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リベラル!! リベラリスト(自由主義者) 白川勝彦Webサイト HOME
永田町徒然草 No.944
近ごろ私は政権構想力というものを考えている。あまり聞いたことがない言葉だと思うが、政権交代がこれだけ現実味を帯びてきたのだから、真剣に考えてみる価値がある問題だと考えている。政権構想力とは、文字通り“政権を構想する力”である。政権担当能力とも違うし、国を治める力・ガバナビリティともちょっと違っている。 政権担当能力とは、政権党あるいは近い将来に政権を担当する可能性のある政党に、その能力があるか否かという場合によく使われる言葉である。例えば共産党に政権担当能力があるか否かなどということは滅多にいわれない。共産党単独あるいは共産党中心の政権ができる可能性は、現実問題として非常に少ないと思っている人が多いからであろう。中国共産党やかつてのソ連共産党は、政権担当能力がないなどといわれない。 国を治めるのは政権・政府である。いかなる政権にも官僚がいる。官僚組織がある。共産党がそのまま国家組織として国を治める国でも官僚組織がある。それらを含めた広い意味の政権が国を治める力・状況を、「ガバナビリティがある、ない」などと表現する。政権だけではなく大きな組織のトップに対しても、ガバナビリティがあるとかないとかいわれることもある。官僚組織に支えられない国家など現実には存在しない。しかし、官僚組織を掌握し使いこなすのは、トップの力である。かつては君主や皇帝や天皇がトップであった。現在ほとんどの国で政党がトップである。 政権担当能力やガバナビリティは、現在の政権党や政権党の経験のある政党について議論する場合に使われる言葉だ。政策力とは明らかに異なる。誰でも間違いを犯す。ある政策を間違ったからといって、それだけで政権担当能力が直ちに問われることにはならない。しかし、政策の失敗が相続き、その処理を間違うと政権担当能力に疑問符が付いてしまう。昨年の参議院選挙の直前はそういう状態だった。自公“合体”政権が参議院選挙で歴史的大敗を喫したのは、国民は自公“合体”政権の政権担当能力に疑問をもち始めたのであると私は考え、そのことを指摘した。 自公“合体”政権には、そういう認識も危機感もなかった。だから、福田首相を選出したのである。実はそれも政権担当能力がないことの端的な表れだったのである。福田康夫という人物を知らなかったため、多くの国民はそのことに気が付かなかった。だから、福田内閣発足当初の支持率は意外に高かった。しかし、国民はバカじゃない。福田首相で国民を長く騙すことはできなかった。福田首相では、政権を運営することができなくなったのだ。福田首相は行き詰まって、政権を投げ出したのだ。 政権担当能力がこれだけ怪しくなると、政権党といえども新しい政権を作るくらいの建て直しが必要になる。こういう場合に必要になってくるのが政権構想力なのである。“政権交代、政権交代!”と叫ぶ民主党にも政権構想力が必要なことは論を俟たない。そうすると政権構想力ということを真剣に考える必要がある。政権構想力について纏めたものを書いてみたいと私は考えている。 ところで、福田首相辞任→ど派手な総裁選→麻生首相選出というシナリオを考えた自公“合体”政権の人物の目論見も、政権構想力が問われる問題である。単なる広報戦略の域を超えている。そんな政権構想力をもった人物が現在の政権の中にいるのだろうか。いるのであれば、目論見は果たして成功したのだろうか。ぜひ訊いてみたいものである。麻生内閣の大臣の顔ぶれは大事なファクターだった筈だ。素人目にみてもこれはできが良くない。麻生首相の魂胆はミエミエだ。今日、中山成彬国土交通大臣が辞任した。これはまったくの想定外だったのだろうか。 今回の総選挙は、麻生自民党と小沢民主党の対決だといわれている。麻生太郎氏と小沢一郎氏の戦いであることは事実であるが、自民党と民主党の戦いがその本質である。自民党と民主党の政権構想力の対決なのである。自公“合体”政権すなわち自民党と公明党に政権構想力がないことは、明らかとなった。ほぼ確実なことである。果たして民主党に政権構想力があるのだろうか。支持率の微妙な変化は、この政権構想力に対する国民の評価なのである。さてこの評価がどのように変化するのか。 それでは、また。 |
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