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2008年10月08日
国会審議を正しく報道、解説しない政治メディアの業悪
まともに国会審議を聞いている一般国民は少ないに違いない。
汗水たらして働いている国民にはそんな暇はないからだ。
だからどうしても国民が国会審議を知るのは政治報道に頼ることになる。
しかし、その政治報道が、国会審議を正しく報道、解説していないとすればどうなるか。
政治報道は、時間的、スペース的制約によって、国会審議のすべてを報道する余裕はない。
さわりの部分だけを報道する。
しかしその報道されるさわりの部分が、故意にせよ、報道も眼力のなさにせよ、国民に正しく報道されなければ、国民はいつまでたっても国会審議を正しく評価できないままで終わってしまう。
このような報道が繰返されてきたからこそ、この国の政治意識が低いままに放置されてきたのだ。
国会審議をメディアが報ずる時の決まり文句は、すれ違い、不毛、平行線などと、決まっている。
そしてそれは、所信表明演説や、代表質問についてはその通りである。
あれはあらかじめ官僚が書いた演説の読み上げである。
野党の質問に答える必要のない一方通行の発言である。まったく無意味だ。
本格的な審議の始まるのは委員会質疑だ。
その中でもすべての分野に渡って質問が許され、総理以下全閣僚の出席を求めることのできる予算委員会は国会審議の中心である。テレビ中継もされる。
ところが、その予算委員会においても、与党議員の質問は八百長質問であるからまったく意味はない。
あれは与党議員が選挙運動のために自己宣伝をする目的で行なわれるやらせのようなものだ。
与党議員の質問時間は、大臣を補佐する官僚にとって安心して一息つける休息時間であった。
このような国会審議は、間違いなく、すれ違い、不毛、平行線である。
しかし野党議員による委員会質問が始まると国会は俄然熱を帯びる。官僚たちは緊張する。
更に言えば、そんな野党議員による国会審議の場であっても、質問者の不勉強振りと質問の稚拙さによって、審議が深まらない事が多い。政府を追い詰められない事が多い。
たとえば、7日の国会審議を報じる各紙によれば、共産党の志位和夫委員長が、「日本を代表する企業が正社員を非正規雇用に置き換えて大儲けしている」とか、「労働者派遣法を1999年の原則自由化に戻すべきだ」と言ってみたり、社民党の阿部知子政審会長が、「後期高齢者医療制度は75歳以上の高齢者を差別するものだ」と政府を攻撃している。
ところがこのような一般的な質問、自分の意見表明のような質問では、政府を追い詰めることはできない。
かつて小泉元首相は、共産党議員の追及を、「それは共産党の意見だろう。見解の相違だ」という一言で一蹴した事があった。議論が深まらないまま権力を盾に審議拒否で終わってしまうのだ。
そんな不毛な国会審議の中でも、正しく、鋭く質問すれば政府を追い詰めることができる。
たとえば同じく7日の菅直人民主党代表代行の質問である。
自民党と公明党で立場が対立している定率減税の規模と財源問題を巧みについて、「民主党は財源を提示したのに、政府はなぜ未だに明示できないのか」、「今度の選挙のマニフェストになぜ盛り込めないのか」、と質した。麻生首相も斉藤環境相(公明党)もこれに応えられなかった。
創価学会の政経分離問題に関して法制局の見解を質し、法制局長から「政経分離は憲法で定められた原則だ」という言質をとった。それを麻生首相に確認させた。この事により、この問題をさらに追及する時の足がかりを確保した。
野党への提出資料の事前検閲問題については、石破農水相の謝罪発言を引き出し、官房長官の省庁横断的な改善策を約束させ、それを麻生総理の責任で行なう約束まで取り付けた。
これらの発言は議事録に残る。それを根拠に更なる追及ができる事になった。
さて、前置きがながくなったが、今日のブログの目的は次の一言である。
7日の予算委員会を政治報道や政治解説者が正しく報道し、解説していれば、政治的に中立的な一般国民は、誰が見ても自民・公明党の対応はいかさまだと思うに違いない。もはやこれ以上自公政権が続いてもだめだと思うに違いない。民主党に政権担当能力があろうがなかろうが、一度は任せてみようと思うに違いない。
問題は政治報道がそのような報道をしないところにある。
どちらもどっちだ、議論が深まらない、という書き方でお茶を濁して終わってしまう。
これはフェアではない。
この国の政治を国民から遠ざけてきたのは、この国の政治報道と政治評論家の責任である。
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