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(回答先: Re: 安藤昌益が「自己規制」をしたのは、どの歴史にも垣間見える人の心を救済できる宗教団体の創設者だから。 投稿者 偽の友をあばけ 日時 2008 年 8 月 18 日 16:35:37)
真昼には昼寝をしていましたね。
西瓜や瓜を井戸に放り込んでおいて冷やして食べていましたね。
だからエアコンなんて要らなかったのです。
従って原子力発電なしで済んでいました。
それでも悪性の病気で死ぬ人はいませんでした。
文明?なんてのは嘘であって餓鬼根性の発露と衰退に過ぎないと思います。
昌益は実は深い教養を備えていた人物だったのであろうと考えています。
それは彼の血筋から推測できる事なのですけれども。
先駆的思想家として評価されることが今までは多かったのでしょうが、彼にとっては”創造的な”言い換えれば”先駆的な”仕事をした積りではなかったのではないでしょうか。
恐らく、彼の備えていた教養を現実世界すなわち徳川幕藩体制への注視に適用しただけの事だったのでしょう。
狩野亨吉から丸山真男からノーマンに至るまで「先駆的な斬新な創造的思想家」と捉えたようですが、それら誤解であろうと考えます。
彼の著作の多くは火災で失われたので全貌に触れることは出来ないと思いますが、今後もしかして何処かの旧家の蔵あたりから新たに写本が見つかる可能性もあるわけです。
源氏物語の異なった写本が新たに見つかったような事も有り得る訳です。
彼は幕末の思想家ではなく幕藩体制の始まりの時代の思想家である事にも注視すべきでありましょう。
つまり”未だ幕藩体制に染まっていない精神”を保持していてその上で思索をしたと考えられるのです。昌益は幕藩体制の行く末を案じていたに違いありません。
また昌益は幕藩体制が起こってきた由来、つまり歴史的背景についてもよく知っていたであろうと推測します。其れゆえに様々な思想を批判できたのでしょう。思想批判は幕藩体制批判でもあるのです。
秋田は日本海を通じて京都とは近い関係を持っていました。
また何度も政変で追われた貴族達や知識人・文化人が知識や文化を後に残す事無く自分達の身に着けたまま陸奥や九州や四国といった辺境?(失礼!)に亡命していた訳です。
その意味で幕末の例えば水戸学の思想家達とは本質的に異なるのです。
幕末の思想家達は既に切羽詰っていたわけです。かれらは直ぐに時代を切り開く必要性に駆られていました。
従って思想的にはせっかちで深みにかけるものになった事は止むを得なかったでしょう。
今回はこの程度に致しましょう。
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