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2008年08月13日
勢古浩璽と渡辺清をつなぐもの
人間が短い一生のうちでめぐり合う人は実に限られたものであるに違いない。
しかし一度も会うことがない人を含めると、少しはその幅が広がる。
それとても限られたものだ。
しかし一生顔をあわせることがない人たちとj空を、彼らの言葉を通じて時空を超えて接する事を楽しむのは人間だけがもつ特権であるに違いない。
私が勢古浩璽という人物を知ったのはたまたま本屋で見つけて購入した「結論で人生論を読む」(草思社)という本がきっかけであった。
そのあとがきに「順風満帆な人生には人生論なんかまったく必要ない。『人生とはなにか?』、『生きるとはなにか?』などという問いかけが浮かぶはずもないからである。え?君たちは楽しくないの?とかいわれて終わりである。耐える人、報われない人、失意の人、に人生論がやってくる・・・」という言葉を見つけた。おもわず苦笑して、それにつられて本を買ってしまった。
勢古が私と同じ1947年生まれであることにも関心を持つ。しかし私がもっとも興味を持つのは、ただのサラリーマンであった彼が、「私の人生論」などという本を書いて評論家、作家としてよく生計を立てられるなあという事だ。彼は実に多くの著作を世に出している。
その勢古浩璽が11日の産経新聞に書評を書いているのを偶然見つけた。それは渡辺清著の「砕かれた神」(岩波現代新書)という本の書評である。
「本書を知ったのはほんの数ヶ月前である。ある必要から読んだのだが、読後、しばし呆然としてしまった。こんな人がいたのか・・・」という書き出しから始まるその書評は、私の興味を惹きつけた。
天皇に対する純粋無垢の信奉から16歳で海軍に志願し、戦艦武蔵に乗り込みマリアナ、レイテ沖開戦を経て武蔵沈没に際しても奇跡的に生還した渡辺清という帝国軍人渡辺清。
「砕かれた神」という書は、その渡辺が、戦争責任を一切語らず、一夜にして人間に豹変した「神」に裏切られた思いをつづった書であるという。
勢古はその書評の中でこう書いている。
・・・圧巻は、天皇から貸与・支給されたすべての品物と俸給を返上するくだりである。その辺納品リストが7ページにわたって列挙されている。4等水兵ー6円20銭(月額俸給)からはじまって、軍衣、軍袴、靴下一枚に至るまで延々と書き連ね、最後にこう記している。
「以上が、私がアナタの海軍服役中、アナタから受けた金品のすべてです。総額4,281円、05銭になりますので、端数を切り上げて4,282円をここにお返しします。お受け取り下さい。私は、これでアナタにもうなんお借りもありません」
このような生き方をした渡辺清。
「砕かれた神」を書いた渡辺清(1925−81)。
その渡辺の書を読んで、「私が震撼したのは著者の天皇に対する純粋無垢の信奉と、戦後、その「神」から裏切られた事への憤怒である・・・渡辺清が稀有なのは天皇崇拝に洗脳された自分自身の責任をもまた問い返した事である・・・これほど誠実で率直な内省の記録はめったにあるものではない・・・」と絶賛する勢古浩璽(1947−)。
その勢古浩璽の評論を楽しむ私。
しばし猛暑を忘れて時空を超えた交流を一人楽しむ。
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