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2008年09月14日
この国の若者は「天皇の玉音放送」(朝日文庫)という本を読むべきである
小森陽一の「天皇の玉音放送」(朝日文庫)という本を読んだ。
そこに書かれている事は、昭和天皇の戦争責任が、ついに今日まで明確にされずに終わってしまった事への、全身からほとばしる小森氏の義憤である。
その思いを私は共有する。
昭和天皇の戦争責任論はこの国を二分する一大問題だ。
そして、この国は、天皇の戦争責任を公言すれば、今日でも右翼から命を狙われる国である。
そんな中で、昭和天皇の戦争責任を正面から唱えた小森氏の勇気に敬意を表する。
そのあまりにの激しさに、考えを共有する私でさえも、たじろぐ。読むのがつらくなるほどだ。
しかし史実から逃げてはならない。
その史実を、一人でも多くのこの国の若者に知ってもらいたい。
この本は、イラク戦争が始まった半年ほど後の2003年8月に五月書房から刊行された。
当時は米国のイラク戦争に追従した日本政府に異を唱える目的で出版されたに違いない。
日本が対米従属であり続ける最大の理由が、昭和天皇の戦争責任を不問にした米国と天皇制を守ろうとするこの国の支配者の取引であった事を、小森氏は訴えたかったに違いない。
その著書が、なぜ今、文庫本となって再刊されたのか。
私は思う。
今この国は、戦後始めて、本当の意味での政権交代を目撃しようとしている。
その政権交代がもたらすものは、単に国民経済の困窮を、自民党と民主党のどちらかが、よく救ってくれるか、という経済問題にとどまるものではない。
国民よりも米国の利益を優先してきたこの国の歴代の政権から、米国の利益より、国民の利益を優先する政権に交代するかどうか、それが問われているのである。
「天皇の玉音放送」という書は、政権交代を迫っている本なのである。だからこのタイミングで再刊されのだ。私はそう思っている。
今の日本を生き、これから長くこの国で生きていかなければならない若者は、戦後の日本がどのように出来たのか。なぜこの国の政治が、いつまでたっても国民の為の政治にならないのか。なぜこの国の指導者は、国民より米国に従ってきたのか。その事について、「天皇の玉音放送」を読んで知らなければならない。
この本のハイライト部分を小森陽一氏の言葉を引用してここに紹介してみたい。
・・・ポツダム宣言が発せられる前日の(1945年)7月25日、(昭和天皇)ヒロヒトが(内大臣)木戸幸一に問いかけたのは「三種の神器」(伊勢神宮にまつってある鏡、熱田神宮にまつってある剣、現在は行方のわからない勾玉)が守れるのかということだけだった・・・たとえどのようにもっともらしい考古学的考証があったとしても、それらは神話的器物でしかない。鏡と刀と勾玉といった器物を守る為に、多くの国民の命が犠牲になっていい、ということは絶対にありえない・・・
かつて森元首相は「この国は神の国」だといって非難され、失脚した。
しかしこの国は確かに神の国であったのだ。
そして神である天皇と天皇制を守る(国体護持)ために、降伏をためらい、東京大空襲や広島、長崎への原爆投下で多大な国民の命が犠牲になった。
その時の指導者たちが戦後もこの国の指導者となり、一変して米国と手を握って天皇制を維持してきたのだ。
「天皇の玉音放送」で国民を欺いた米国とこの国の指導者は、63年経った今また、国民を再び欺こうとしている。
そのような支配構造を、国民の手で改める、それが政権交代である。
小森陽一氏はその思いで「天皇の玉音放送」を再刊したに違いない。
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