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[民主主義の危機]「国民主権意識」の不在で爛れきって「妖怪コンテスト」化した「自民・自惚れ総裁選挙」の腐臭
<注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080912
【画像1】ヨハネス・フェルメール『絵画芸術』
[f:id:toxandoria:20080912221054j:image]
Johannes Vermeer(1632-1675)「The Art of Painting」ca1666-1673 Oil on canvas 130ラ110cm Kunsthistorishes Museum 、Vienne
フェルメールが30歳半ば〜40歳頃に描 かれた作品であり、このウイーン美術史美術館所蔵の『絵画芸術』は精密で現実的な観察に基づきつつ寓意に満ちた理想の世界を描いたフェルメールの“至高の傑作”とされています(2008.8.22観賞、於・東京都美術館「フェルメール展、http://www.tobikan.jp/museum/vermeer.html」)。
ラッパと大きな書物を持つ女性は歴史を司る女神クリオ(Clio)の扮装で、彼女の頭を飾る月桂冠は永遠の名声を表します。テーブルの上の仮面はミメーシス(模倣)の象徴、いわば偉大な「絵画芸術」そのものの象徴です。
真正面を飾る大きな地図は、フェルメールが生きた時より少し前の時代(16世紀〜17世紀前半頃)のネーデルラント17州(現在のオランダとベル ギー/オランダ独立以前の同君連合時代)の地図です。
細部や寓意 の解釈もさることながら、やはり重要なのはフェルメールの至高のハーモニーと光、そして細部描写の精妙な美への誘い、つまりフェルメールの「オランダの光」を堪能し感動するこ とです。
ヨーロッパ市民社会の先駆けとなった凛とした時代の空気をキャンバスへ固定したような、しかも静寂で美しいこの「オランダの光」は、現代EU(欧州連合)の「人権を尊重する社会的資本主義の理念」へ繋がるように思われます。
【画像2】ヴァン・ダイク『狩場のチャールズ1世』
[f:id:toxandoria:20080912221055j:image]
Anthonis van Dyck(1599-1641)「Charles 1、King of England、at the Hunt.」 1635. Oil on canvas 266 x 207cm Louvre Paris 、 France
アントワープで生まれたヴァン・ダイクは、ルーベンスの弟子時代(1616-1621)を経てからイタリアへ遊学(1623-1627)し、ティツィアーノ、ヴェロネーゼなどヴェネツィア派の影響を受けます。が、1632年以降はイギリスへ渡り、チャールズ1世の宮廷画家として生涯をこの地で送りました。
初期の作品はルーベンス風ですが、晩年にはイタリア絵画の影響も受けつつ大画家としての個性的作風を確立します。そして、ルーベンス絵画の活気・迫力に比べると、晩年のヴァン・ダイク絵画の魅力は、より冷静で穏やかな構図と豊かな色彩、そして優雅で率直な作風という点にあります。
これはダイク37歳(1635)の時の作品ですが、腰に手を置いたポーズのチャールズ1世(父王ジェームズ1世と同様に議会無視の専制政治を行った)の表情には、あからさまに下々を見下す、横柄で狭隘な雰囲気が漂っています。しかし、それから15年後(ダイク亡き後)、このチャールズ1世はピューリタン革命で“民衆の敵”の名の下に斬首されます。
更に、それから約150年後、舞台は変わり大革命時代のフランス・・・、ここではチャールズ1世の失政を学ぼうと意図したにもかかわらず、ルイ16世がチャールズ1世と同じ轍を踏む形で断頭台の露と消えます。これは、まさに歴史を冷静かつ客観的に学ぶことができなかった“ダメ君主による失政の連鎖・伝染現象”と見なすこともできそうです。
このように重要な歴史に学ぶこともなく、この“ダメ君主”の三人目(安部→福田→?)を選ぶ“奇ッ怪なハシゴ現象”(=腐れ妖怪コンクール)が、現代日本の自民党・総裁選挙で演じられつつあることは驚きです。ダメなものはダメだというのに・・・。どうやら、彼らは自分を客観的に見ることができないようです。
・・・・・
(総理の二度連続の“政権放り投げ”を当然視する自民党の奇妙な政治感覚と「国民主権意識」の不在)
折にふれ、世上では「ねじれ国会」こそが今の日本政治が混迷する元凶であるという奇怪な論法が一人歩きしています。自民党のメンバーやその支持者らは無論のこと、マスコミ(実は、ハイエナ化したマスゴミ)までもが、あたかも使い勝手がよい“常套句”のごとく、このコトバを枕にした論法を使いまくっています。そして、この“奇怪な常套句を伴う論法”の周辺で、日々に際限なく生み出されつつあるのが「主権者たる一般国民の思考停止」と「自民党による国民主権の無視」という由々しき現象です。
そもそも、「ねじれ国会」とは、2007年7月29日に安部普三内閣下で行われた第21回参議院議員通常選挙の結果により、「衆議院の状況とは反対に参議院で野党が過半数の議席を持つようになったこと」を指す言葉です。つまり、この直近の国政選挙で連立与党が国民から厳しい批判を突きつけられたことに他なりません。その結果、国民の大きな批判に耐え切れなくなった「安部の美しい国」は潰え去った(安部総理が政権を放り投げたこと)のは未だ耳新しい出来事のはずです。
従って、今の日本の政治状況が停滞していることを「ねじれ国会」のせいにするのはお門違いです、そうではなく、政権党の中心に居座り続ける自民党が、真に国民のために必要な政策を本気で責任を持って実行できないこと(つまり、政権を担う能力の喪失状態)にこそ原因があるはずです。それにもかかわらず、あたかも「連立与党を批判した多くの国民が悪いのだ」とでも言いたそうにしながら、「ねじれ国会」を悪者に仕立て上げつつ国民一般の思考停止を誘う魂胆はあくどい限りであり、そんな論法は筋違いも甚だしいことです。
しかも、約1年前の「安部総理の政権放り投げ」に引き続く二度目の無責任な「福田総理の政権放り投げ」の醜態など今やどこ吹く風という有様で、小泉劇場の再来を意図的に狙ったかのような、5人の候補者(その全員が“小泉・ネズミ講政治”の共犯者たち)による乱戦模様の総裁選挙のお祭り騒ぎの喧騒の中から聞こえてくるのは連日のマスゴミの絶叫と、まるで妖怪変化か魑魅魍魎の如き面妖な総裁候補の面々がオドロオドロしく吐き出す、心にもない自惚れのポンジー・ジャーゴン(ネズミ講詐欺師的な世迷言/参照、下記◆)ばかりで、自分たちの失態の後始末(その凶悪政治の犯人は小泉・元総理)のプロセスが何でそんなにお目出度いのかと、ますますの疑念と腹立たしい思いが募るばかりです。
◆小池百合子“天の声”に「超うれしいワ〜、チェンジよ〜」…小泉の「支持」表明に/「改革の後継者」のお墨付き 、http://www.zakzak.co.jp/top/200809/t2008091230_all.html
時あたかも9月11日は、約3千人の犠牲者を出した「9.11.同時多発テロ事件」から七年目です。しかも、「テロとの戦い」の大義名分の下でブッシュ政権が着手したイラク戦争は、その開戦の口実(大量破壊兵器の存在)を失ったうえに、約15万人を超える民間人犠牲者(参照、http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/iraq-death0409.html)と約4千人を超える米軍戦死者を出し、その戦費の累計も8580億ドル(約92兆円)の巨額に達していながら、未だにその出口は見えていません。しかも、もう一つのテロとの戦いであるアフガニスタンの情勢は悪化するばかりの「ようです。
しかしながら、そのアメリカでは「9.11.同時多発テロ事件」や「イラク人捕虜虐待事件」などについて、ブッシュ大統領や政府高官らが、どの時点でどれ位の関連情報と状況を把握していたかという論点について、地味ながらも、着実に、様々な調査の動きが見られます(例えば、下記★参照乞う)。
このような動きの背景にあるのは、やはり先進民主主義国家アメリカとしての誇りを支えている制度である「国立公文書館・記録管理庁」の存在ということがあります。この制度は、政治権力的な厳しい支配構造の渦中にありながらも、ギリギリのところで「国民主権」を守るべきだというアメリカ国民の民主主義意識に支えられているようです。
★クチニッチ議員(民主党下院議員) 「9・11」を前に ブッシュ大統領弾劾を請願、http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2008/09/post-dea9.html、http://latimesblogs.latimes.com/presidentbush/2008/09/impeach-the-pre.html
そして、日本の民主主義の深層には様々な欠陥があります(例えば、個人債務と連帯保証人に対する無限責任原則の存在、会計基準としての無限定な時価主義の導入、これらの結果としての、より弱肉強食化した市場原理主義の放任など)が、特に、“公文書館(アーカイブ)が政治権力サイドと一般国民サイドの双方から「国民主権」を守るための重要な柱として明確に認識されていない”ということは、日本の民主主義の致命的欠陥になっていると思われます。
(福田首相が辞任の意志を表明した折の余りにも軽薄で「国民主権」を小ばかにしたアーカイブ・エピソード)
伝え聞くところによると、福田首相のライフワークは「公文書館」の充実ということだそうです。そのためか、漸く、日本政府(福田政権)が「中間書庫」システムの試験的な運用開始に入るとのニュースが流れたことがあります(情報源:2007.11.26付・読売新聞、http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20071126i504.htm)。
それによれば、政府は、<歴史的に価値を持つ可能性の高い行政文書>を早い段階から保管するため、各省庁の公文書を専門家が一元的に管理する「中間書庫」システムを近く試験的に運用すると発表しています。遅きに失しながらも、これは日本のアーカイブを欧米先進諸国並みのレベルへ近づけるための第一歩であるという意味で評価できます。しかしながら、既に日本以外の先進諸国では「非現用文書」のみならず「現用文書」をもアーカイブ管理の視野に入れた法整備が行われており、まだまだ道遠しの感があります。
ところで、この「公文書館」の充実をライフワークとするはずの福田首相が、こともあろうに、今回の「自らの政権放り投げ宣言」の直後の去る9月4日に内閣府で開かれた「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」の挨拶で、“2008年9月には、急に福田首相が辞めちゃったとか、そういうことも含めた日本の有り様を100年、1000年たっても(公文書として)見せてほしい”と宣ったのです(情報源:2008年9月4日付・読売新聞、http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080904-OYT1T00604.htm?from=main2)。
関係者らの間では“地味なテーマだけに次期政権では棚上げされかねない”との懸念も強いということのようですが、福田首相は自らのライフワークと自任する最も重要な仕事ですら、この程度の軽薄な意識でお気軽にやっていたということがバレバレの醜態です。しかも、関係者(学識経験者?)らにしても“公文書なんて地味なテーマだ!”ぐらいの浅はかな理解しかないようです。従って、これは日本の民主主義の内実が露見した恥ずべきエピソードですが、当事者らにそのような自覚そのものが欠落している訳ですから救いようがありません。
(参考1/アメリカの公文書館事情)
これは、下記▲を基にポイントを纏めたものです。
▲アーキビスト・仲本和彦著『アメリカ国立公文書館、徹底ガイド』(2008年06月・刊、凱風社、本体価格¥2,500.-)
「国立公文書館・記録管理庁」(National Archives and Research Administration=NARA)・・・1934年、設立(世界の公文書館の鏡とされるフランス国立中欧文書館に遅れること約140年)
●Archives1(ワシントンDC)、Archives2(メリーランド州、カレッジ・パーク)、大統領図書館(各大統領の所縁の地)、レコード・センター(中間書庫)、地域文書舘など全米で33の施設があり、約2,500人のスタッフを擁する。
●いわゆる「自由の憲章」(Charters of Freedom=独立宣言書、合衆国憲法、権利章典)および奴隷売買契約書、移民記録、従軍記録、外交文書、戦争関係文書など、アメリカ合衆国の誕生(建国)から200年あまりのアメリカの「記憶」(歴史)の一次資料が大切に保管されている。
●NARAの収蔵資料は文書が約1,050km(書架長/300頁程度の単行本換算で約1.5億冊以上)、映像フィルム30万本、電子ファイル35億セット、モノ資料54万点ほか(2007)。
●民主主義国家の盟主を標榜しながら、アメリカの政策が常に正しいとは限らない。が、アメリカほど立場や意見の違う人々が自由に議論をぶつけ合える国がないのも事実だ。「常に民主的であろうとする努力の度合い(丸山真男)」から言えば、アメリカは民主主義国家の盟主と呼べるかも知れない。
●図書館と異なり、アーカイブでの資料管理の単位はそれを作り出した組織であり、これを「出所の原則(principle of provenance)」と呼ぶ(toxandoria注記・・・アリストテレスの第一実体に相当する考え方?)。
●もう一つの原則は「原秩序尊重(principle of original order)」である。記録内容もさることながら、業務の遣り取りの背景を残すことが重要だという考え方。その文書を作り出した者が構築した遣り方がそのまま維持される。
●「国立公文書館・記録管理庁」の後半部分、つまり「記録管理庁」の機能に機密文書の宝庫としての秘密が隠れている。つまり、連邦各省庁が文書の「作成」、「維持」、「処分」の段階でいかにきちんと管理するかどうかで、それら文書に対する公文書館での使い勝手が決まる。このため、NARAは、各省庁に対して文書管理の方法を指導する権限が法的に与えられている。
●アメリカでは「記録なくして歴史なし」の考え方が徹底されている。たとえ教科書の歴史記述であったとしても、その記述は何らかの視点にスポットを当てて書かれている。つまり、一応は定着し、客観視される歴史であっても一次資料しだいで書き換えられる可能性は常に付きまとっているということ。逆に言えば、一切の一次資料が消滅すれば「歴史」も消滅するということである。
●公文書館が外部からの政治的圧力に屈せず、あくまで専門的見地から記録の評価・選別を行うことの重要性は、世界的な文書舘専門会議で強く説かれている。このため、上部組織に対しても毅然として向き合えるだけの地位と権限が法的に保証されている。
(toxandoria注記・・・この点、日本の現状は目も当てられぬ惨状である/文書の廃棄権限は各省庁の長が握っており、公文書館へ送る文書の選別も各省庁の恣意のまま/公文書館サイドには法的な後ろ盾がなく、これに対抗できない、つまり日本は事実上の封建国家であり、政治権力と官僚にとって都合が悪い文書は闇に葬られる運命を辿る/かくして、日本の公文書の99%は廃棄または焼却処分される/日本の政治家や高級官僚が偉そうにしていられる訳が、実はこの辺りにあることに一般国民は気づくべきである)
(参考2/フランスの公文書館事情)
これは下記記事▼から部分的に再録したものです。
▼2005-03-06付toxandoriaの日記/アーカイブの役割とは何か?(?)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050306
●近代的な文書館成立の嚆矢は「フランス革命」(1789)直後のフランスで見られます。1794年、アンシャン・レジーム時代(anciens regimes)の公文書や記録を保存・管理する目的で「フランス国立中央文書館」が創設されました。イギリスでは1838年に公文書法が公布されてロンドンに公文書館(Public Record Office)が設置されています。かなり古い時代(ca15世紀〜)から領邦(Territorium)ごとに文書館が設置されてきたドイツでは、1919年にワイマール共和国(1919〜1933)で「国立文書館」がポツダムに開設されています。また、第二次世界大戦後には西ドイツのコブレンツと東ドイツのポツダムに、それぞれ「国立公文書館」が設置されました。
●特に、これら近世の公文書館の歴史で注目しなければならないのは「フランス国立中央文書館」が創設された時の公文書管理にかかわる理念です。この「フランス国立中央文書館」が開設されるにあたっては、文化財的(あるいは文化資料的)観点から次の二点が明確に意識されていたのです。このような意味で、フランスにおける公文書館の近代史は飛びぬけてユニークです。ここでは、その当時の行きづまった絶体主義体制の頂点たるアンシャン・レジームに対する有効な批判の武器となっていた啓蒙思想の面目躍如たるものが感じられます。
(1)役所が作成した公的な文書に限らず、民間資料でも、それに順ずる重要な文書は保存・管理の対象とする(民間側からの積極的な寄贈・寄託を受け入れる)
(2)フランスの一般国民は、このように定義された「公文書」の保存・管理を国家(政府)に要求する権利を持つ
・・・逆に言えば、フランス国民は「公文書」の保存・管理に積極的に協力する責務がある。
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