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2008年08月17日
許せばいい、と簡単に言ってしまってよいのか
人の過ちを許す事は、人間としての重要な美徳であるといわれている。
人の批判ばかりする人間は心の貧しい者だとされる。
人間は誰しも欠陥を持つ不完全な存在だ。批判するよりもその過ちを許してこそ人間だ。
なによりも、その生き方こそ前向きな生き方だ、争いのない平和な生き方だ。
世間の一般はそう言う。私も一般論としてはそれに異存はない。
しかし、世の中には決して許してはならない事もある。
その一つは権力者の弱者抑圧である。
これだけは許してはならない。ブッシュの米国はそれを繰り返した。
8月17日の産経新聞に見逃せない記事があった。
ロサンゼルス支局長の松尾理也(みちや)という人が書いている「今も(ブッシュ)大統領を支持する人々」という評論である。
彼はブッシュ大統領が「わが家」と呼ぶテキサス州中部の田舎町クロフォードを取材で訪れる。
そしてそこで、今も変わらず「わが町の大統領」を支持し続ける「無知」で「善良」な人々がいることを知る。
その一人であるマーフィー牧師の次の言葉を引用する。
「8年の間にもちろん、ブッシュ氏は間違いを犯した。ほかのすべての人間と同じく。今になって批判する人もいるが、(しかし)私は非難するつもりはない」
そして松尾氏は、その後に次のような批評家小林秀雄の言葉を紹介する。
「・・・第二次世界大戦が終わり、戦争責任をめぐって世の中が右往左往していた時、批評家の小林秀雄は、『僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか』と言い放った・・・」
小林秀雄が自らを「無智」と言うところにおごりと卑劣さを感じる。
もうおわかりであろう。
松尾氏は、彼の評論の次の結論を導き出すために、マーフィー牧師や小林秀雄の言葉を巧みに利用したのだ。
「・・・『利巧』な人々の間では、もはやブッシュ批判はあたりまえのような政治的意匠の一つでしかない。
『無智』と見られたくないがゆえに、こぞってブッシュ批判の大合唱を繰り広げている感さえある。
9・11直後のブッシュ大統領の支持率は90%を超えていたのだし、イラク戦争開戦直後も70%を超えていた。にもかかわらず、今、米メディアからはほとんど、ブッシュたたきの論調以外は聞こえてこない。
そんな中で、もはや声高ではないにせよ、きっぱりとブッシュ大統領は『よくやった』という人間が存在するという事実。
それは『無智』などではなく、米国社会の懐の深さを示すものだとはいえないだろうか・・・」
このような情緒的な評論を平気でメディアという公器を通じて流す産経新聞は悪質である。
久しぶりに強い怒りと不快感を覚えた。
ブッシュの犯した人道にもとる罪は決して許されてはならない。どれだけの数の無辜の命がその権力犯罪の犠牲になったことか。末永く歴史に刻み込まなければならない権力者の犯罪である。
そのブッシュ大統領を「正しい人だ」と根拠なく公言して追従した小泉元首相の罪は、さらに思い。
日本の戦後史に残る汚点である。
産経新聞の、この愚にもつかない評論は、ブッシュの戦争やそれに追随した小泉元首相を支持したメディアの、巧みな自己弁護に違いない。
自らの責任追及を避けるための世論誘導である。
「無智」な私を騙す事はできない。
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