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先月、全国紙は10月26日総選挙と解散風を煽ったが、麻生太郎首相が慎重姿勢を示し、一転、解散総選挙をめぐる情勢は混沌としてきた。各種の世論調査では自民党の苦境が伝えられる。自民党の歴史の中で、政権を失うかもしれない総選挙の引き金を引くことは、初めての経験である。前回の解散も自民党にとっては大きな賭けであったが、あの時は郵政民営化という戦いの旗印があった。したがって、自民党が主導権をとる形で総選挙を行えた。今回は、自民党総裁選挙も大して盛り上がらず、麻生政権にはご祝儀といえるほどの支持もない。二年続けての政権投げ出して自民党への不信感が高まる中、政権が追い込まれた状況で解散を行うためには、首相によほどの度胸が必要とされる。アメリカ発の金融危機は決断をためらう麻生首相にとって、格好の口実になったということができる。 当初の見通しから先延ばしになったとは言っても、一度起こった解散風を首相一人の力で止めることは難しい。理屈の上では、持久戦、消耗戦に持ち込めば、野党が不利になる。自民党の候補者の大半は現職の議員であり、秘書を含めて給料をもらいながら運動ができる。これに対して、野党議員の半数以上は浪人であり、選挙が先送りされれば、先に兵糧が尽きる運命にある。しかし、与党候補者もゴールの見えないマラソンを走らされるのはいやであろう。また、11月2日投票日を前提に選挙態勢を組んできた公明党の焦りも大きいに違いない。 政策課題との関連でも、解散先送りには限界がある。年末の予算編成まで現体制で行い、通常国会冒頭で解散という可能性もある。しかし、年金財政への国庫繰り入れの財源措置、道路特定財源の改革など、きわめて困難な課題をクリアしなければ予算編成はできない。結局国債の増発によらざるを得ないのだろうが、そうなると野党やメディアに攻撃の標的を与える。選挙を先延ばしにしたからといって、情勢を大きく好転させる材料はあまりないように思える。どちらが政権を取るにせよ、11月中に選挙を行い、新しい体制で予算編成に取り組むというのが、常識的な政治日程であろう。 では、総選挙の争点は何になるのであろうか。もちろん、政権交代を起こすかどうかは、重大な争点である。この十数年間、政権交代可能な政党システムを作ろうと主張してきた私にとっては、政権交代は政策転換を実現する手段ではなく、それ自体目的である。政権を担う政党が入れ替わることによって、政府とメディアや市民社会の関係も、内閣・与党と官僚の関係も、さらには検察、警察の動き方や司法の動向も大きく変わるはずである。政権交代は、多元的で開かれた社会を作るために不可欠である。 しかし、最近の日本を見ていると、どの党が政権をとるかという問題よりも、そもそも日本で政党政治が意味あることをしているのかというより根本的な問題に我々は直面しているように思える。国会や選挙の場で自民党と民主党が角を突き合わせているが、構造改革路線が自民党でも否定された今や、二大政党の政策的な対立は見えにくい。むしろ、二大政党の政策対立なるものが社会から浮き上がっている。政党や政治家が、自分たちが取り組むべき社会の問題を本当に理解しているのかどうか、疑わしく見えてくるのである。 確かに、大恐慌一歩手前の経済危機を収拾することは、緊急の課題である。しかし、アメリカの落ち込みにより、輸出主導の景気回復は望めない以上、国内需要を喚起することこそ、政策の柱となるべきである。しかし、この半年間に起きた、胸を痛めるような事件は、社会の軋みや国民の悲鳴を表現している。社会の荒廃を正さない限り、経済対策も効果はないであろう。 秋葉原の連続無差別殺人、大学進学の夢を絶たれた若者が岡山駅で他人をホームから突き落とした殺人事件、福岡で起こった母親が発達障害児を殺害した事件、そして大阪で起こった個室ビデオ屋放火事件。犯罪は一義的には個人の責任ではあるが、政策的な支えがもっとしっかりしていれば、これらの事件は未然に防げた、あるいは被害を小さいものにできたかもしれない。今の時代に政治を論じる際には、まず希望のない人間を大量に発生させたことに対する反省から始まるべきである。 政治家がパワーゲームに必死になることは仕方がない。しかし、権力を獲得して、一体何をするのか、どのような社会を作るのか、理念が伝わってこなければ、政党政治は国民から見放される。小さな政府路線で社会の軋みを大きくした張本人である小泉純一郎元首相は、さっさと息子に選挙区を生前贈与した。石原慎太郎東京都知事は、ネットカフェ難民に山谷に行けばもっと安い宿があると言い放った。政治家の危機感の欠如は、目を覆うばかりである。パンがなければお菓子を食べろと言う王族がいた身分制社会に、21世紀の日本は突入しているのだろうか。 政策論議においてどのような意味でのまじめさを追求するかについても、よく考える必要がある。選挙向けの政策について財源をどのように調達するか、与野党が互いに相手の政策をいい加減だと攻撃している。しかし、この点はいくら論争しても、決着はつかないであろう。政権を取って財務官僚を動かし、実際に予算を作ってみて、初めて公約が本物かどうか分るというような話である。今はむしろ、問題意識のまじめさ、目標設定の真剣さが問われるべきである。日本社会に存在する様々な問題の中で、政府が真っ先に取り組むべき問題は何なのか。目標設定の仕方にこそ、政治家の志が反映される。 これから各党のマニフェスト作成が本格化する。財源との整合性も大事だが、どのような社会を目指すのかという理想の方がはるかに重要である。財源にこだわって、政策論争が矮小なものになっては困る。(週刊東洋経済10月18日号) |
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