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2008年08月28日
アフガンにおけるNGO邦人射殺事件の衝撃
アフガンで起きたNGO邦人射殺事件についてコメントを求められる。
しかし私は多くを語らない。
私が語る事はただ一つ。
小泉元首相が世界に胸を張って公言した「米国のテロとの戦いへの協力」の重いツケが、はじめて国民に突きつけられたということだ。
そして、そのツケはこれから雪崩を打つように日本全体に押し寄せてくることになる。
そういうコメントすれば歓迎されない。メディアは腰を引く。そんなコメントは取り上げない。
メディアに流されるコメントは、命をかけたNGO職員の崇高さをたたえ、その命を奪ったテロを許さないとするものだ。それでも日本はテロとの戦いにひるんではいけない、とするものだ。
中東専門家と称する人々が、この種の事件が起きるたびにメディアに担ぎ出され、アフガンの治安状況や犯人の意図などをしたり顔して語る。
メディアはその解説を流して問題の複雑さを強調し、視聴者はそんなものか、大変だ、と分かったような、分からないような気になって、やがて忘れていく。
政治記者はこれを政局と結びつけて、新テロ給油法に与える影響やアフガン復興支援継続についての自公政権の対応について書き、対米協力が語られる時には決まって噴出する民主党の内部対立を騒ぎ立てる。
もはやそのような繰り返しは許されない。
日本はどうすればいいのか真剣に議論しその態度を決める事だ。
政府・与党が自らの間違いを認めるわけがない。メディアもそれを認めないし、野党も追及不足で終わる。
結局は今までどおりになる。
しかし、それは根拠なき選択だ。現状認識が欠如している選択だ。みんな認識不足なのである。
もっと正確に言えば、なるようにしかならない、という無責任さであり、いまさらどうにもならないという無力感である。
日本の正しい選択は一つしかない。
米国のテロとの戦いに無条件で追従してきた誤りを潔く認め、これを好機に、米国とのテロとの戦いからきっぱりと決別宣言を行なう事だ。
平和憲法9条の原点に戻り、紛争を軍事力で解決する事の限界を指摘し、米・ロをはじめとして世界の軍事大国にそれを訴える事だ。
そういう日本の自主、平和外交を、これをきっかけに世界に宣言をすることである。
殺されたNGO職員には多数の射撃傷があったという。
タリバンは犯行声明を出して、外国人が一人残らず撤退するまで殺し続けると言ったという。
それは狂気だ。
しかし、その狂気をもたらしたものこそ戦争である。
米国はテロを一人残らず根絶すると公言して大量殺戮を繰返してきた。世界はそれを放置してきた。
殺されるものが抵抗するのは当たり前だ。殺されるぐらいなら一人でも多くの敵を殺して死ぬ、そう考えるものを我々は非難できるのか。
非難さるべきは戦争である。それを誰よりも繰返してきた米国である。
その米国から決別し、自主、自立した平和外交を取り戻す。
この当たり前の事を本気で言うものが出てこない日本の現状を憂える。
NGO職員が殺された責任は、もとより米国の戦争に加担した自公政権にある。
それを追認したメディアにある。
自公政権の戦争加担を止められなかった野党にある。
それら政治家やメディアを許してきた国民にある。
そして、それはまた、「私を含め、情勢に対する認識が甘かった」と悔やむペシャワール会の中村医師らNGO幹部にもある。
NGO職員の死は日本国民の責任だ。
今からでも遅くない。これをきっかけに、米国のテロとの戦いの誤りを騒ぎ立てるべきだ。
米国の中東政策の誤りを騒ぎ立てるべきだ。
そしてこれ以上米国の戦争に協力していくことの愚かさを、われわれは素直に認めるべきである。
それこそが、それだけが、NGO職員伊藤和也の死に報いる事である。
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