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『建築家が眺望するニッポン』−文化から見る日本人の底力−2008.08.25
メールマガジン『まぐまぐ』http://archive.mag2.com/0000150178/index.html
星野ジャパンが惨敗しました。
決勝トーナメントで4位、つまり最下位になったことも惨めですが、予選リーグでの4勝3敗も予想外でした。予選ではしっかり韓国、キューバ、アメリカのメダル組みに負けています。予選だからといって手抜きは許されないのです。
ちなみに予選の順位と決勝の順位は同じです。
最初の問題は監督の選定でした。
前回のアテネでは長嶋ジャパンでオリンピックに臨みました。相手チームの分析もままならない直感だけで突き進む感覚監督に心もとなさを感じましたが、その監督が病に倒れた結果、同じ感覚人間でしかもカリスマ性も神がかり的な直観力も持ちあわせない中畑監督代理が指揮をとり、銅メダルに終わりました。
私は今でも中畑監督、城島捕手ではなく、野村監督、古田捕手で戦ったら金メダルを取ったのではないかと思っています。野村監督の短期決戦における強さは群を抜いています。
その反省を踏まえての北京オリンピックだったはずが、今回もまた直情型根性至上主義者の星野監督が選ばれました。田淵、山本浩二と言う六大学同期のスタープレーヤーも引き連れてです。ちなみに星野監督は監督として日本シリーズで1勝もできませんでした。
思わず監督選定の基準は感覚人間なのか、と思いたくなりますがもちろん違います。
答えは視聴率です。いまさら言うまでもないことですが、視聴率を取れる人を監督にした結果がこれなのです。勝利よりも視聴率。
もっと分かりやすく言えば『誇りより金』。
まさに今の日本を象徴しています。日本人は『命や金』よりも『誇り』を大切にした民族だったはずですが。
もっともこの国の政府はことあるごとに『国民の命と財産を守る』と宣言して自衛隊の必要性を訴えているようですから、そもそもすでに『誇り』の優先順位はかなり下位に落ちてしまっているのかもしれません。
ならばそうして選ばれた星野監督が何をやったか。
こわもてで売っている星野監督がまるで公家のような野球をやりました。
口では機動力野球を言いながら、チャンスで盗塁やヒットエンドランを多用して相手をかき回すこともなく、判で押したように送りバントのサインを出し、投手交代も後手後手に回って、自らの個性である攻撃性を封じて守りの野球を貫いたのです。
言っておきますが、守りとは野球の守備のことを言っているのではありません。星野監督自身を守る野球をやりました。
盗塁やヒットエンドランなど攻撃野球は失敗すれば監督の責任を問われます。よってセオリーどうりのまるで高校野球のような作戦で通しました。セオリーどうりの作戦で負ければ、実力不足だったということで責任逃れできるとでも思ったのでしょう。
先ほど公家と言う言葉を使いましたが、時代の変遷や状況の変化などはおかまいなしにセオリーセオリーで押し通し、自己保身を図る輩(やから)、現代の日本で見たことがあるような気がします。
言うまでもなくそれはキャリア官僚です。
あの闘争心むき出しで巨人に立ち向かっていった星野仙一でさえ、しかるべき地位を与えられれば官僚のようになってしまう時代が今なのです。ましてやもともと塾や家庭教師に育てられた青白きガリ勉少年達の成れの果てに、何かを期待するほうに無理があるのでしょう。
用は既得権を得ることができたら、本来の仕事の目的などはお構いなしにそれを守ることに汲々とする人間であふれているのが今の日本なのです。そしてそれを、自ら手本になることで助長したのが他ならぬ星野監督でした。
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