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「平権懇」連続学習会第4回 「裁判員制度を考える」に参加
ひらのゆきこ2008/09/16
西野さんのお話の中で印象に残ったのは、裁判員制度を徴兵制になぞらえ、「鉄砲持って戦場に行って来いまであと一歩」と、その危険性に言及していたことでした。
世論調査によれば、国民の約8割が反対していると言われている裁判員制度が、来年5月から実施されようとしています。国民に過大な負担を強いる裁判員制度は「現代の徴兵制」とも呼ばれ、その違法性を指摘する声もあります。
裁判員制度に真っ向から反対の立場であると明言する西野喜一さん(新潟大学法科大学院教授)が、この裁判員制度の問題点などについて、6日、毎日ホール(東京・竹橋)で行われた「平和に生きる権利の確立をめざす懇談会」連続学習会(第4回)で、話をしてくださいました。西野さんは元裁判官で、裁判員制度の問題点や、逃れ方などの指南書ともいえる「裁判員制度の正体」(講談社新書)の著者です。
西野喜一さんのお話
マスコミ報道はまったく当てにならない
西野さんは、裁判員制度についてのマスコミ報道は「まったく当てにならない」と述べ、最高裁の広報予算に群がっているマスコミの御用報道はこの制度の問題点を伝えていない、と厳しく批判しました。
なんのために裁判員制度をやるのか
裁判員制度は、死刑や無期など一定以上の重大犯罪事件の刑事裁判を3人の裁判官と6人の裁判員が、「事実認定」「法の適用」「量刑」を行うという制度です。「一種の参審制」としたうえで、なぜこの制度ができたのか、その経緯について、西野さんは次のように語りました。
裁判員制度は、司法制度改革審議会が1999年から2年間、陪審員制度派と反陪審員制度派が激しい議論を戦わせた末の「妥協の産物」でした。
80年代、免田事件など死刑囚が再審で無罪となった事件が4件ありました。しかし、なぜ誤判が起きたのか、再発を防ぐにはどうしたらいいのか、国民は司法参加を求めているのか、そのことに対する議論はまったくなく、「誤判があったから陪審員制にする」の一点張りで、審議会を支配していたのはとり憑かれたような熱気であったそうです。
「なぜ重大刑事事件が対象なのか」「審理が粗雑になるのではないか」「弁護士は対応できるのか」「国民にどのような負担をもたらすのか」「現行刑法・刑事訴訟法に合致するのか」これらの問題についての議論もなく、準備の過程で疑問が噴出し、裁判所が右往左往している、と西野さんは語りました。
西野さんは、こんなムチャクチャな制度は通らないと思っていたそうですが、これほど重要な法案が、衆院で3週間、参院で1週間の拙速審議で通ってしまったことに対し、「国会でよくよく検討せずに賛成した」と述べ、審議が不十分であったことを厳しく批判しました。ちなみに、衆院は全員賛成、参院は反対2名、ほかは全員賛成だったそうです。
裁判員制度の問題点
西野さんは、裁判員制度は「必然性も必要もない」と断じながら、国民がこの制度を求めたことはなく、その周知が進むにつれて反対が増え、世論調査によれば、反対が8割を超えていることを指摘しました。なお、政府の行う世論調査は最初から要らないという選択肢がなく、世論調査という名の広報であり、民意を反映したものとはいえないと語りました。
国民の8割が反対している裁判員制度をなぜ施行するのか。その点について、西野さんは次のように疑問を呈しました。
「誤判、冤罪防止のためか。だが、審議会の最終答申ではそのことにまったく触れていない。司法の国民的基盤を強化するためか。とってつけたような理屈で、意味がわからない。裁判員法1条には、国民の理解の増進と信頼の向上、とあるが、そのために被告人の運命を教材とするのか。
推進論者は、裁判に健全な社会常識を反映させる、と主張しているが、裁判官に健全な社会常識はないのか。重大事件以外の事件や、上告審では健全な社会常識はどうなるのか、被告人は裁判員制度を辞退することができない。政府関係者はその理由を問われ、被告人の辞退を認めると利用されなくなる、と答弁している。裁判員制度は被告人にとっても問題のある制度であることがわかる」
違憲のデパート
西野さんはまた、この制度は「違憲のデパート」であると述べ、その違法性について次のように語りました。
「憲法制定時、この制度についての議論はなかった。したがって、この制度を前提とした規定がない。憲法は最初から参審制を予定していない。憲法第六章に定めた、被告人が裁判所で裁判を受ける権利を侵害する。被告人が不利益になる場合があり、憲法32条1項の「公平な裁判所」にも当たらない。裁判官の独立性を侵害し、裁判員に選ばれた国民に苦役を強いる。思想及び良心の自由を侵害するなど、違憲のデパートだ。推進論者の強引な合憲論は危険である」
国民の8割がいやだと言っている制度はやめさせるべきだ
また、公判前整理手続きや、公判が3回程度と言われている裁判員制度では、「審理や評議や判決が粗雑になり、真理の探求がそこなわれる」と懸念を示したうえで、その問題点を次のように指摘しました。
「我が国の裁判は、裁判の外にある真実を追求するというやり方。裁判に真実発見を期待する我が国では、陪審員制度は無理。本当はどうだったのか。そのことを知るために裁判の傍聴に行く。それが国民性。公判が3回しか開かれない裁判員制度では、真理の追求は困難。
現在は、自白事件でも平均4回、否認事件なら平均10回公判が開かれている。仙台の『筋弛緩剤殺人事件」は公判が126回、秋田の『児童連続殺傷事件』は公判前整理手続きが1年2ヶ月、公判13回。自白事件でもこれほど時間がかかるのは、法が定めた刑が広く、殺人でも死刑から執行猶予まであり、量刑に対するきめ細かい対応が求められているからだ。
検察の業務にも影響がある。検察官が弁護士と司法取引をする。たとえば、殺人なら審議をするが、傷害なら審議にならない。アメリカのように、日本でも司法取引が増えるのではないか。フランスでは、一定の重大事件のみ参審制にしている。
裁判員制度では集中審議を行うが、弁護士は民事で収入を得ている。現在は月にせいぜい2回だが、連日やることになったら対応できるのか。多くの弁護士事務所は刑事事件をやらない。民事の合間に刑事をやって収入を得ている。準備も含め、1ヶ月も2ヶ月も1つの事件に対応できるのか。
しかも、この裁判員制度は費用がかかりすぎる。国家財政危機のおり、やるべきではない。憲法改正も行わず、国民投票もなく、国民に過大な負担を強いる新しい義務を創設するのはおかしい。国民の8割がいやだと言っている制度はやめさせるべきだ。審議会には労働者の代表もいたが、裁判員制度は違憲でないと主張した。労働組合の組織率は18%ぐらいだが、労働者の権利より己がやりたい裁判員制度を熱心に推進した。
さらに、裁判員制度は国家主義、全体主義的思想を醸成する。どんな指示があっても、個人のことより国家の目的が優先される。国民は国家に協力する。国家が命じ、鉄砲担いで戦場に行け、ということと同じ。すでに報道規制が現実化し、マスコミは広報の役割を担い、御用報道一色になっている」
国民にとって危険で迷惑な制度
西野さんは、この制度は国民にとって危険で迷惑な制度であると断じました。身体的負担に加え、精神的負担を強いられるからです。
裁判員に選ばれると、期日の6週間前に呼出状がきます。ウイークデイに3日間も仕事を休むのは大きな負担です。自営業なら会社がつぶれるかもしれません。サラリーマンの場合も、上司には理由を告げることができますが、ほかの人たちには話すことができません。裁判員に選ばれたことを公にしてはいけないというのが最高裁の解釈だからです。
1つの裁判につき、50人か60人ぐらいから100人ぐらい呼び出されます。必要なのは6人、補充が2、3人なので、苦労して時間をつくっても、選任されるとは限りません。補充の裁判員は、裁判員と同じようにずっと付き合わなければなりません。
西野さんは、裁判員制度は良心の自由を侵害する、と指摘します。ほかの憲法上の義務(納税、教育、勤労)と異なり、「判断」を強要する義務を新設し、「お前は何を考えているのか」と人の内心へ踏み込む制度だからです。国家機関(裁判官)が国民の思想の当否を判断し、「裁判所が、不公平な裁判をするおそれがあると認めた者」(法18)は裁判員には選ばれません。
西野さんは、国家が国民の思想を判断する機関を堂々とつくったことが問題であると述べ、その危険性を訴えました。
また、裁判員は守秘義務があり、違反した者は刑罰(罰金50万円、懲役6ヶ月など)が科せられます。西野さんは、政府は国民をまったく信用していないことが、このような重い刑で脅していることからもわかると述べ、「国民にとって危険で、迷惑な制度」は不要であるとの考えを強調しました。
「ご出征だそうでおめでとうございます」まであと一歩
西野さんは、裁判員の義務は憲法違反ではないという主張は無理、との認識を示したうえで、「これは義務ではなく特権である」と詭弁を弄している推進論者を厳しく批判しました。戦争中、出征はめでたいこととされ、召集令状がくると近所の人が「おめでとうございます」と言ったように、こんなことやりたくないと思っても、抽選で裁判員に選ばれた人は、呼出状(召集令状)がきたら裁判所(戦場)に行かなければなりません。西野さんは、「ご出征だそうでおめでとうございます」までもうほんの一歩、と述べ、その危険性を強く訴えました。
さらに、我々国民が頭に入れておかなければならないのは、なぜ破格の厚遇で裁判官を雇っているのか、ということです。西野さんのお話では、裁判長は月収約100万円を得ており、西野さん自身、裁判官を辞めて大学で教えるようになってから収入が半分になったといいます。つらい仕事であるからこそ、裁判官は厚遇を得ているのです。
関わらないのが一番
しかも、国民が裁判員として刑事事件に関わることで不利益を被ったり、人生が暗転しても、裁判所はなんらかの補償をする意思も能力もまったくないことに言及したうえで、西野さんは「関わらないのが一番」との考えを示しました。
裁判員制度の導入について、「諸外国でもやっているから」とその理由を挙げていることに対し、「G8諸国で日本以外はみんなキリスト教だから、日本もキリスト教にしましょうと言っているのと同じぐらい、おどろくべき主体性のなさ」と厳しく批判しました。
あいた口がふさがらない最高裁のご都合主義
審議会のころは憲法違反の疑いがあると言っていた最高裁が、この制度ができたあとは「最高裁はこの制度を支持、賛成してきた」と言っていることに対し、西野さんは「あいた口がふさがらない」とそのご都合主義を厳しく批判しました。
最高裁はなぜ賛成なのか。その理由は、予算が入ってくるからです。裁判員制度は打ち出の小槌のように予算が降ってくるうえに、誤判についても責任が回避できる、と西野さんは語りました。誤判をしても半分は裁判員の責任になり、最終的には、裁判所は正しいものでなければいけないという理念が放棄される可能性があることを指摘しました。
刑事裁判は問題があるが、裁判員制度より間違いが起こりにくい
西野さんは、日本の刑事裁判は問題があるが、裁判員制度よりは間違いが起こりにくく、再審無罪となったケースがあるように、間違いを発見しやすい、と語りました。裁判員制度は短い期間で有罪か無罪を決めるので、間違いがあっても発見できないとの見方を示したうえで、国民参加と引き換えに、現在の我が国の刑事司法がもっている利点を全て放棄することに反対の立場を表明しました。
また、「人心の安定なしでこのような制度が実行できるのか」と疑問を呈しながら、人心が荒れ、急激な格差拡大、非正規雇用の急増、国家財政の窮乏など、さまざまな社会不安がある中で、このような制度を実行することの問題を指摘したうえで、この制度をつくった人たちは庶民の苦労にはまったく縁のない人たちであり、日本の刑事裁判も、被告人の運命も、被害者の事情も、どうなってもよいと思っているのではないか、とその無責任体質を厳しく批判しました。
うまく逃れるにはどうしたらよいか
最後に、うまく逃れる方法について、次のような助言を与えてくれました。(詳細は、西野さんの著作『裁判員制度の正体』に書いてあるそうです)
1.裁判員等選任期日の呼出状を受け取らない。
2.質問状を返送しない。
3.選任期日に裁判所へ行かない。
4.選任期日によんどころない用事を作る。
5.裁判長から(強引にでも)免除をもぎとる。
なお、呼出状を受け取った場合、裁判員が選任期日に出頭しないと10万円の科料に処せられますが、西野さんの予想では、いろんな罰則を規定しているが、最初は発動しないのではないか、とのことでした。呼出状を受け取らない方法は、「受取拒否」などの方法がありますが、かりに、受け取ってしまった場合、病気などを理由に辞退する方法があります。診断書を出せと言われた場合、それなりの対応をしておいたほうがよいということですが、参考のために裁判員制度がどんなものか実際にやってみるのもよいかもしれません、とのことでした。
推進論者は、司法に対する国民の責任と義務を主張し、やりたくないと逃げるのはけしからんと言っているが、司法に十分な関心と理解をもち、憲法を擁護し、憲法違反に対しては司法を破壊するものとして抵抗するのが国民の司法に対する責任と義務である、と西野さんは反論しました。
そのうえで、いまの裁判は問題があるが、少なくとも、誤判の問題についての議論をすっ飛ばし、国民に過大な負担を強いる、違憲のデパートである裁判員制度よりはマシであり、裁判員制度の導入については「考え直すべき」であることを強く訴えました。
筆者の感想
西野さんのお話のあと、質疑応答がありました。参加者の多くが質問していたのは、裁判員に選ばれた場合、どうやったら逃れることができるのか、ということでした。世論調査の結果に示されているように、多くの人たちがこの制度に疑問を感じ、裁判員に選ばれることへの不安を感じていることがわかりました。
国民に過重な負担を強いる裁判員制度の問題点や、この制度に対する国民の不安や反対の声をメディアが十分に伝えない状況にあって、裁判員制度廃止の運動が大きなうねりとなって広がっていかないこともあり、人々の不安が増していることが、質疑応答での真剣なやり取りからも伝わってきました。
西野さんのお話の中でとくに印象に残ったのは、裁判員制度を徴兵制になぞらえ、「鉄砲持って戦場に行って来いまであと一歩」と、その危険性に言及していたことでした。現代の徴兵制と言われる裁判員制度に対し、多くの人々が抱いている不安や恐怖感も、おそらく同じものではないか、との感想を持ちました。
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