★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK53 > 393.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
http://www.amakiblog.com/archives/2008/09/10/#001127
2008年09月10日
メディア批判を批判する
9月10日の読売新聞に学習院女子大学教授の石澤靖治氏(メディア関係論)が
「遅かった『ひとごと』批判」という見出しで、メディア批判を書いている。
その要旨はこうだ。
・・・9月1日の福田首相辞任会見の最後に、ある記者が総理の会見は人事にように聞こえるという質問をし、これに怒った福田首相が、あなたと違って私は自分を客観的に見る事ができる、と捨てゼリフを吐いた。
毎日記者会見をしておきながら、なぜいままでこのような鋭い質問が記者の間から出てこなかったのか。
それは暗黙の了解が記者と総理の間にあるからだ。この実態を、フリージャーナリストの上杉隆氏が「ジャーナリズム崩壊」(幻冬舎)で明らかにしている。つまりなれあいの会見をわれわれは毎日見せられてきたのだ。
総理会見の場は、首相の一方的なメッセージ発信の機会にはなっていても、ジャーナリズムが首相をチェックし、批判する場にはなっていない。
「ひとごと」批判は、福田首相が退陣するときになされるべきではなく、それより前に行なわれているべきであった・・・
その事に異論はない。
しかしこの八百長質問会見を考え出し、もっとも利用したのは小泉・飯島コンビであった。
いまごろになってジャーナリズムの権力迎合を糾弾する上杉は、小泉・飯島に迎合することで生き残ってきた。
いまでも小泉・飯島批判は行なわない。
あのとき小泉会見のいかさまを糾弾していたら、あれほど小泉政権は長続きしなかった。
日本はここまで壊れる事はなかった。
小泉偽改革が自民党総裁選の政策論争で否定されるようになった。
しかし、今でもメディアは小泉改革の嘘を正面から指摘できないでいる。
その一方で、本気で権力批判をしてきた気骨あるフリージャーナリストは多く存在する事を私は知っている。
問題は彼らを、既成メディアが排除してきた事だ。
世に重宝されているジャーナリストはすべて権力と馴れ合っている。
そのようなジャーナリズムの自己批判は、所詮はおためごかしだ。
既成ジャーナリストが退場し、これまで注目されていなかったジャーナリストが世にでてくる事が必要だ。
ジャーナリズムの世界もまた政権交代が必要な時である。
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK53掲示板
フォローアップ: