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2008年09月11日
はじまったとたんに終わった自民党総裁選挙
自民党総裁選をめぐる10日一日のテレビや新聞の報道振りを眺めて、つくづく思った。
自民党総裁選挙ははじまったとたんに終わってしまった、と。
これから22日の総裁選まで、候補者もメディアも、一体どのようにして10日あまりを過ごすのだろうかと思う。
この事はおそらく候補者自身も、メディアも気がついているに違いない。
気がつかなければあまりにも鈍感だ。
いや、気づいている。11日早朝のみのもんたの「朝ズバッ」で、彼が怒鳴っていた。
なぜ有毒米の責任について触れないのか、なぜ拉致問題について触れないのか、国民の暮らしと安全を守れないで、何が総裁選か、と気色ばみ、それを聞いていた解説者が大きく頷いていた。
なぜ自民党総裁選は盛り上がらないのか。
それは、もそも政策論議などしている時ではないからだ。
そんなものを聞いている余裕は国民にはないからだ。それは政治家たちの自己満足なのだ。
壮大な錯覚なのだ。
候補者が何を言おうが、国民には伝わらない。
そもそも政策論議はすべて相対的だ。一長一短がある。誰もどれが正解かわからない。
喋っているものさえわからないのだ。
その上に、候補者の言葉が本当の事を何も語っていない。選挙目当ての演説だからだ。
次々と表面化する日本の難問にどう答えるか、その政策を語っていないからだ。
いや、政策を語ろうとしているのかもしれない。
しかしどの候補者も、本当の政策論争から逃げているから、国民に響かないのだ。
なぜ本当の政策が訴えられないのか。
わかっているけれど、それを言えば自公政権のこれまでの政策の誤りをいう事になるから言えないのかもしれない。
本音を言ってしまえば国民からそっぽを向かれるから、本音を隠して耳障りのいい事しか言わないのかもしれない。
そんな中で、「景気対策を優先しなければどうにもならないだろう、この馬鹿!」と一人開き直っているのが麻生太郎だ。
その物言いは乱暴だ。しかしまさしく国民が望んでいるのはその明快さである。
だから支持が集まる。
そして、その明快さは、あの小泉偽改革の時の明快さとは違う。
実体がある。小泉偽改革の明確な否定という実体がある。
麻生だけが小泉改革を否定しているからわかりやすいのだ。
麻生で解決が出来ないとわかっていても、麻生だけは総裁にさせないなど傲慢な口を聞く者がいても、もはやそれ以外の候補者のどの顔を見ても、国民は、そしてメディアも、解説者も、まともに支持する気にはなれないのだ。
はじまったとたんに一日で終わってしまった自民党総裁選挙。
繰返して言う。
これから10日あまり、候補者は、メディアはどう時間を潰すつもりか。
訴えるべき事は一日で終わってしまった。報道すべき事は一日で終わってしまった。
これから同じような事を繰返していては、国民の心はどんどんと離れていく。しらけていく。
自民党は敗北必至だ。
自民党もメディアも何かを考えなければならない。
それは何か。
小沢民主党叩きか。
新党結成の動きか。
究極のドラマは小泉を引っ張り出してきて、文字通り麻生、小池(小泉)の代理戦争を行う事だ。
しかし、小池陣営は、「小泉さんは負けるけんかはしない人だ」と様子をみるしかないという(9月10日読売)。
沈黙する小泉元首相に小泉チルドレンはばらばらであるという(9月11日)。
どうやら、今後の唯一の見せ場は小泉元首相が出てくるかどうかになりそうだ。
出てきても、国民の反応は完全に二分するだろう。
世論調査でも明らかだ。期待の声もあるがブーイングも強い。
負け戦を嫌って出てこなければ、文字通り小泉再登場は完全になくなることになる。
面白いことになってきた。
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