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http://www.amakiblog.com/archives/2008/09/08/#001125
2008年09月08日
長銀無罪判決の教訓
これも9月8日の東京新聞の記事に基づいて書いている。
今度は社会部の瀬口春義という記者の記事である。「長銀無罪判決の教訓」と題して、自らの反省の弁を書いている。
すなわち、瀬口記者は、7月18日に最高裁が長期信用銀行の元頭取大野木克信被告ら旧経営陣に対し、逆転無罪の判決を下した事について次のように書いているのだ。
まず、瀬口記者は、被告らの弁護人が、記者会見で述べた、次の言葉を引用して書き始める。
「多くの報道機関が今か今かと(長銀幹部らの逮捕を)待ち受けていた。その状況下、検察官は肩を押され(長銀幹部らを)起訴した。法に照らすのではなく、ムードによって起訴した」
そして、瀬口記者は、「この弁護人の言葉は、厳しい検察批判であると同時に、検察に追従し世論をあおったメディアへの痛烈な批判でもある。当時、取材班にいた私の胸にぐさりと刺さった」、と正直に告白する。
その後に続く溝口記者の記事は、東京地検特捜部の、「最後に三振した打者だけが罪を問われる」というを見せしめ起訴に対する批判と、その筋書きを疑わずに報道するメディアのジャーナリズム精神の喪失への反省の言葉で溢れている。
そして一年前にあれだけ熱狂して被告人質問を取材していたメディアが、一年後の最高裁の逆転無罪判決の時には、取材席にいた記者は彼一人であったという、冷めやすさにあきれ返る。
私は7月19日のブログで「長銀無罪判決で問われる本当の意味」と題して、国民の怒りが政府・大蔵省に向かう事をさけるための、見せしめ長銀有罪判決が、それから10年たって、国民が忘れた頃を見計らって、被告の名誉回復を図ったのだ、逆転無罪判決は出ても、真の責任者を問わないで済ませるのは、政府・大蔵省と検察・裁判所の談合による責任回避だ、という事を書いた。
溝口記者の今日の記事は、その時の私も考えが間違っていなかった事を確認させてくれた。
この国は、政治、検察、司法、メディアが、馴れ合いながら身内の罪をかばい合っている。
少なくともその一角を占めるメディアの人間が、新聞でここまで反省するとは好感が持てる。
若い記者だからこそ反省できる勇気があるのだ。
メディアの劣化を嘆くよりも、このような記者がいる事を知って、この国のメディアへの期待を繋ぎ止めたい。
それが変わらない限り、国民は救われない。
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