのである。 いっこうに前に進まない日本の政治。ゆえに社会状況も前に進まない。 自公政治は、安倍時代の復古改憲調で見事に時代を無視した未熟で独りよがりな姿をさらけ出し、郵政総選挙のときに獲得した衆院多数をテコに持ち回りの短命政権でその場をしのいできたが、いいかげんもう終わりである。これ以上、なんのために後ろ向きの政治に国民がつきあわされねばならないのか。 命をかけてまで自民党の政治家や、自公政権を守らねばならない理由がどこにあろうか。もはや終末期に入った自公政治の最後の力をむしりとろうと、種々のプロパガンダを請け負う画策が進行しているようだが、得体の知れないところから登場してくるプロパガンダ、キャンペーンの類は、いずれも短命、不発、失敗に終わっている。 そうした見方から、19日午前の参院本会議での野党勢の雇用対策4法案の可決(民主、社民、国民新提案、共産賛成)、そして自民、公明、改革クラブの採決直前退席、棄権の状況をみておきたい。 「野党が参院で強行採決」という表現も表面的にとらえた場合には、そうともいえるが、いまおきていることを的確にとらえ、読者・視聴者に伝える表現としてはどうか。国会は「騎馬戦」ではないので、「陣営」だけをとらえて両者の様子を報じたところで、国民生活とは乖離するばかりではないか。メディアは伝え手として、自らが面白がることも大切かもしれないが、表現文化において、演者の側が自分が笑っていてはお客は白けるばかりであることも忘れるわけにはいかないだろう。 何を伝えようとしているのか。何をいま伝えるべきなのか。そのことに呻吟し苦闘してこその表現メディアではないのかと思う。 また、政治家は浮き足立っていないか。野党側は、麻生政権の不支持が確定的になっている状況だからといって、自分たちが国会で浮き足立って踊ってしまえば、自公政治となんら変わらない姿に、失望をもたらすだけである。 自公を追い込んでいく戦術としては、早期成立が期待されているきめ細かな経済政策を参院で矢継ぎ早に成立させて攻勢を明確にし、衆院で自公与党がそれを否決にかかれば、それこそ国民生活との乖離、自公与党が口でいっていることとやっていることの乖離・矛盾を浮き彫りにできるかもしれない。 だがそれはあくまで「戦術」であって、「戦略」ではない。戦略とは「理念」のことである。生き方が問われる部分で共感を得ることなしに、ただ戦術に走れば、早晩自公と本質は変わらない政治屋集団なのかと、国民を落胆させかねない。そのことを野党側は自覚すべきだろう。雇用対策4法案について、共産党は委員会での採決に「審議が足りない」として反対意見を出したが、本会議では賛成にまわった。 今度の総選挙では、戦時路線を突っ走った自公両党は退場すべきであり、イラク戦争介入に反対した野党の議員こそが、国会を埋め尽くすべきだと考えてやまない私としては、国会審議を重視すべきであるとの態度を示して、これまでの自公勢力が与党としてなりふりかまわずやってきた強行姿勢と一線を画そうとした勢力があったことには安堵した。そして本会議では賛成票を投じて、ここでもまた自公政治のやり方と一線を画したことにも好感を抱くものである。野党勢の多様性を示したことも大きい。次の衆院の姿をかいまみることができたような気もした。 自公勢力と野党勢力の一騎打ちなどという硬直した伝え方、ものの見方では、日本の政治は変われない。ブッシュ米政権の政治が任期切れというのではなく、敗北して退場に追い込まれたいま、そして米国は初の黒人大統領を選出するという快挙をなしとげたいま、世界の構造もそこをながれる血液も、完全にブッシュのネオコン政策とは縁を切ろうとしているとかんがえてよいだろう。 イラク戦争介入に反対した野党が次の衆院を埋め尽くしたとき、どんな政治をやってくれるのかを、国民がもっともっと想像できるようなまもともな国会、国民のための国会、世界をまともな方向に導いていこうと呻吟し苦闘する多様な姿、多面的な知恵にあふれる雄雄しき姿をみせてほしいと思う。 オバマ政権に戦争をやらせようと策動する動きもすでにほのみえている。巨大な軍産複合体を胎内にかかえる米国としては、ある意味、当然ともいえる動きである。それを克服しようとする民意がブッシュの戦争反対で膨れ上がっているいまこそ、米国を「戦争依存体質」から救出するチャンスともいえる。経済的に絶望的に失墜したいまだからこそ、「戦争」を渇望する勢力が台頭する基盤もあるが、「戦争政治」が米国を地獄へ突き落としたことも米国民は強く自覚している。 日本国憲法を世界にいかに発信して、戦争のない地球を世界市民とともに創出していくか。それが私たちに課された課題である。第二次世界大戦で何千万もの先人の命を奪われ、その先人たちが命と引き換えに私たちに遺してくれたものこそ、日本国憲法第9条である。 私たちはその末裔である。その末裔が主体となってこの国を構築している。 国会は、総選挙をなんとか先送りして国民に自己正当化の論理を浸透させ、与党としての支配体制を継続したい自公勢力と、その後ろ向きの政治のツケを突破口に、苦境に追い込まれている民意をかきあつめようとする野党勢力とが対峙している。 自公政治の後ろ向き政治の被害から、国民を救い出すことは緊急の課題である。しかしながらそれだけで終わってしまえば、イラク戦争に反対した野党勢の見識も勇気も、国民には伝わらない。アンチ自民、アンチ自公政治で野党が結集する時代はとうに卒業しているように私には思えてならないのである。アンチで結束するほど自民党の実態はもはや浅薄の極みに達している。国民にあきれられ、賞味期限が切れたどころか、その時代おくれの政治姿勢からいってもはや寿命が尽きたというべき状態にある。それをはっきりさせるには、「敵」や「アンチ」として叩くだけではなく、次の衆院の姿、次の国会の姿、次の政治の姿、次の新たな日本の経済社会の姿を少しずつくっきりと国民の胸に伝えかけていくことが大切なのだろうと思う。 日本はいま、自民党の「お上」政治から卒業すべきときを迎えている。 その一大改革のときであることを政治家は努々忘れてはならないし、メディアは断片的・表面的な報道・表現から抜け出して、時代を国民とともに共有する重大な役割をそれぞれの視点と力量と勇気をもって、豁然と描き出していくべきときだろうと思えてならないのである。 |
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