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(回答先: 佐伯好郎博士は、景教を研究し日本で最初に「日ユ同祖論」を唱えた 投稿者 新世紀人 日時 2008 年 9 月 27 日 10:16:05)
http://tom.edisc.jp/hiroshima/saeki_yoshiro.htm
佐伯好郎(さえき よしろう)
2008/09/16更新
◆略年譜
1871(明治4)年 広島県に生まれる
1965(昭和40)年 没
◆参考文献
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◆『英語教育史資料5』より
東京専門学校(現在の早稲田大学)に入り,法律を学び,1890〈明治23〉年卒業.1893年渡米,英領カナダに転じ,トロント大学で言語学を研究し、1895年卒業.1896年帰国,早稲田の英語化に出講.英語科主任は岸本能武太,学生に正宗白鳥や布施知足らがいた.矢田部良吉にみとめられ,1897年の春,東京高等師範学校に聘せられた.1899年9月講師を辞職して,かねて尊敬していた内村鑑三が校長をしていた独立女学校(現在の精華学園)の教頭となった.同じ年5月に内村が出した『外国語之研究』の附録「英語自習独習の注意」は,佐伯が執筆したものである.しかしある問題で内村と正面衝突,1902年にして別れてしまった.再び講師に復職し,1902年から附属中学英語科の主任になった〈鳩山一郎はそのころの教え子〉.1907〜08年欧州視察.1913〈大正2〉年五高教授.1916年から東京高工〈現在の東京工業大学〉で教えた.1931〜40〈昭和6〜15〉年東方文化研究所研究員.景教の研究が有名で,The Nestorian Monument in China(1916)など大著が多い.太平洋戦争後はふるさと広島県廿日市町長を勤めたりした。
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