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2008年09月29日
麻生批判をしたニューヨーク・タイムズ社説に噛みつく産経新聞の無理解
9月29日の産経新聞コラム「産経抄」が米紙ニューヨーク・タイムズ紙に凄い剣幕で噛みついている。
ニューヨーク・タイムズ紙が、国連総会で外交デビューを果たした麻生首相を「好戦的なナショナリスト」と決めつけて酷評したからである。
しかもその怒りの理由がふるっている。
国連演説の中で麻生首相は、「テロとの戦い」に参加すると宣言したではないか、「対米追従」と野党から批判されながらも、インド洋での補給活動を継続する決意を示したではないか、そんな同盟国の首相に向かって、「外交政策を近代化して隣国を対等に扱え」などと、ご高説をするとは何事か、というのだ。
この考えほど、米国という国を理解していない考えはない。
日米安保条約の成立過程を知らない考えはない。
こんなことでは米国と対等に渡り合うことは出来ない。自主、自立外交はのぞめない。
米国は、敗戦以降63年間、一貫して周到かつ現実主義的に対日占領政策を続けてきた。それはあらゆる史実が証明している。
外交辞令としての日本重視を言葉は、米国はいくらでも繰り返す。しかし本音のところでは日本を利用、搾取し、警戒し、そして人種差別的嫌悪感さえ抱いている。
日本人のいないところでそれを公言したりする。
こんな事は、すこしでも米国社会で生活したことの有る者であれば知っている。
ましてや米国人と利害対立の絡んだ交渉をした経験のある間であれば尚更だ。
しかし、それをもって米国を批判するのはお門違いだ。
どの国も自国の国益を優先する。
米国の対日外交は、利益にかなえば友好的となり、敵対したとたん攻撃的になる。
それを知った上で、米国との対等な友好関係を維持する努力をする。その事こそ重要なのである。
ましてや米国のメディアは日本のメディアとは異なる。政治的立場を鮮明にし、自らの大統領をも平気で批判し、政治生命を奪ったりする。
歴代の米国大統領も、それを知った上でメディアとの間合いをとっていく。
要するに真剣勝負をやっているのだ。
翻って産経新聞の論調はどうか。
この件に限らない。
あの慰安婦非難決議の時もそうだった。
核問題に関する北朝鮮との宥和政策の時もそうだった。
あたかも恋人に裏切られたかのような感覚で、「ここまで愛しているのに、ここまで貢いできたのに、どうして袖にするの。どうして他の人のところに行ってしまうの」と嘆き、悲しみ、そして怒って見たりする。気色悪いほど情緒的だ。
米国はまるで相手にしていないだろう。
産経新聞は、豊下楢彦著の「昭和天皇・マッカーサー会見」(岩波ゲンダイ文庫)を読んで、日米安保条約交渉史を学んだほうがいい。
あの時吉田茂と外務官僚は、日米安保条約を従属的なものにしてはならないと、必死の外交努力を重ねた。
米国側も、こんな従属的な関係は長くは続けられないだろう、反米感情が起きるだろうと、自覚していた。
ところが昭和天皇の一声で、沖縄が切り離され、米国の欲するまま、欲するとおりに、日本全土を米軍基地に開放する日米安保体制が出来上がってしまった。
吉田の信頼を得て自主、自立外交を貫こうとした白州次郎は、昭和天皇から、「白州がすべてわるい」と一喝された。
それ以降、戦後の日本は対米従属から逃れられなくなった。
史実を知らない戦後の政治家、官僚は、「日米関係ほど重要なものはない」という呪縛に縛られて対米追従に終始した。
日本がその呪縛から逃れ、自主、自立を取り戻す。
このことに異を唱える日本人はいないであろう。
不平等、従属関係からは真の友好関係はうまれない。
不平等、従属関係は人間の心を蝕んでいく。
ましてや愛国、保守の産経新聞にとってはそれを率先して主張したいところだろう。
私と産経新聞の違いは、米国から自立し、自らの手でどうやって日本の安全保障を守るかということである。
米国から押し付けられた憲法9条をかなぐり捨て、軍事力を強化して自主防衛に走る。
米国から押し付けられた憲法9条を逆手にとって、それを世界に掲げて平和外交で世界の先頭に立つ。
どちらが現実的な政策か。
この議論こそ、いくらでも戦わしたい。
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