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2008年08月22日
「命を懸けてもいい」という言葉の重み
言うまでもなく私は臆病な人間だ。打算的、現実的な人間だ。
「命を懸けて」何かをなす、という事は、私には考えられない。
だから「死んでも本望だ」と言い切って何かをなすことのできる人は立派だと思う。
ただしそれが本物であればの話である。
北京五輪で女子ソフトボールチームが金メダルをとった。
その中に心臓病を抱え、臓器移植をしてまでもソフトボールを続けた選手がいた。「死ぬかもしれない」と心配する両親に、「グラウンドで死ぬのは怖くないからやらせて欲しい」とソフトボールを続けた。
その選手が活躍をして金メダルにつながった。彼女の人生で最高の瞬間だろう。
感動的だ。彼女の「死ぬのは怖くない」という言葉は本物である。
22日の産経新聞に民主党の松本謙公という議員が小沢民主党代表に期待してこう述べていた。
(その体調で小沢代表は首相がつとまるかという問いに答え)
死ぬまで首相をやればいいんだ。予算委員会で「それはなあ!」って答弁して、前のめりにバタッと倒れて。大変申し訳ないけど「老後なんてあるかい。死ぬ一秒前まで政治をやれ」って言いたいよ。
そのぐらいの意気込みで俺たちは支えている。
小沢一郎本人がね、命をかけて先頭に立って戦うっていう姿勢がなければ、民主党は勝てない・・・
小沢一郎は自らが最後の戦いと繰り返している今度の総選挙で、この言葉を国民の前で言うべきだ。国民がそれを信じかどうかは問わずに。
そしてもう一人「死んでもいい」と公言した男がいた。
郵政改革に命をかけると言った小泉元首相だ。
そしてそれに感動した愚かな国民がいた。
あの男が、自ら命をかけた日本郵便会社の将来についてその後何かしゃべった事があったか。どうなろうともはや何の関心もない。
それどころか首相5年半の政策の結果について一切語ることはない。
語るのは音楽と食事とボーリングだ。
「命をかける」という言葉の耐えられない軽さである。
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