抵抗と連帯の中から反資本主義左翼 潮流形成への一歩を共に踏み出そう資本主義の世界的危機 「(ブッシュ米大統領)は)経済運営においては功績を認めないわけにはいかない。07年現在のほぼ全世界的な好況を導いた功績は、グリーンスパン(米連邦準備制度理事会〔FRB〕議長)と彼(ブッシュ)にあると思われる」。 今となっては悪い冗談としか思われないこの言葉は、ほんの一年ちょっと前(07年10月30日)に刊行された竹森俊平・慶応大経済学部教授の『1997年―世界を変えた金融危機』(朝日新書)の一節である。サブプライムローン危機が大きな問題となり始めていたこの時期に、著名なブルジョア・エコノミストたちは、新自由主義的なグローバル資本主義の将来について、いまだ強気の楽観主義を装っていた。二〇〇八年一月になっても、当時の福田首相は「日本経済は依然として堅調」という立場を崩していなかった。 しかし九月十五日に起こった米第四位の大手証券会社リーマン・ブラザース倒産を決定的な契機に、ひとりよがりのかすかな楽観論は完全に姿を消した。今や全世界は「百年に一度の経済危機」に覆いつくされている。銀行や証券会社の垣根を超えた巨大複合金融機関(LCFI)を主体とした金融投機の破綻は、「カジノ資本主義」の崩壊として現象した。 それは全世界の金融市場の機能をマヒさせ、株価の崩落、金融機関の倒産や公的資金の注入による「救済」と「国有化」、一人あたりGDP(国内総生産)がトップクラスだったアイスランドのような事実上の「国家破産」にまで及んでいる。 一年前、毎日新聞社の週刊経済誌『エコノミスト』の08年迎春合併号は「2008 サブプライムがとどめ 米国没落で始まる世界恐慌」という大見出しの巻頭特集で反響を呼んだ。久しく「死語」のように扱われていた「恐慌」という言葉も今や当たり前のように使われている。 十一月十四、十五日にワシントンで開催された金融サミット(G20)は、深刻な危機の深化の中で、事実上、戦後のドル基軸通貨体制の終焉を印象づけるものとなった。多国籍金融資本の「自由な活動」を促す「規制緩和」の流れは決定的な挫折をこうむったことを、G20は確認せざるをえなかった。しかしG8諸国から中国、ブラジル、インドなど「新興発展諸国」をふくむ参加各国は、国家の介入による金融投機規制の必要性を「確認」しながらも、「ワシントン・コンセンサス」に代わる新たな「秩序」への回路を見いだしてはいない。 G20、そして十一月十九日から二十日までペルーのリマで開催されたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の閣僚会議と首脳会議は、金融危機が「自由貿易主義」を脅かすことに共通の危機感を抱きながらWTO(世界貿易機関)ドーハ・ラウンド交渉の「年内大枠合意」を声明の中に盛り込んだが、ジュネーブで行われた交渉でそれは再び破綻に終わった。 ローン債券の証券化、デリバティブ(金融派生商品)としてのCDSなどの「金融工学」的手法を駆使したサギ商法が乱舞する「カジノ資本主義」こそ、新自由主義的グローバル化の原動力であった。世界的に過剰な流動資本は生産的投資に吸収されず金融市場での投機に向かった。一九九〇年代の後半から二十一世紀にかけて世界的な為替取引の総額は世界貿易と対外直接投資総額を合わせた額の四十倍から五十倍に達している。この金融バブルが破綻したのである。 世界を席巻した新自由主義的グローバル化は歴史的な終焉を迎えることになった。しかし、資本とその利害に奉仕するブルジョア国家は、「規制緩和」と民営化、自由貿易主義と市場競争万能の論理によって貧困と格差、環境と民衆生活の破壊、戦争・軍事化と民主主義・人権の剥奪をもたらした新自由主義の論理に代わる「秩序」への代案を持つことができない。世界的危機はまさに「無秩序」への坂道を転げ落ちるスピードを加速しているのである。 脅かされる「生存の権利」 金融恐慌はただちに実体経済の急速な不況局面への転化に連動した。経済先進国で構成するOECD(経済開発協力機構)は十一月十三日に、加盟三十カ国の経済成長率見通しを発表した。それによれば米国、ユーロ圏、そして日本、そしてOECD全体のいずれにおいても、二〇〇九年のGDP(国内総生産)成長率見通しがマイナスになると予測している。加盟国全体の成長率見通しがマイナスになるのは、OECDが一九六一年に発足して以来、初めてのことである。 金融危機の震源地だった米国では、基幹産業である自動車産業のビッグ3(GM、フォード、クライスラー)が倒産の危機に見舞われている。十二月十一日、最大百四十億ドルに及ぶ緊急融資によってビッグ3を救済することを盛り込んだ法案が米上院で否決されたことにより、事態はさらに困難な状況に陥っている。終末を迎えたブッシュ政権は総額七千億ドルの金融救済向けの公的資金の一部をビッグ3に転用する対策を検討しているが、かりにオバマ政権発足後の一月議会で「本格救済」を審議する以前に「つなぎ融資」がなければ倒産の可能性もある。そうなった場合、数百万の雇用が失われると見られている。 EU、日本、そして中国、ロシアをはじめとした「新興発展国」においても事態は同様である。日本では各種の調査機関予測でも一九九八年の金融危機以来の景気後退が予測され、当面短期的回復の予測はたてられていない。日本を代表する大資本であるトヨタでも海外での景気後退、円高などの影響で販売高が大幅に下落し、今年度下半期の決算が赤字に転落すると予測されている。 こうした経済危機の中で、資本は次々と期間社員、派遣などの非正規労働者の解雇、雇い止めに踏み込んだ。トヨタ、日産、いすゞなどの自動車産業をはじめパナソニック、シャープ、キャノンなどの大手製造業資本ではすでに三万人以上が「派遣切り」「雇い止め」を通告され、寮などを追い出されてこのままでは路頭に迷う状況に追い込まれている。大学などの新卒採用予定者の「内定取り消し」も続出している。 さらに大手電機資本のソニーは、国内外の工場の一割を廃止し、一万六千人の労働者を削減すると発表した。そのうち半数の八千人は正規労働者である。雇用の「安全弁」とされた非正規労働者への解雇を皮切りに、本工労働者のリストラにまで事態は及んでいる。そして大手製造業の生産削減は、中小の下請け・孫請け企業の倒産へと直結している。 日本経済は、政府発表によれば、二〇〇二年二月から〇八年七月まで、一九六五年十一月から七〇年七月まで続いた「いざなぎ景気」を上回る長期の景気上昇局面にあるとされてきた。しかしこの期間、企業収益は六%増加し、株価も一五・二%上昇したにもかかわらず、勤労者の実質所得は減少していたのである。それはこの間の「景気拡大」が、もっぱら「外需依存」と、労働力の三分の一以上を不安定で低賃金の非正規労働者の急速な増大による搾取の強化に依存してきたことを示している。 いま、「底なし」とも言われる経済危機への転落によって、「派遣」をはじめとする労働者の首切りの嵐が吹き荒れている。それは数十万、数百万の労働者の生存が直接に脅かされることを意味する。「景気拡大」の局面にあっても、大資本が空前の利益をためこむ一方で、一千万人以上が年収二百万円以下の「ワーキングプワー」となっていた。正社員は「過労死」を強制されるほどの超長時間・過密労働を強制され、「派遣」などの非正規社員は無権利と貧困にさいなまれてきたのである。 小泉・竹中が主導した新自由主義的「構造改革」路線の下で進められた医療費削減など社会福祉の大幅切り捨てともあいまって、日本の「貧困率」はOECD諸国の中でも米国に次いで二番目という超「格差社会」となっていた。一九九五年の日経連報告「新時代の『日本的経営』――挑戦すべき方向とその具体策」で打ち出された雇用の三形態(「長期蓄積能力活用型」「高度専門能力活用型」「雇用柔軟型」)に基づいた雇用の「差別化」の推進は、まさにこの危機の中で膨大な非正規の「雇用柔軟型」グループの切り捨てとして貫徹されているのである。 そして一九九九年の労働者派遣法改悪による「ネガティブリスト方式」(特定の業務にしか派遣を認めないポジティブリスト方式から、派遣対象業務を原則自由化し明記された特定業務にのみ派遣労働を禁止する方式への転換)の採用、二〇〇三年の改悪による製造業・医療業務への解禁と派遣期間の最大三年までの許容は、切り捨ての嵐のためにフル活用されている。 オルタナティブへの道
われわれがいま直面しているのは、三十年にわたって世界を支配した新自由主義の破綻がもたらした恐慌という歴史的局面である。それは言うまでもなく「資本主義の終わり」ではない。資本主義は労働者・民衆の闘いによって打倒され、新しい社会主義的秩序によって置き換えられることぬきに「終わらない」からである。 この中で問われていることは、新自由主義の枠組みを「新ケインズ主義」的な「規制」の手法を補完的に導入することで弥縫しようとするのか、それを超えてグローバルな労働者・民衆の闘いの連携の中から反資本主義的なオルタナティブ=「二十一世紀の社会主義」への「ロードマップ」を構想しようとするのか、という問題である。資本主義的グローバリゼーションの現実は、ブルジョア「国家」による規制を自ずから限定的なものとせざるをえないだろう。過剰資本は国境を超えた金融的投機とその爆発を繰り返す。その惨害は、さらに地球的な貧困と飢餓、自然的・人間的環境の破壊、戦争、排外主義、テロリズムの連鎖をもたらさざるをえない。 ブッシュの「対テロ」グローバル戦争として表現された米国の一極覇権的「単独行動」主義は、イラク・アフガニスタン戦争の泥沼化と政治的敗北に金融・経済恐慌が追い打ちをかけることで大きな打撃を受けた。史上初のアフリカ系アメリカ人大統領として、黒人や青年層の圧倒的支持を得て選挙で歴史的勝利を収めたバラク・オバマの登場は、「変革」の機運を体現するものであった。 しかしわれわれは米国が依然として突出した軍事的覇権国家であることを忘れてはならない。もちろんオバマのアメリカは、傷つけられたアメリカ帝国主義の外貌を修復し、深刻な経済危機に対処するためにもブッシュ路線からの「転換」を進めざるをえないだろう。「転換」は、パキスタンへと拡大し、もはや「勝利」の展望を喪失したアフガニスタンの「対テロ」戦争からの撤退にまで踏み切れるか否かによってテストされる。そしてこの点でわれわれは、アフガニスタンの戦場への「増派」を訴えているオバマへの幻想を持つことはできないのである。 今日の資本主義の世界恐慌は、新自由主義的グローバル化がもたらした気候変動の危機、食糧・資源危機と重なり合っている。それは二十世紀初期の社会主義革命運動が鋭く提起した「社会主義かバーバリズムか」という時代認識を、新たな位相で蘇らせるものである。そこで求められているのは、たんなる「景気対策」や「雇用対策」などの狭義の緊急経済政策に止まるものではない。そこに止まる限り、「危機」を口実にした労働者へのリストラ、賃金の押し下げ、労働強化、そして労働者間の「底辺への競争」エスニック的・宗教的ナショナリズム、排外主義の煽り立てを通じた資本の「階級権力」の再構築の攻撃に立ち向かうことはできない。 われわれは、「金融機関の救済」や「雇用の確保」を名目にした、大資本の利益を擁護するための「緊急避難的」な一時的・部分的「国有化」に賛成することはできない。それは労働者に対しては、雇用削減と労働条件の悪化、権利剥奪を意味している。 大資本を救済するのではなく、労働者、小農民、小商工業者、貧しい人びとの生活を緊急に防衛するための資金投入こそが必要である。「国有化」は労働者たちの雇用と社会的権利を防衛し、労働者と住民の参加と管理の下に大資本の指揮・命令権、利潤を制限し、環境的持続可能性や「民衆の安全保障」を重視した産業転換を促進していくためにこそなされなければならず、そのための国際的・国内的な連携とネットワークが追求される必要がある。それは資本の権力の侵害を必然的に伴うものである。 レーニンが「さしせまる破局、それとどう闘うか」(1917年9月)、トロツキーが「フランスの行動綱領」(1934年6月)、「過渡的綱領」(1938年9月)に著した労働者階級の権力のための闘争に向けた闘争と諸要求のための体系的プログラムは、もちろん今日の情勢において直接的に適用することはできない。何よりも資本との闘いにおける階級意識と集団的な行動、そしてそうした労働者・民衆の闘いを資本主義国家との闘いに凝縮していくための主体的条件の形成には、紆余曲折に満ちた相対的に長期にわたる困難な局面を経過しなければならない。しかしそこに表現された資本主義国家との闘いに向けて労働者・民衆を獲得する行動の思想的核心を、現在的に継承することは重要な意義がある。 必要なことは、金融・経済・環境・食糧・資源エネルギー問題が連動したグローバルな危機の構造への多様な抵抗を媒介に、この「資本主義の危機と限界」を「平和・人権・公正・民主主義」に貫かれた新しい政治・社会・経済システムへと変革していくための徹底した討論と柔軟な共同の戦線の形成であり、反資本主義的なオルタナティブ政治潮流を形成していくための目的意識性である。 崩壊間近の麻生政権 歴史の転換を画する世界金融・経済恐慌の中で、安倍・福田両政権の相次ぐ突然の政権投げ出しを受けて成立した、九月末に成立した麻生政権は僅か三カ月も経たずに迷走と内部分解の末に、崩壊寸前の状況にある。 自公連立政権は、二〇〇五年の「郵政民営化」解散・総選挙で得た衆院三分の二の絶対多数の遺産にももかかわらず、二〇〇七年参院選挙で大敗し、参院の過半数を参院第一党たる民主党を野党に奪われたことによって、政権運営能力の喪失にたたき込まれたのである。安倍政権は、所信表明演説二日後に自壊してしまった。福田政権は小沢・民主党党首との意表をついた「大連立」構想が民主党内部の同意を得られず頓挫して以後、与党・公明党の離反によって、またも一年たらずで「辞任」した。 公明党のバックアップと、自民党総裁選挙レースの焦点化の演出によって後継総裁麻生の人気を煽り、解散・総選挙に持ち込もうとしたシナリオもパンクした。安倍と同じ極右政治人脈に属する麻生本人の政治家としての資質の欠如を暴露した相次ぐ失態の上に、世界的な金融・経済恐慌が直撃した。麻生首相は、小泉内閣以来の新自由主義的な「官から民」への「自己責任」論による福祉支出切り捨て、「財政再建・規制緩和」路線を放棄し、大規模な財政出動による緊急の経済危機乗り切り政策に転換することになった。 しかし「危機乗り切り」のための麻生の「解散・総選挙」引き延ばしは、麻生政権の支持率を急降下させた。世論調査での支持率は軒並み二〇%台前半であり、次の首相候補として小沢一郎・民主党代表を上げる意見が麻生を上回っている。今や解散・総選挙によって自民党が大敗し、民主党への政権交代が起きることは必至となっている。 麻生首相は十月三十日に、「生活支援定額給付金」の一律支給をふくむ事業規模二十七兆円の「追加経済対策」を発表した。さらに十二月十二日には、総事業規模二十三兆円の「生活防衛のための緊急対策」を発表した。これには一兆円の住宅・再就職支援なとの雇用対策もふくまれている。しかし総選挙を意識したこうした支出がもたらす効果に対しては圧倒的な疑問が寄せられており、それが三年後の消費税大幅増税という新たな大衆収奪とセットであることの明確化に対して、与党内からも批判の声が上がっている。実際、十二月十二日未明に決定された二〇〇九年度与党税制改正大綱では、消費税増税時期は明示されなかった。 麻生首相は「伝家の宝刀」である解散権を行使することすらできない。それは自民党の政権からの転落を早めるだけだからである。自民党内では「麻生下ろし」や選挙前の離党・政党再編への動きが加速している。 中川秀直・元幹事長ら小泉「構造改革」路線を踏襲し、バラマキを否定した新自由主義的な経済成長の加速化路線で「財政再建」を図ろうとする「上げ潮」派の動きも目立っている。しかしこの流れは、世界的に新自由主義への破綻が宣告された中では、新たな再編のための吸引力とはなりえない。何よりも、二〇〇七年七月参院選での自公与党の大敗の最大要因は、五年間の小泉「構造改革」政治がもたらした地域経済・社会の解体、「ワーキング・プワ」に象徴される貧困と格差の拡大にあったからである。 二〇〇七年七月参院選で示された「自公政治変革の民意」は、二〇〇九年九月の「任期切れ」を迎える衆院の解散・総選挙で、より大規模な形で表現されることは、ほぼ確実である。この趨勢において、小泉路線の継承を掲げるグループが自民党からの離脱・再編の中核となって影響力を持ちうることは当面ありえないと見るべきである。 改憲勢力の新たな動き 次に、われわれは小泉・安倍政治が押し進めた憲法改悪の流れが、急速に勢いを失う中での改憲勢力の動向についてどのように捉えるか、注意深く分析を進めていく必要がある。 二〇〇八年の世論調査は、改憲論が目立って後退したことを明らかにした。四月八日、一九九〇年代からの改憲論を主導してきた読売新聞は、一九九三年以来、十五年ぶりに「改憲賛成」論が反対論を下回ったという調査結果を発表した。「九条」に絞った改憲への是非ではなく、全体としての改憲そのものに反対する世論が賛成を上回ったのである(反対43・1%、賛成42・5%)。前年に比べて改憲反対が四%上昇し、それに対して賛成が三・七%減少した(詳細は本紙08年4月21日号、平井純一「危機意識を深める改憲派」)。 改憲プログラムをゴリ押ししてきた安倍・元首相の無残な自滅的敗北が、改憲世論の急速な後退・冷却を促したことは間違いない。しかしそこには全国で七千を超える「九条の会」の拡大や、二〇〇八年五月に開催された「9条世界会議」が予測をはるかに超えた熱気ある大成功を示したことに示される、改憲反対運動のねばり強い推進があったことは言うまでもない。そしてこの改憲反対運動は、今や憲法二〇条の「信教の自由」、憲法二四条の「個人の尊厳と両性の平等」、憲法二五条の「生存権と社会保障」とも結びついた社会運動的広がりをも開始している。 そして自民党総裁選においても、来るべき総選挙をめぐっても「憲法改正」への問題意識が政治の前景から姿を消している。 ここでは「改憲」論が当初からふくんでいる矛盾の構造が、国際的・国内的な危機の構造の中でより具体的に露呈したことを改めて見ることができる。すなわち「米国製の押しつけ憲法」ではなく、「日本人が主体的に制定する自前の憲法」という改憲論が内包する極右的国家主義と、改憲論自身が「日米同盟」の強化、とりわけブッシュ政権の下でのネオコン主導による「対テロ」グローバル戦争と自衛隊の一体化という要請に基づくものである、という現実との矛盾である。改憲論自身が米国政治エリートたちの明確な要請であることは、一九九九年と二〇〇七年の二度にわたる「アーミテージ報告」が端的に示している。 二〇〇一年に発足した小泉内閣は、「自民党をぶっこわす」とのかけ声で、新自由主義的「構造改革」路線を押し進め、ブッシュ米政権の「対テロ」先制攻撃戦略に追随し、アフガニスタンとイラクの戦争に自衛隊を派兵した。小泉首相はまた靖国神社への「公式参拝」を繰り返し、中国・韓国との外交関係を最悪のものにしてしまった。こうしたブッシュ戦略と一体化した小泉政治の帰結こそ、二〇〇五年に策定された「自民党新憲法草案」だった。 小泉の後をついだ極右の安倍内閣は、「日本会議国会議員懇談会」を中心にする極右「靖国派」人脈で政権中枢を固め、「戦後レジームからの脱却」を掲げて教育基本法の改悪を実現するとともに憲法改悪への道を突き進んだ。一方、自らの政治信条に反して首相在任中の「靖国神社参拝」については封印し、中国や韓国との外交関係の復旧を行わざるをえなかった。しかし、この政治操作は、「日本軍『慰安婦』の強制連行はなかった」という「侵略戦争・植民地支配」否定の歴史観がアメリカの逆鱗に触れてブッシュへの「謝罪」を行うはめに陥るなど、重大な破綻を被ることになってしまった。安倍政権の自滅とブッシュのイラク戦争の大失敗は、「五年以内の改憲」というプログラムを事実上棚上げにしてしまった。 当面、支配階級の全体意思を体現する改憲勢力は、「対テロ戦争」を支援する「国際協力」という「大義」の下に、明文改憲による突破を避けながら具体的な海外派兵の実績を積み上げることに課題を絞っている。安倍・福田・麻生政権が三代にわたって執念を燃やした、アフガン戦争支援のための海上自衛隊によるインド洋での洋上給油作戦を継続する「新テロ特措法」がそれであり、続いてソマリア沖での「海賊取り締まり」を名目にした海上自衛隊派遣の特措法が、次の通常国会で日程に上っている。 この法案は、安倍政権の下で設置されたが「お蔵入り」になっている、集団的自衛権行使を違憲とした「政府見解」を変更するための「安保法制懇」の報告書を復活させ、集団的自衛権の行使に道を開くものである。そしてそれが、海外派兵恒久法制定へのステップであることは言うまでもない。重大なことは、民主党もまたこの事実上の「明文改憲」路線に同意していることである。 排外主義・国家主義許すな 同時にこうした米軍と一体となった自衛隊の恒常的な海外派兵・戦争国家化の流れに寄り添いつつも、幾度目かの挫折を経験した極右改憲派のフラストレーションが、爆発的な表現を取って噴出していることに注意しなければならない。それを示したものこそ、田母神俊雄・前空幕長の「日本は侵略国家だったのか」という論文だった。 田母神は、この論文の中で「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずりこまれた被害者」と主張し、張作霖爆殺も盧溝橋事件も真珠湾攻撃もすべて「コミンテルンの陰謀」であるとか、満州、朝鮮、台湾の植民地支配によって「現地の人々は圧政から解放され、また生活水準も飛躍的に向上した」とする、きわめて低劣な自己満足の「近代史観」を披露している。また「多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価している」として「私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない」と強調する。 田母神はさらに国会での参考人質疑において「われわれは良い国だと思わなければ頑張る気にはなれない。悪い国だと言っていては自衛隊の士気にもかかわる」「村山談話は言論弾圧の道具」と言い放ったのである。田母神は自衛隊のトップとして組織的にこの極右思想で隊員を武装する活動を行っていた。二〇〇三年に彼が統合幕僚学校長だった時に「幹部カリキュラム」として設置した「国家観・歴史観」コースの講師がいずれも「新しい歴史教科書をつくる会」人脈によって占められていたことは、それを物語るものである。 さらに田母神の主張は、戦後「親米右翼」としてのあり方を否定する「反米ナショナリズム」に大きく傾斜している。彼は「週刊現代」(08年12月20 号)の「独占激白『米軍撤退核武装宣言』」において自衛隊の米国製装備が「大がかりにボラれている」ことや米軍への「思いやり予算」を批判し、「米軍の撤退がなければ、日本は真の独立国家とはいえない」「今後、日本が自立した国になるのにもっとも有効な手段は、日本が核武装することです」と主張する。 かつてブッシュとネオコンのイラク侵略戦争を賛美していた極右イデオローグの一人である中西輝政(京大教授)が、今やイラク戦争の失敗と米国の金融恐慌を契機に「米国基軸の世界秩序」の終焉を主張し、「米国離れ」と「日本の自立」を主張しているように、極右国家主義勢力の一部が田母神論文を押し立てながら、「対米自立」的主張に流れる可能性に注意すべきである。もちろんそれがブルジョア保守勢力の主流になるとは想定できない。しかしこうした流れが、新自由主義に対する伝統的右派からの批判と結合しながら全体としての改憲・右派勢力を牽引する極となりうる可能性を軽視することはできない。自衛隊海外派兵の恒常化は、自衛隊制服組の「政治勢力」化を促す要因である。 われわれはファシズム運動が勃興した一九三〇年代の世界と今日の状況を単純にアナロジーするべきではない。しかし、アメリカ帝国主義の単独覇権的秩序の衰退、世界的金融・経済恐慌がもたらす政治的・社会的不安定が、排外主義的ナショナリズムの基盤を醸成していくことに十分な警戒を払い、そうした流れに対する広範な共同戦線による反撃を基礎に、グローバルな展望をもった「公正で民主主義的な世界」へのオルタナティブを対置していくことこそが問われている。 自公政権を打倒せよ 世界的な金融・経済恐慌と倒産・解雇・「雇い止め」ラッシュの中で幕を開ける二〇〇九年の日本政治情勢は、解散・総選挙を通じて新しい局面に入ることになる。それは旧来のブルジョア統治システムの決定的破綻によって刻印される、議会内政治勢力の再編が押し寄せる一年となるだろう。 われわれは、来るべき総選挙において何よりも自公政権の打倒の実現を掲げ、共産党、社民党など憲法改悪反対・新自由主義的「構造改革」反対の政党・候補者への投票を呼びかける(本紙08年11月3日号、日本革命的共産主義者同盟(JRCL)中央委員会決議参照)。「自公政権の打倒を実現することは、オルタナティブな左翼潮流の形成をめざす労働者・市民の運動にとって新しい政治的空間を切り開くための条件である」(同決議)からである。 この闘いの中で、労働者・市民は「政権交代」の主役を演じることになる民主党に対して批判的な立場を堅持する必要がある。「民主党は『日本会議』に属する極右国家主義者から、リベラル『市民』派、社会民主主義的傾向までの混合であり、労働組合センターの『連合』に支持されている。しかし、民主党は党の基本方針として『改憲』を支持し、国連の傘の下での海外派兵を許容する『安保・国際協力』の『基本法』制定を支持し、さらに『生活第一』を主張しながらも新自由主義的グローバル化を促進する『小さな政府』や『規制緩和』を基本的に支持する、もう一つのブルジョア政党である」(同決議)からである。 民主党主導の連立政権の誕生は、自民党内の分裂や自民・民主双方にまたがる分裂・統合をふくむ新しい政治再編に直結することになるだろう。こうして長期化する金融・経済危機の下で、日本の議会政治的情勢も数年にわたって分解・再編が繰り返される、きわめて不安定な時代に突入する可能性が大きいと考えられる。それは同時に共産党から社民党、そしてそこから独立した立場を維持してきたわれわれをふくむ左翼潮流や労働運動・社会運動・市民運動にとっても厳しい政治的決断を迫られる時期である。 そしてこのような政治的分解・再編の嵐が吹き荒れる情勢の中においてこそ、われわれは自立した大衆運動の発展とその共同・連携の努力に全力を上げなければならない。 第一は、金融・経済恐慌が吹き荒れる資本の攻撃に対して、「派遣」労働者を先頭にして開始されている解雇・雇い止め・「派遣切り」をはね返し、労働者の雇用と生活を防衛する運動を大きく発展させ、新しい労働組合運動の組織化と全国的連携に踏み込むことである。とりわけナショナルセンターの枠を超えて前進を始めている労働者派遣法の抜本改正の闘いは、まさしく正念場である。 京品ホテルの労働者たちの自主営業・職場確保の闘い、自動車や電機での期間労働者、派遣労働者たちの解雇・派遣切り・寮の追い出しなどの生活権そのものを剥奪する悪辣な攻撃を全力で跳ね返そう。こうした闘いと結びつき、国鉄労働者1047名の闘争の勝利を実現しよう。非正規労働者、野宿者、高齢者、障がい者、シングルマザー、在日外国人、移住労働者などが相互に連携した「反貧困」ネットワークの発展を共に担おう。 第二は、こうした闘いをグローバルな観点から位置づけ、強化していくための「オルタ・グロバリゼーション運動」(グローバル・ジャスティス運動)の系統的な展開である。二〇〇八年のG8北海道サミットに対抗する運動は、日本における非正規労働者、野宿者などの運動を支える人たちが直接にG8との闘いに世界の人びとと共に合流する契機を作りだした。先住民族、環境、食糧・農業主権などのテーマに取り組んできた市民、NGOの人びとも新自由主義と自らの闘いのテーマとを関連させるステップとなった。 世界社会フォーラム(WSF)に体現される「オルタ・グローバリゼーション運動」は、グローバルな金融・経済危機の深まりの中で、再編・分化の渦中にある。そうであるからこそ「オルタ・グローバリゼーション」運動は、形作られてきたアジア・世界とのネットワークをさらに発展させながら、さまざまな社会的抵抗の運動と意識的・積極的なつながりの糸を太くしていく必要がある。 第三は、アフガニスタン戦争への支援、ソマリア沖派兵などを通じて、「対テロ」戦争の主戦場に自ら乗り出そうとしている自衛隊の海外派兵、派兵恒久法の制定を通じた「戦争国家」化・事実上の「明文改憲」との闘いをさらに広範に繰り広げることである。「派兵恒久法」の制定を阻止し、沖縄・辺野古、高江の新基地建設阻止反対、岩国、座間などを軸に取り組まれている「米軍再編」反対の反基地闘争に勝利しよう。この中から憲法改悪阻止の運動の広がりをいっそう「草の根」的に発展させ、「九条改憲」の動きを葬り去ろう。 第四は、今年十一月十二日に行われる「天皇在位二十年奉祝」式典に反対する全国キャンペーンを共に担うことである。田母神論文に突出的に表現されている極右国家主義との闘いは、安倍・麻生政権の中枢が「日本会議国会議員懇談会」の「靖国派」によって占められていることに示されるように、現在の「国家イデオロギー」の核心にあるものを撃つ闘いでもある。とりわけ経済危機と社会不安の浸透を通じて、「象徴天皇制」による国民統合の攻撃は多様な形で深まっている。「ハード・ソフト」の両面からキャンペーンされる「在位二十年奉祝」式典に対して明確な批判の意思を表明しよう。 「新しい左翼」への挑戦 新自由主義的グローバリゼーションの破綻と金融・経済恐慌の中での資本攻勢は、ソ連・東欧のスターリニスト官僚体制の崩壊を決定的な転機として「過去」のものとなったように思われた「階級闘争」、「社会主義」などの用語を部分的にではあれ復権させはじめている。ベネズエラ、ボリビアなどの「反米左派」政権は「二十一世紀の社会主義」を掲げている。 労働者運動と階級意識が最も衰退した資本主義大国である日本でも、「貧困」との闘いを通じて、「貧しい者の連帯」や「資本への集団的行動」の端著的な発展の中から、「資本主義の限界」が公然と論議される局面に入ろうとしている。大衆的な行動の一つ一つの経験を通して蓄積される「反資本主義」の階級意識は、いまだ少数の人びとの間であるとはいえ、次第に形を取りつつある。「蟹工船」ブームと共産党への関心の広がりは、それを象徴するものであり、たんなるエピソード的な現象ではない。 少なくとも数年間にわたって続くであろう金融・経済恐慌は、それがもたらす生存そのものをかけた厳しい闘いの中から、政治意識の分化と結晶化のスピードを速める条件を作りだす。それは同時に、絶望の表現でもある極右的排外主義や国家主義との熾烈な闘いの場ともなるだろう。 この階級意識の分化は、明確な反資本主義的な政治意識=オルタナティブな社会主義を切り開こうとする政治潮流へと凝縮されることによってこそ現実化される。それはスターリニズムや内ゲバ主義と明確に決別した、民主主義的で複数主義的な革命潮流によって担われるものである。 われわれは第四インターナショナルの同志たち、フランスにおける反資本主義新党の経験にも学びつつ、自らの主体的闘いを通じてねばり強く、あきらめることなくこの課題に挑戦するだろう。若者たち、女性たち、そして抑圧されたすべての人びとと共に前進しよう。 (平井純一)
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