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2008年10月22日 (水)
日本政府は三浦和義氏他殺疑惑を米国に糺せ
10月22日発売の『月刊日本』2008年11月号の巻頭特集「「脱米」こそ「救国」への道!!」に拙稿「市場原理主義の終焉−小泉元首相退場とサブプライム金融危機−」が掲載された。
見開き8ページの小論で、以下に小見出しを紹介する。
・「改革」に逆行する世襲支援要請
・破たんした「財政再建原理主義」
・利権まみれの民営化と天下り温存
・「市場原理主義」で「カジノ」と化した金融市場
・検証求められる「売国政策」の実態
・言論弾圧を打破せよ
小論では、「小泉改革」の経済政策が、@財政再建原理主義、A「歪んだ官と民」政策、B市場原理主義、の三つの柱によって運営されたことを明らかにした。
さらに、「小泉改革」を論じる際に見落としてはならない、「対米隷属」、あるいは「売国外交」と呼ぶべき外交政策の問題点を示した。最後の論じたのは、小泉政権の権力濫用である。
巻頭特集では、政治評論家の森田実氏と中央大学大学院客員教授の稲村公望氏による対談「米国経済の破綻は、日本自立のチャンスだ!−日本は新自由主義を超克し、世界新秩序形成を主導せよ−」、大阪大学名誉教授の丹羽春喜氏の論文「今こそ、政府貨幣発行権発動を!−政府貨幣と日銀券の本質的な違いに着目せよ−」が、併せて掲載された。
森田実氏も、小泉政権の言論封殺、弾圧によってテレビ番組から締め出された人物である。日本の議院内閣制は、内閣総理大臣が権力濫用に暴走すると、独裁者になり得るという、制度的な欠陥を内包している。本来は政党が首相の暴走を抑止する牽制力を働かせなければならないが、政党の良識が欠落すれば、間違いが生じ得る。
日本から独裁者が生まれる危険を制度的に排除しなければならない。すべては、政権交代の実現から始まる。官僚が実権を握り、大資本と外国資本の利益増大を目指す政府を打倒し、国民の幸福を追求する政府を樹立しなければならない。メディアを支配し、言論空間を歪めることは、民主主義の死をもたらす亡国の対応である。
本ブログでは、日本の外貨準備について、繰り返し記事を掲載してきた。日本経済が疲弊し、財政赤字の累増が重大な問題になっている。人口構成の急激な高齢化進展により、今後の日本では、医療、介護、年金の問題が最重要事項となることが確実だ。国民生活の安定を考えもせず、官僚利権の温存だけに腐心する財務省は、財務省の天下り利権死守に膨大なエネルギーを注ぐ一方で、社会保障支出の切り込みだけを優先している。
政府の政策基本方針には、社会保障費の増額を毎年度2200億円削減することが明記されている。2200億円の切り込みは、国民の死活問題に直結する重要性を帯びている。
ところが、ふと目を外貨準備に振り向けると、そこには100兆円の外貨資産が完全無防備な状態で放置されている。円ドルレートが1円変動するだけで、1兆円の評価損益が発生する。2200億円の社会保障支出削減を巡って国会が激論を交わしている横で、100兆円の外貨準備を野放しにしていることに対して、国民は怒りの声をあげなければならない。
日本政府がこのようなリスクを抱える合理的理由は存在しない。浮かび上がるのは、小泉竹中政権の対米隷属姿勢なのだ。2002年10月から2004年3月の1年半の期間に、日本政府は47兆円の資金を米国に拠出した。日本を倒産価格で買い占めるための資金であった疑いが濃厚だ。
日本政府の最高幹部は、日本国民のために行動する責務を負っている。国民を犠牲にし、外国資本に利益を供与した事実が存在するなら、真実を明らかにし、国民を裏切った人々を断罪しなければならない。
ロス事件に関連した疑いで三浦和義氏が米国警察当局に逮捕された問題は、当初から、不自然さと不透明さに包まれていた。私が10月12日付記事タイトルを「三浦和義元社長死亡の深層」とし、「自殺」と表記しなかったのは、三浦氏の「死亡」が「自殺」によるものと断定できなかったからである。
三浦氏の代理人であるゲラゴス弁護士は10月19日、AP通信に対し、病理学者に依頼して独自の調査を行った結果、「自殺ではなく、他殺だった、との結論が出た」と語ったと伝えられている。
報道によると、遺体を検査した結果、のどに首を絞められてできたとみられる血腫、背中に殴られてできたとみられる傷が見つかったとのことだ。病理学者は「首つり自殺では、こういう傷や血腫はできない」と判断した、という。
最大の問題は日本政府の対応である。そもそも、サイパンで三浦氏が逮捕された段階で、日本政府は、米国警察当局に対して緊張感を持った対応を示すべきであった。一事不再理の大原則が存在する。日米捜査当局は、国境を越えて一事不再理の原則を認めているのであり、米国の対応が、この原則に反している可能性について、邦人保護の視点から、適切な対応を示さなければならなかった。
三浦氏が死亡したのであれば、政府が米国政府に対して、適切な対応を求めるのは当然のことである。米国に対して、言うべきことを言えない政府であるなら、日本国民はそのような政府には退場してもらう以外に選択肢を持たない。
原理原則の根幹を踏みにじる政府に対して、まったく批評も批判もできないメディアは目を覆うばかりだ。首相が海外で逮捕されたのであれ、無名の民間人が逮捕されたのであれ、三浦氏が逮捕されたのであれ、日本政府の対応に差異が生じることは間違っている。
米国は確かに強力な国である。現在の世界情勢を見つめたとき、米国と良好な関係を維持することは重要であると思う。しかし、米国を重要視することと、米国に隷属することとは、まったく違う。
日本政府が日本国民を第一に考えた対応を示さないことに、国民は敏感にならなければならない。米国の機嫌をとるために日本国民を犠牲にしてしまうような政府を、国民は支持してはならない。
2月22日の三浦氏逮捕は、2月19日のイージス艦漁船轟(ごう)沈事件と深く関わっていると考えられる。三浦氏の釈放が長期間たな晒しにされたのは、両者を結び付ける憶測が広がることを恐れたからだろう。三浦氏を他殺する動機は歴然と存在している。メディアがその疑惑に触れようともしないことが、疑惑を一段と深いものにしている。
日本の国民は、日本政府が米国にまったくモノを言えない状態に陥っている現実を、直視しなければならない。多くの国民が真実を知らないまま、背徳の政府を支持してしまっている。ネットの草の根からの情報を、すべての国民に伝達しなければならないと思う。
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