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(回答先: ビジネスモデル的には創価とマルチ商法と言うのはとても似ている。どう言う訳かその話題が出てないようだが、鶴のタブーなのか。 投稿者 ROMが好き 日時 2008 年 10 月 21 日 07:22:34)
或る創価学会・男子部 部長のセキララ日記
アムウェイと創価学会@
http://sgidanshi.blog103.fc2.com/blog-entry-6.html
先日、こんなメールがきた。
「覚えてますか? ○○です。今はどうされているのですか? Hさん(僕のこと)ならどんな分野でも成功すると思います。また、時間がありましたら美味しいものでも食べにいきましょう」
送信主の木村君(仮名)は、僕より歳は二つくらい下で、5年程前に仕事関係で知り合った。偶然にもお互いが若いときに共に料理の世界にいた、ということもあり、話しがあうせうか、割りに仲良くなった。僕を慕ってくれていたし、波長があうというか、飲みに行ったりと個人的に付き合う様になった。彼はいい奴で、人生についてしっかり考えている、基本的に真面目な男だ。ただ、幾分頑固なところがあり、いささか癖のある性格で、ある種の人にとっては全く受け付けないタイプの人間だ。自己啓発の類の本を好んで読み、時折、他人にそれをあたかも自分の経験で会得した様に話てしまう。
そういう彼の最も問題な部分は、人生についての哲学、成功法的な理論で頭はパンクしているのに、行動を含めた彼の“現状”と“実相”が全く相反しているということだった。成功とか幸せに向かう為の方法論に満足してしまって、もはやその方向にすらつま先が向いていない、ということだった。
折伏しようかな、と思った矢先に彼は訳あって会社を辞めた。今から三年ほど前の話だ。すぐに電話が来た。
「今度、飲みません?」
飲み屋でしばらく世間話をした後、彼はこう切り出した。
「Hさん(僕)、Hさんは夢とかあります?」
「夢?」と僕は驚いて訊いた。
「夢です。この仕事このまま続けるんですか?〜云々〜」
(なんだ、なんだ?)
しばらくして彼は改まった口調で言った。
「実は・・・・・・僕・・・・・・アムウェイやってるんです。アムウェイって知ってます?」
僕の悪いところであり、勘の鋭さと計算高い部分である。0.1秒くらいの瞬時の速さで、何故彼がこれまで僕を慕ってくれ、接点を沢山もつ様にと連絡をよこしたか、そして今後の彼との人間関係の中で繰り広げられるドラマ(みたいなもの)、全てを完璧なまでに見通した。そこに好奇心も加わったのだ。
(面白くなりそうだ。ニヤリ)
僕は言った。
「いや・・・・・・あまり知らないんだ」
僕が20歳のときに、その時いた職場でニュー・スキンが流行った。いわゆるアムウェイと同類のネットワークビジネスだ。サプリメントなどの健康食品や化粧品等を知人、友人に売って利益の一部を得、更にその知人、友人がまた他の誰かに売り、ネットワークが出来れば、上位のものが大きな利益を得る。まあ、ねずみ講ってやつだ。
そういう話が来ると、まず僕の中ですぐに“NO”という結論が出る。しかし元来好奇心が旺盛なのか、そういう世界に浸る人間達が一体どういう思考性と行動規範(みたいなもの)で生きているのか興味がある。よほど危険でない限り、扉を開けるタイプなのだ。
ニュー・スキンの本社は新宿西口の高層ビルのワンフロアだった。 “なんとかダイアモンド”とかいう沢山儲けている人の話やらを聞き、勧誘にあった。まず、商品は絶対ただで貰った。使ってみたが悪くはなかった。ただ、それまでである。
ニュースキン以外にも「回帰水」やら「CSのテレビ局を立ち上げるから出資してくれ、利益を分配する」といった話にも聞きに行った。まあ、何もしなかったけど。
だからそういう類の話は、実は前出の木村よりも詳しいし、(インターネットなんかない時代だったけど)裏も表も知り尽くしていた。
飲み屋で木村は続けて言った。
「これなんです」
取り出したものは10センチくらいのプラスチックケースで、そこにはどっさりとサプリメントが入っていた。
「何? それ」と僕はものすごおおおく興味津々に訊いてみた。
(続く)
【2007/05/09 20:23】 | 学会コラム | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
アムウェイと創価学会A
http://sgidanshi.blog103.fc2.com/blog-entry-7.html
彼は持ってきていたパンフレットを出し、商品の説明になった。
概要はこうである。
@そこに含まれている成分やら、製造されている環境と過程を説明し、その製品がいかに(他社と比べて)良いものであるか。
A一般の健康食品の様に多大な広告宣伝費を使っていない。こうして人から人に伝えているので、結果、商品の価格がかなり抑えられる。つまり安い。
で、とりあえず使ってみてください、と言う。
「そう言うなら、まずくれよ」と僕。
「・・・・・・こういうのは自分で買って、使って、効力を知って、実感できるものですから・・・・・・」
(なんのこっちゃ・・・ケチだなあ・・・人一人勧誘するのに数千円の身銭を切るくらいの覚悟もないのかよ・・・ったく)
結局彼はその場でキュープラスという総合栄養サプリメントを3錠くれ、僕はその場で飲んでみた。
数分後・・・不意に僕の鼻から鮮血が・・・・・・鼻血!!。
彼は得意げに言った。
「ほらっ・・・それだけ効いてるんですよ」
「・・・・・・・・・・」
数日後、彼と会ったときに今度はこんな話をした。
「商品がいいのは当たり前で、それを使って健康になる、という話だけをHさん(僕)にしてるわけじゃないんです。つまり・・・・・・これはビジネスとして展開できるんです・・・」
(キターーーー!きゃあああー!!!)
それからアムウェイビジネスモデルの話になった。概要はこうである。
@商品を使ってその商品が良いと実感できれば、友人・知人に勧めたくなる。で、その友人・知人が更に誰かに勧めてネットワークが出来る。
Aアムウェイは一般媒体で宣伝費を使っていないが、誰かに紹介して、その誰かが買った金額に応じてポイント(PV)がつき、それを紹介者が受け取れる。ネットワークが大きくなって、動いた金額が大きいほどPVも大きくなる。
Bつまり副業として頑張れば、ある程度安定した収入が入る。
「やりませんか? 一緒に」と彼は満面の笑みで言った。
僕はこの時点で学会宣言とニュースキンを以前若干かじっていたことは言っていなかった。彼は更にビジネスとその展望と夢について熱く語った。
それは権威主義と誇大妄想にまみれていた。アムウェイが本国アメリカでどれだけ評価されてる会社か(レーガンやらといった大物政治家の名前やら、米国商工会議所のトップをアムウェイの誰々がつとめているとか)、日本ではとんねるずやら、芸能人の誰々がやっているとか(ホンマかいな)、彼にとって僕が人生の中でいかに大事で、いかに重要で、何より一緒に成功したい“友”であるか・・・・・・云々。
彼は尚一層興奮して、このアムウェイビジネスで成功した人の事例を紹介する。
年収が億だとか、アムウェイからご褒美として招待される海外旅行がいかに豪勢で素晴らしいか・・・
つまり彼の結論は、夢をつかむには時間の余裕とお金が必要である。それにはアムウェイビジネスが最適であると。
彼は断言する。
「僕は二年後には年収が幾ら幾らになって・・・四年後にはベンツ乗ってるんです。」
そして最後にこう言った。
「今度、アムウェイの会みたいのがあるんです。ラリーというんですけど、渋谷の本社ビルでやるんです。行きませんか?」
ここまで来たらもっと面白ろそうだな。ニヤリ
「ああ、いいよ」
(続く)
【2007/05/10 20:28】 | 学会コラム | TRACKBACK(2) | COMMENT(0)
アムウェイと創価学会B
http://sgidanshi.blog103.fc2.com/blog-entry-8.html
アムウェイの本社ビルは渋谷から歩いて15分ほどの所にあった。やけにばか高いビルで、一階はホテルのロビーみたいだった。平日の夜にも関わらず数百人はいたと思う。20代か30代が殆どで、(想像と違って以外にも)お洒落で都会的な人が多かった。
ラリーは地下にある体育館の3分の1程のホールで行われた。司会者がラリーのスタートを告げると、一人の若者が出てきて、アムウェイ洗剤のデモンストレーションを行った。市販の洗剤と比較して、いかにアムウェイ洗剤がよく汚れを落とすかを説明した。殆ど、ジャパネットたかたの世界だった。
次に出てきた人がアムウェイビジネスの説明をし、儲け話(?)のシステムをホワイトボードを使って説明した。
最後には、“超稼いでる”人が登場し、アムウェイに出会う前の自分と、それ以降の自分の人生がどれだけ変貌したかを語った。年収がどれくらいになったとか、海外旅行(南の島)で撮った写真を見せびらかしたりもした。
会場にいる人間の目は真剣そのものだった。熱心にメモを取る人もいた。彼らは壇上の“稼いでいる”人に対して強烈過ぎるくらいの羨望のまなざしを向けていたのだ。
一時間半くらいでラリーは終わった。僕はぐったりと疲れていた。時折、熟睡していた。当たり前だが、僕は一切何も感じなかった。何も。
壇上に登場した人が言っていたことは概ねアムウェイに対する感謝と、
@会社や仕事でどんなに頑張っても給料なんかたかが知れている。収入を増やそうと頑張れば頑張るほど、忙しくなって自分の時間がなくなる。
A夢や、やりたいことには、時間の余裕とお金が必要。
Bアムウェイビジネスで、他人の体を健康にさせてあげた上に人生も豊かにさせてあげる。同時に自分の人生も豊かになる。こんな素晴らしい理念を具現化しているのはアムウェイだけ。
つまり幸せはお金で買える。(当時の)ホリエモンじゃないけど、幸せはお金で買えるんだ、と。でも断言できる。そこにいる誰もが“諦め”の人間だった。そう、彼ら(彼女ら)はホリエモンになる勇気さえも、努力さえも放棄した人間ばかりだった。
会場を出ると木村は聞いてきた。
「どうでしたか?」
僕はきっぱりと言った。
「・・・・・・疲れたな・・・・・・」
(まあ、そろそろ学会宣言してもいいか。ニヤリ)
それから僕らは喫茶店に向かった。
(続く)
【2007/05/12 02:57】 | 学会コラム | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
アムウェイと創価学会C
http://sgidanshi.blog103.fc2.com/blog-entry-9.html
喫茶店で雑談をしている時に考えていたことは、これまで木村がアムウェイについて語ったレトリックや今日のラリーが、学会の折伏のそれとピタリと符号することだった。可笑しくて笑いそうになった。
特にラリーの内容、構成等は学会のセミナーそっくりだった。興味ある事例で相手の意識を引き寄せ、いくつかの体験談発表があり、最後に大物(幹部)が出てきて話す。
会話が途切れたときに僕は言った。
「実はね・・・・・・俺、信仰やってるんだよ・・・・・・創価学会ね・・・・・・」
「・・・創価学会?・・・」
彼は幾分驚いた様子だったが、話してみると学会についてはあまり詳しくはなかった。公明党を支持していることと、池田大作という名前くらいだった。
僕はあらゆる観点で学会について語った。日蓮大聖人、仏教、歴史、平和、ご本尊、そして自身の信仰体験。
「オマエもやらないか?」ということは一切言わなかったが、目の前にいる僕という人間がその様な思想と信仰と哲学を持って生きているんだということを明かした。
彼は興味深そうに聞いていたが、時折、居心地の悪い表情を見せた。
僕は、彼を絶対折伏しようという意識まではなかったが、とことん話してみる価値はある。そして話せる状況でもある。(いやらしいが)これでイーブンになったのだ。
正直、僕がこれまで見てきた彼の言動、アムウェイそのものについて、そして今日のラリーの内容とそこにいる人間達の表情にある種の同情を禁じえなかった。
色あせて見え、例えていうなら、あらゆる最高の料理を食べつくした人間に向かって、ファミリーレストランのハンバーグがいかに美味しくて、最高で、究極の料理であるかを熱心に説いてる、そんな風に感じたのだ。
僕はその辺りを言葉を選んで、柔らかく言った。こんな内容だ。
幸福の種類は様々だ。価値観も違う。でも優劣はある。君の言っている全てが相対的幸福に過ぎない。金持ちになることは否定しない。でもそれだけじゃない。絶対的な幸福というものがある。僕らはそれを持っているし、それを生み出す術も知っている。高い次元であらゆる種の幸福を内包したものを持っている。そこには簡単に相対的幸福を生み出す(現世利益、つまり金持ちになることも夢を叶えることも)可能性も十分過ぎるほど兼ね備えてある。いや、簡単だ。そういうものを僕は肉体と生命に刻んで生きている。熱心にここまでアムウェイを勧めてくれて申し訳ないが、君の言っていることは、車の免許を持って既に車を購入して運転している人間に対して、「ねえ、Hさん(僕)、知ってました? 遠い距離を移動するのに自転車という乗り物があると便利ですよ」と言っている様なものだよ。
彼の顔は次第に厳しくなり、みるみる険しくなった。(当たり前だ。それが狙いなのだから)
彼は自分が最高の生き方だと自負していたものが否定されたことに腹を立てているのではい。自分の選んだ道が価値的にレベルの低いものだと断言されたことなのだ。
彼はきっとそこで敢えて言う必要があったのだろう。
「僕は・・・・・・学会やりませんよ」
(まあ、現時点ではそう言うだろうな、フフフ)
結局、しこりを残したままお互いは別れ、次に彼はどう出るか楽しみだった。
しばらくして何かの折に飲んだときに、彼はテーブルに一冊の本を出した。それは(池田)先生の著書だった。
彼は驚くほど感動した様子で話し始めた。
「いやあ、この前、Hさんが創価学会だということで、興味があって池田さんの本買って早速読んだんですよ・・・凄いですねえ、この方。感動しました。書いてあることが素晴らしいです。」
僕だって馬鹿じゃない。そんなもの瞬時に悟ったのだ。つまり彼は、僕という人間の懐に食い込み、アムウェイをやって欲しいが為の行為なのだ。
僕は言ってみた。「じゃあ、(学会)やってみる価値あるぜ! やろうよ」
「いや、それは別です。やりません」と彼はピシャリと言った。
僕はむしろアムウェイを否定しているのではなかった。問題は彼自身だった。彼は数年間のアムウェイ人生で大した結果を出していなかった。利益なんてなかった。そしてアムウェイを勧め、ガンガンにやってくれそうな人間は周りには殆どいなかった。単に友人が少ないというのもあるのだろう。以前、仕事関係で彼の仕事ぶりを見て感じたのは、彼はアムウェイという既成のシステムの中でさえも成功しないだろう、ということだ。現実として彼には最後の砦として僕しかいなかったのだ。僕という人間がアムウェイでガンガンやって多くの子分を作ってくれて利益を生み出さないと、彼の描く設計図は完成できないのだ。焦りと必死さが滲みでればでるほど、僕はアムウェイなんかよりも、彼という人間そのものに興味がなくなっていった。
そして物事は奇妙な方向へ、同時に最悪の方向に向かっていく。
【2007/05/13 13:51】 | 学会コラム | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
アムウェイと創価学会D
http://sgidanshi.blog103.fc2.com/blog-entry-11.html
木村は会社を辞めた後、アルバイト生活をしていた。アルバイトは彼が選んだ道だった。アムウェイに時間を割き、存分にやるにはアルバイトが一番なのだと、彼は言う。しかし、彼と色々会っているその間にもそのアルバイトさえも数回変えていた。
「あのさあ、アルバイトもいいけど、就職してしっかり生活を安定させて、その中でアムウェイをやって、軌道に乗ってからアルバイトにしてもいいんじゃない?」と僕は時折そう言った。実際のところは彼も悩んでいたのだ。一人暮らしのため生活費、家賃だって現実大変だった。
話は変わるが、僕の高校時代からの親友の高原(仮名)の実家は割烹を経営していたが、改装して創作居酒屋にし、高原自身が経営者になった。社長だ。婚約者の美恵子さん(仮名)も店を手伝っていた。
ある日、その店「たかちゃん」(仮名)に木村を連れて行った。僕は高原と美恵子さんに木村を紹介し、営業が終わった店で4人で飲んでいた。
しばらくしてから美恵子さんが突然木村のバッグを見ながら言った。
「あのぉ、それアムウェイですか?」
木村の口が開いたバッグの上からアムウェイの商品カタログが飛び出していたのだ。
木村は「ええ、そうです」と言って、カタログを取り出した。
「木村さんはアムウェイやってるんですか?」美恵子さんが興味深そうに訊いた。
「ええ」
「ええっ!!! 本当ですか。私達もやってるんです」
「私達????」と僕は高原と美恵子さんを見ながら声を上げた。
「ああ、そうだよ」と高原が笑って答えた。
こういうことだ。美恵子さんは昔からアムウェイをやっていた。高原と付き合い始めてアムウェイを勧めた。高原もえらくアムウェイビジネスに感銘し、一緒にやる様になった。僕と高原とは仲が良く、しょっちゅう会っていたが初耳だった。そして木村と僕の関係も説明し、アムウェイに関する一連の動きを話した。
高原は訊いた。「そうなんだあ。で、H(僕)はどんな印象なんだ? アムウェイは」
美恵子さんもいる手前、僕は「印象はさほど悪くない。商品も悪くない。システムも悪くない。ただ、それを人に勧めてどうのこうのするのは現時点ではやらないと思う。色々忙しいし・・・・・・商品を使って心底納得して、心から誰かに勧めたいと思えば、いつかはやるかもしれない」と言った。
喜んでいたのは木村だった。出会った人が同じくアムウェイをやっていたのだから。そしてその人間が僕の友人なのだから。こりゃ、参ったなあ、と僕は思った。
その夜の流れはもう決まっていた。木村と高原と美恵子さんの三人が、僕に陶等とアムウェイを一緒にやろうよ、と説得したのだ。三人はすっかり仲良くなっていた。アムウェイ繋がりで。
当時、高原の店「たかちゃん」は調理場の人間が相次いで辞めてしまい人手不足だった。木村が昔そこそこ有名な店で板前として働いていて、そこそこ料理が出来ることを知っていたので、高原に木村を改めて紹介した。木村の生活が安定していなかったのも心配だったし、高原の店も喉から手が出るくらい(ちゃんと料理の出来る)調理人を必要としていた。話は早かった。木村もアムウェイをやっている人の職場なら喜んで入った。高原のほうもそうだった。給料は(きっと)木村がこれまでの人生で貰った額の中で一番高かった。30万近くで週休二日だった。
念のために最初は研修期間を設けたので、少ししてから僕は心配になって高原に言った。木村が仕事の面ではいささか問題がある点だ。
「アムウェイで仲良くなったのはいいけど注意しろよ。もし使えなかったり問題があったら社員になる前に切ってもいいからな。その辺はアムウェイとは別だし、木村にはよく言っておく。ちゃんとやれよ、ってな」
「ああ、分かった。でも彼、凄くよくやってくれてるよ。頼りになるし、頑張ってるよ」と高原は満足そうに言った。数ヶ月後には(それまでの料理長が辞めたせいもあるけど)木村は料理長になった。
木村が店に入って朝から夜遅くまで働く様になって忙しくなり、アムウェイは鳴りを潜めた。木村自身も現実の世界で地に足をつけて働くことに充実している様だった。たまに友人なんかを店に連れて行くと、僕は木村に声を掛けた。
「頑張ってるか?」
「はい」
「Hさん(僕)のおかげで楽しく働いてます。高原さん達もとてもいい人ですし・・・・・・」
実際には、高原と美恵子さんは、木村のいないところで僕と話すときは一切アムウェイのことは言わなかった。高原自身が僕という人間がそういうことを一番やらないことを知っているからだ。彼らはちゃんと分かっていたのだ。
数ヶ月して4人で飲むことになった。自然とアムウェイの話になった。
木村が言った。
「アムウェイはどうですか? 考えてくれました?」
まだ木村のアムウェイ熱はそれほど冷めてはいなかったらしい。
僕は最初三人に言った様に、商品は悪くない、ただそれをビジネス展開しようとは現時点では思わない。いつか気が向いたらやるかもそれない、と言った。
それから木村は酒が回ったのか次第に語尾を荒げた。高原と美恵子さんは黙って聞いていた。
「僕はHさん(僕)にやってもらいたいんです。こんな最高なシステムどこにもないですよ。やんなきゃ損です。絶対にやるべきです。」
「まあまあ、やるやらないは俺が判断することだ」
「なんでですか・・・僕がここまで言ってるんですよ! 信じてくださいよ」
「ちょっと冷静になれよ」
一体、コイツはなんなんだ、と僕は思った。怒りと悲しみの様なものが次第にこみ上げてきたのだ。
彼は一層声を荒げた。「アムウェイは絶対成功するんです。やんなきゃもったいないです。・・・やらないなんて・・・・・・馬鹿ですよ・・・」
ばかあああ?? 僕もとうとうブチ切れてこう言い放った。
「あのよぉ、いいか? やるやらないは俺、俺が判断するんだよ。じゃあ、言ってやるよ・・・俺がやらないとオマエが困るんだろ? この俺が頑張んないと自分が成功できないからそう言うんだろ? 儲かんないんだろ?・・・・・・結局、オマエにとって俺は金づるなんだろ?・・・カネヅル」
テーブルには一斉に尖った静寂が舞い降りた。高原と美恵子さんは申し訳なさそうに僕を眺めていた。木村はグラスに残ったビールを一気に飲み干した。僕が黙ってテーブルを立つと、三人も続くように会話もなく店を出た。
それから高原の店には行くことはなかった。幸い高原との仲には全く影響はなかったけれど、高原と美恵子さんは二度とアムウェイの話を僕にしなくなった。
(続く)
【2007/05/14 20:44】 | 学会コラム | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
アムウェイと創価学会(最後)
http://sgidanshi.blog103.fc2.com/blog-entry-12.html
そして一年近くが経った。高原がある日、ため息をついて電話をかけてきたのだ。数日後、高原の家に行くと(結婚して奥さんになった)美恵子さんと高原が詳しい話をしてくれた。
木村はしばらくは頑張って働いていたらしい。しかし、自分の時間を大事にしたいからとか言って、規定の労働時間を越えて働くことにしばしば異を唱えだしたという。翌日の仕込みが沢山残っていても、営業時間を終えて調理場を片つけるとさっさと帰ってしまったり、挙句の果てには、遅刻、欠勤が目立つ様になった。
で、木村は高原にはっきりとこう言ったらしい。
「この店にいても先が見えている。自分にとって役立たないし、将来のためにもならない。だから辞める」
更に木村はこうも言った。
「辞めるにあたって、この会社で社員として有給休暇がなかった。僕が働いた年月で計算すると15万になる。それを支払って欲しい。」
高原に言わせるとこうだ。週休二日で、更に暇な日や人手が多い日は木村を休ませていたらしい。余裕があれば昼や夕方で上がらせてあげることもしばしあった。そういうのが有給にあたるとこちらも向こうも認識していた。ボーナスも出したし、正直言ってこういうサービス業で、料理の世界で、なんといっても木村のスキルにしては破格の給料を上げていたと思う。
僕もそういう世界にいた人間として、高原の言い分はごくまっとうだ、と思った。
僕は高原に言った。「あんな奴紹介して悪かったな」
「いやいや、当時は本当に人手がいなくてね。木村君はしばらく頑張ってくれたし、むしろあの時の店を救ってくれたんだから、紹介してくれたオマエにも感謝しているよ」
最後に木村は高原にこうも言ったのだ。
「払ってもらわなかったら裁判起こしますよ・・・・・・裁判」
「裁判だって?」と僕は驚いて高原に言った。
「そう・・・・・・裁判起こすってさ」
「起こすわけないじゃないか。」
「・・・・・・そんなこと分かってるよ」と高原は複雑な笑みを浮かべた。
一ヵ月後に突然木村から僕に来たのは電話ではなく、こんな短いメールのみだった。
『こんばんは。お元気ですか。実は訳あって「たかちゃん」を辞めることになりました。一年五ヶ月の短い期間でしたが、職場を紹介してくれたHさん(僕)には感謝してます。ありがとうございました。では』
彼が辞めるにあたって起きた諸問題を実は僕が知っているとは彼はきっと知らないのだろう。僕は行き場のない深いため息をついた。
あれから数年が経つ。木村と最後に会ったのは、僕がブチ切れた居酒屋だった。
振り返ってみれば、結局は僕も木村も似たり寄ったりだったのかもしれない。当時は全く学会活動はしていなかったし、祈ってもいなかった。ただ、木村という人間に同情しつつ、ある種救いたいと思いながらも、どこかでアムウェイを通して相手に食い込み、安易に折伏できればいいと、思った僕の浅はかでいやらしい心情があったのだ。同じく木村も学会を通して僕に食い込み、アムウェイをやらせたいという思いも明らかにあった。ここまでいくとただの“バーター取引き”だ。醜い。後悔している。むしろ木村の方が純真だったのかもしれない。愚かなのは自分のほうだった。しかし僕が彼に徹底的に仏法対話しなかった理由に、コイツを入れさせたら学会内の人脈を利用して絶対アムウェイをやるだろうな、という確信だった。それは防がなくてはならなかった。
“受けた恩は忘れず、かけた恩は流す”これが僕のささやかな心情である。
しかし、就職先を紹介してもらいながらも、木村の僕の友人の高原に対する理不尽な言動と、僕に対して無自覚な仕打ちをしたことに、怒りよりも哀れさを感じる。僕と高原の関係に影響がなかったとは言えない。木村を通して僕らの間に見えない傷が出来てしまったことは事実だ。
よかったことといえば、木村との件を通して、こういう類の話(勧誘とか折伏とか)を客観的にみることが出来ることだった。アムウェイはもう関係ないにしても、学会とアムウェイを重ねることによって、僕らが人間として根本的に忘れてはいけないことを学ぶことが出来た。そしてそれはその後の信仰生活に大きく生かされていると(少なからず)確信している。
村上春樹の短編に『沈黙』というのがある。学校でのいじめを題材にしていて、近年では教科書にも収められている。最後にこんな文章がある。
『彼らは自分が何か間違ったことをしているんじゃないかなんて、これっぽっちも、ちらっとでも考えたりはしないんです。自分が誰かを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思い当たりもしないような連中です』
冒頭で紹介した、先日、数年ぶりに木村から来た突然のメールを想い出すたびに、僕の気持ちは暗くなり、言いようのない哀しみが僕を包む。
『覚えてますか? 木村です。今はどうされているのですか? Hさん(僕のこと)ならどんな分野でも成功すると思います。・・・・・・』
何処かで彼は今でも夢想しているのだ。いつか僕と共にアムウェイで成功し、ベンツに乗って夜の東京の街を疾走する自分の姿を。(了)
【2007/05/16 00:07】 | 学会コラム | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
末尾が連番になっているが、途中「10.html 」が抜けているので見たら、
誰かの死
http://sgidanshi.blog103.fc2.com/blog-entry-10.html
最近、沈み気味だぎゃあああ〜。やる気が全くでない。ふうぅ〜〜
4月の選挙が終わり、実質先週(7日)の月曜から動き出したんだけど・・・気持ちの切り替わりが・・・・・燃え尽きると復活するのに時間がかかる自分はいかんなあ。
といっても仕事はバリバリで年中“やるマン”なんだけど、つまり学会活動のほうがねえ。
金曜に大学校の指導会を持った。各自、大学校生とスタッフが思い切り選挙で闘った(と思う)後の集いだったが、皆の顔がすっきりとしていて、微妙な変化、成長を感じ、嬉しかった。しかし、来てくれた幹部が、「ここの組織は、先月来たときよりも雰囲気が暗くなってるなあ・・・云々」と話した。
大学校は今年初めにスタートした。大学校とは、人材グループ(会館警備、会合運営等)の正規メンバーになる前に一年間行う訓練・研修期間だ。この一年の第一の目標は大学校生は必ず折伏することである。それが大学校の卒業規定である。
“闘いは最初の三ヶ月が大事”ということで、僕のところは突っ走って突っ走りまくった。その甲斐あって、東京先駆の結果を出し、中央の会合で活動報告をし、聖教新聞にも載った。現時点でスタッフ合わせて三世帯の折伏の結果をだした。
“仏法上、広宣流布が進み、結果を出すところはその分、魔が競う。”
確かにこの一ヶ月近くの間に、大学校生の親族に多くの魔が競っている。祖父を亡くした者、まだ若い父が突然の脳の病気で倒れた者、お姉さんが突如狂ってしまった者。しかし、彼ら大学校生はその困難、苦境を信心で捉えるんだと、むしろ元気に前向きだ。
しかし今月、突然18歳の弟を亡くした者がいた。
通夜で僕は彼にどう言葉を掛けていいか分からなかった。
平板に、学会の中の凡庸な言葉(解釈)で、「これは魔だよ。戦っているからこそでてきたものだよ。だからこれで負けちゃいけない。広宣流布しよう!」なんて決して言えなかった。当たり前だ。
僕は静かに言った。「弟の分も幸せにならなくちゃいけない。今の状況で無理に走り出す必要もない。ゆっくり、今の状況をしっかりかみ締めて、自分のペースでやればいいよ。ただ、このまま何かに引きずり込まれてはいけないよ。飲み込まれたら駄目だよ」
彼は気丈な姿で、小さな笑顔で微かに肯いた。
僕らが出来ることは、淡々と亡くなった弟さんの追善供養を祈り、大学校生のお兄さんのことを祈っていくしかない。同時に僕らがどれだけ彼と共にいてあげられるか、だ。
前出の幹部が言った様に、確かに沈んでいるかもしれない。そこには誰かの死があり、誰かの涙があったからだ。それが自然と皆の命に無意識のうちに刻まれていたのだ。
それでも僕ら(人間というもの)は、死を通して何かを学ばなくてはけない。(残酷かもしれないけど)死によって何かを生かせなくてはいけない。哀しみや不幸から何かを生み出さなくてはならない。
「大事なのは切り替えだ」と別な会合で誰かが言った。
確かにそうだ。
でもねえ〜〜〜〜〜。
【2007/05/13 23:47】 | 学会活動 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
<創価学会(=公明党)問題ミニ知識>
http://www.geocities.jp/boxara/soka.html
鶴タブー
日本における多くのマスメディアが報道や出版において、宗教法人である創価学会に対する批判を控えることを指す。鶴タブーという名称は創価学会がかつて講として属していた日蓮正宗の紋が鶴であることに由来している[11]。
鶴タブーという言葉は1970年代には既にマスコミ界、言論界で広く流れていたという[12] 。鶴タブーの背景にある理由は以下の通り。
* 創価学会、公明党およびそれに関する団体・信者からの抗議や訴訟などを懸念する。1970年代に創価学会批判本を出版した著者、出版社、取次店、書店などに様々な圧力がかけられた。これは「言論出版妨害事件」として社会の強い批判を浴び、池田大作名誉会長が公式に謝罪している。また、2000年代においても、創価学会を批判した『週刊新潮』などは、機関紙『聖教新聞』や関連企業である第三文明社等が出版する雑誌などで厳しく批判されたり、裁判で訴えられたりしている。
* 公明党の政治的影響力を恐れているため。特に1999年10月に公明党が与党入りしてから、各誌における創価学会批判が激減したという指摘もある。[13]。
* 鶴タブーの例外としては1970年代の「言論出版妨害事件」を『しんぶん赤旗』がさきがけてスクープ報道し、他の大手マスメディアもそれに追随したことが挙げられる。また、2003年頃から『週刊新潮』『週刊文春』 『週刊ポスト』などの一部週刊誌が創価学会に対する批判報道を行なっている[14]。
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