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http://www.amakiblog.com/archives/2008/09/01/#001113
2008年09月01日
NGO職員の死に報いる唯一の方法は米国のアフガン攻撃から手を引く事だ。
8月28日のブログで、アフガンにおけるNGO職員射殺の衝撃について書いた。
その時私は、彼の死に報いる唯一の方法は米国のアフガン攻撃から日本は今こそ手を引く事だ、と書いた。
その事を私はここで再度繰返して強調する。
あの事件が起きてから、私は政府・外務省やメディアの対応を注視してきた。
そしてその対応が、NGO職員の死を悼む事だけに終始している奇妙さを見逃さなかった。
なぜ鎮魂一辺倒なのか。
それは勿論NGO職員のアフガンにおける行動が、あまりにも痛ましく、非難の余地がないほど崇高ななものだったからである。自己責任論を持ち出す余地はない。
しかし、その一方で、この種の事件が起きるたびに唱えられる、「だからテロに屈してはいけない」という言葉もまた、まったく聞かれない。
彼のような人物を殺害したタリバンは、いくら批判してもし過ぎる事はないのに、である。
この奇妙な現象は、今回のNGO職員の射殺事件が政府・外務省にとってそれほど深刻であったということを意味している。
アフガンの治安状況がここまで危険になっている事が白日の下にさらされたのだ。
日本がタリバンにとって敵視されていることが彼らの口から明確に発せられたのだ。
官、民、ボランテアを問わず、アフガンに人を派遣する事は命がけである事が明らかになったのである。
政府・外務省やそれに加担してきた公明党は、もはやそう簡単にアフガン支援を口に出来なくなった。たとえそれが人道支援という名目であってもだ。
その一方で、対米配慮から、何もしないわけにはいかない。政府、外務省は追い込まれた。
結局は安全第一でカネをばら撒くことになる。
この苦渋の選択を前にして、結論が出せないまま、とりあえずNGO職員の鎮魂を繰返すしかないのである。
それにしても残念だ。
ここまで明確に政府・外務省の対米従属政策の矛盾が露呈したというのに、野党政治家、護憲政治家からは、誰一人本気で政府・外務省の政策を批判する者が出てこない。
日ごろ平和を唱える有識者や評論家の中から、誰一人本気でアフガン撤退を訴えるものが出てこない。
アフガンの治安悪化を誰よりも良く知っているはずのペシャワール関係者さえも、日本政府の誤りを指摘する声が出てこない。
これだけは言っておきたい。
崇高なボランテア活動が最も効果を発揮するのは、皆が平和に暮らしている時である。
いくら崇高な活動を行なってみても、戦争はたちどころにすべてを破壊する。
それを一番よく知っているのは、NGOに携わっている人たちではないのか。
なぜ今それを声高に叫ばないのか。
いらだたしい思いをしていたところ、国民の中にも、私と同じ思いを持っている人たちが存在する事を知って勇気づけられた。
9月1日の東京新聞「応答室だより」で次のような声が紹介されていた。
「中村哲医師が、現地の対日感情の悪化とアフガンへの自衛隊派遣の動きとの関連性を指摘しているのだから、もっと政府や自民党批判などをしてもよかったのでは」、
「政府は、これ以上の米国支援をやめてほしい」、
「国には国それぞれの立場があるのだから、NGOなどが無遠慮に他国にかかわらない方がいい」
声なき声の中にこそ真実がある。
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