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10月26日、麻生太郎総理が秋葉原で街頭演説会を行った。「秋葉原に来ると元気がでる」と言い、総理大臣になってからは街を歩きにくくなったと発言したと報道では伝えられている。 世の中では、「麻生総理はアキバ系」という伝説がつくられ、それを信じている人が多いようだが、はたして本当なのだろうか。 わたしは「日本メイド協会」という団体の理事を務めているのだが、周囲の誰に聞いても、麻生総理がメイド喫茶に立ち寄ったという情報はない。ちなみに、この団体はメイドの普及と情操教育を目的に設立された国内唯一のメイド関連事業者の団体であり、検定試験まで設けられている極めてまじめな団体である。 メイド喫茶だけではない。コスプレショップやフィギュアのショップに来た形跡もない。そもそも本当に秋葉原に来ていたのだろうか。いくら総理大臣になる前であっても、あそこまで有名な人なのだから、普段秋葉原に来ていれば、顔を見たという話を聞いてもおかしくないのだが、それもない。 結局、麻生総理が秋葉原に来たのは遊説のときだけのようなのだ。オタクの味方というのも怪しい。すべては選挙のためのイメージ戦略としか思えないのである。 わたしは政治家を出自で云々するのは好きではないが、結局のところ、麻生総理は都心の一等地の豪邸に住み、優雅な暮らしを続けてきたというのが真の姿ではないのか。もちろん、豪邸に住もうが、高級レストランで食事をしようが、ホテルのバーで高い酒を飲もうが、庶民の気持ちを理解できるだけの想像力があればいい。だが、数々の言動を見ていると、どうもそうした想像力に欠けているような気がしてならないのだ。 ところで、この原稿をまとめている間に、追加の経済対策が発表になった。せっぱつまった金融危機や公明党のプレッシャーもあったのだろう。最低限のレベルはクリアした内容となったようだ。だが、これで景気対策が終わりというわけではない。今後も難しい景気の舵取りが必要とされるなかで、庶民の生活実態を理解しているとは思えない麻生総理が、的確な対策を打っていけるのか、わたしは心配でならないのである。 地方と農村に冷たい、都会人の麻生総理麻生総理の選挙区は福岡8区である。直方市、飯塚市など、かつての筑豊炭田の中心に位置し、現在は不況の影響をまともに受けている地域である。だから、麻生総理は地方や農村の疲弊を身に染みて感じているかといえば、どうもそうとは思えない。そうした麻生総理の立場をよく表していたのが、9月29日に行われた所信表明演説であった。あの演説では、「民主党」という言葉を12回も使って、民主党の政策や国会運営の姿勢を問いただす異例のものとなり、メディアでもそればかりが注目された。しかし、それ以外の内容−−こと地域経済振興の観点からみると、何とも地方に冷たい発言のオンパレードなのである。 「目指すべきは、地域の活力を呼び覚ますことだ。それぞれの地域が誇りと活力を持つことが必要」というのはいい。だが、こう続けたのだ。「その処方せんは、地域によって一つずつ違うのが当たり前。中央で考えた一律の策は、むしろ有害ですらある」というのである。つまり、地方に自己責任を求めたのである。 農林水産業については、「50%の自給率を目指す」としたが、ここでも「農業を直ちに保護の対象ととらえる発想は、この過程で捨てていかねばならない」として、農業の自立を訴えた。 民主党の個別所得補償との違いを浮き立たせようとしたのかもしれないが、いきなりそんなことを言われても農家は困ってしまうだろう。まじめに農業をやっている人の中には、実質年収100万円台というケースも珍しくない。そのなかで、いきなり「がんばって立ち上がれ!」と言われても無理な相談である。「競争力をつけたいから金をくれ」といっても、「中央で決めた策はかえって有害だ」と拒絶するのだろうか。 もちろん、政治家が貧乏であるべきだとか、地方に住んでいなければいけないというわけではない。ただ、一国のリーダーなら、あらゆる分野に知見を持ち、幅広い階層に目配りをする必要があるのではないか。 福岡の選挙区から出ているのだから、福岡県の農家にしばらく居候をして、どれだけ苦しいのかを肌で感じてみてはいかがだろうか。あるいは、ネットカフェに出向いて、リクライニングシートに座って夜を明かすことがどれだけ大変か、実際に体験してみるのはどうか。麻生総理はある意味で素直な人だろうから、そうした体験をすることで考えが変わるかもしれない。 日本は恐慌の罠にかかろうとしているかねてから麻生総理は「景気の麻生」と言われてきて、わたしも多少の期待をしたのだが、先日の自民党の総裁選でその正体が明らかになった。誰のための景気対策かといえば、彼の目には基本的に金持ちと大企業しか映っていないように見える。自民党総裁選のなかで、麻生総理が主張してきた景気対策は、設備投資減税や株式投資減税など、富裕層や大企業に有利な政策ばかりだった。「麻生総理は、これまでの小泉構造改革とは異なる景気優先姿勢を示している」としばしば評されているが、わたしには、根本的には小泉元総理と大差がないように見える。この期に及んで、金持ちと大企業を優遇するという考えも同じあり、防衛に関してタカ派であることも同じだ。定額減税にしても、公明党が主張しているから盛り込んだというのが当初のスタンスだったようだ。 小泉元総理は横須賀という都会育ちだから地方や農業に冷たかったが、麻生総理は地方出身だからそれを何とかしてくれると考えたのが間違いだった。よく考えてみると、彼は東京都心の住民であり、しかも勝ち組だったのだ。 財政政策について、米国のオバマ大統領候補は対照的である。彼は、はっきりと金持ち増税、庶民減税を打ち出している。 わたしは、なにも正義の味方ぶって庶民減税を言っているわけではない。このまま金持ち優遇、庶民無視を続けていけば、経済がとんでもない状況になり、金持ちも庶民も一人残らず不幸になるからだ。 いま、わたしが不安に感じているのは恐慌の再来である。「この現代に恐慌など起こるわけがない」と思っている人も多いだろうが、そんなことはない。規模の大小はともかく、いつでも起こる可能性はあるのだ。 歴史を見ると、あらゆる恐慌は同じシナリオで進行していることがわかる。まず、資本家がどんどんと強欲になって所得を独占していく。すると、庶民にカネが回らない。一方で、資本家は増えた所得で設備投資をして供給力を上げる。しかし、庶民に金がないから消費が低迷する。 するとどうなるか。供給過剰でドーンと値崩れを起こし、デフレに陥ってやがて恐慌となるのである。これがいままで何度も繰り返されてきた恐慌の基本パターンだ。まさに今、日本がその罠にかかろうとしている。 恐慌を防ぐには、金持ちに増税して、庶民に減税するというオバマ候補の政策が正しいのだ。 追加経済対策はもっと思い切ってやってほしかったさて、10月30日に発表になった追加経済対策である。事業規模は約27兆円で、「真水」といわれる実質的な財政支出を伴う部分は約5兆円となった。この規模と内容を第一次の緊急総合対策と比べると(3年後の消費税増税という話は別として)、少なくとも国民生活の視点が入ってきたという点で、ずいぶんよくなったと思う。 定額減税でなく、定額給付としたことで、納税額の小さい低所得層にも恩恵が出たことは歓迎したい。また、雇用保険料の引き下げ、高速道路料金の大幅な引き下げなど、生活にも配慮したものとなっている点は評価できる。 前日の29日に時価会計の見直しを検討するよう麻生総理が指示を出したことについても、米国から押し付けられた制度を見直すという点で、新自由主義からの脱却の弟一歩として評価したい。 ただ、住宅ローン減税を過去最大にするというのは、大きな借金ができる状況にない一般庶民には縁遠いものであり、また省エネ投資減税という投資側の減税にも賛成できない。いま困っているのは金持ちではなく庶民であり、不足しているのは供給ではなく需要なのだということを認識してほしいのだ。 その点でいえば、定額給付の規模はまだ不十分であり、高速道路の料金割引を複雑なものにしたことは評価できない。どうせやるなら、もっと思い切った対策が必要だったのではないか。赤字国債発行に踏み切る勇気がなかったことは、せっかく実施する景気対策の効果を小さくしてしまうことだろう。 懸命にがんばったが、まだまだ麻生総理は本当に苦しんでいる庶民のことを、実感として理解できていないのだろう。人間というのは、自分の周囲の環境からしかものごとを判断できないものである。渋谷区の何百坪という超豪邸に住み、おじいちゃんの真似をして葉巻をくゆらせている超セレブに、庶民の苦しみを実感してもらうのは難しいのかもしれない。 さて、最後に1つの事件に触れておきたい。10月26日、市民団体の企画によって「リアリティツアー 62億ってどんなだよ。麻生首相のお宅拝見!」という行進が実施されたのだが、そこで3名の参加者が逮捕されるという事件が起きた。 報道では、無届けでデモをしたために逮捕されたということになっているが、支援者が撮影したビデオを見る限りでは、彼らは警察の指導に従って歩道を歩き、横断歩道を渡っているだけである。もちろん、暴力行為もしていなければ、シュプレヒコールをあげているわけでもない。ただ、麻生総理の家に向かって行進していただけなのである。 もちろん、わたしはこの逮捕を麻生総理が指揮したと思っているわけではない。しかし、総理がこの逮捕を非難することもなければ、逮捕された市民を救い出そうとしていないのも確かだ。 いやしくも日本は民主主義国家である。権力が言論の自由を抑圧しようとすることは絶対に許されるものではない。もし、こんなことがまかり通るようであれば、日本は中国のことを批判できないではないか。また、この問題をまったく追及しようとしないメディアにも大きな問題があるとわたしは考えている。 |
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