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2008年08月12日
柔道は仕事、持って行く物は柔道着
12日の東京新聞の中で、いい言葉を見つけた。
高橋広史という記者が「北京ノート」というスポーツコラムで五輪報告を書いている。
新聞記者といえば何事にも精通していると思いがちだ。しかしだれでも仕事始めは無からスタートする。何もわからないままにとにかく記事を書かなくてはいけない。
この記者もおそらくそういう中で五輪取材を始めたに違いない。みずから「柔道がメーン担当ではない」と認めているくらいだ。
「つかみどころがなかった。柔道男子66キロ級の内柴正人に初めて接したのは、約一ヶ月前の国内合宿だった・・・」という短い文章から始まるこのコラムは、しかし、アテネ五輪の立派な報道になっていた。
それどころか、日本選手金メダル第一号となった内柴正人選手の次のような言葉を紹介しているこのコラムは、今日の各紙の五輪報告のなかで、私がもっとも惹きつけられた記事であった。
「北京に持っていく物をたずねると『柔道着』と平然と答える。人を食っているというか、正直というか。ただ、勝てずに苦しんだこの4年間について質問が飛んだ時の真顔が印象に残っている。
『正直きつかった。建設業の父も自分で会社を興して、やりたくない仕事をやり、頭を下げたくない人にも下げて、今がある。僕は柔道を仕事としている・・・』・・・」
私がこの言葉に惹かれたのは個人的な思いがあるからだ。
大学に入ったばかりの頃、私は何もせずに非生産的な毎日を送っていた。
暇にまかせて自動車免許をとりに教習所通いを始めた時のことだった。
運転する当ても自動車を買う金もなかったが、いずれ必要になるだろうからと思って通い始めた。というよりも、する事がない中での時間つぶしだったというほうがより正確だった。
ある時、自動車の中にかばんを忘れて帰ろうとして教師に呼び止められた。
年配のその教師が私に言った言葉は、「学生さん、商売道具を忘れてはいけないよ」というものだった。
その時私は、学生の身分である恵まれた自分と、働かずに毎日を空費する恥ずべき自分との間で、複雑な思いを抱いた事を覚えている。
「そうか、勉学は学生の仕事なのか。人が汗水たらして働いている時に、働かずに大きな顔をして生きていけるのは学生の特権だ。しかし勉強をしない学生は学生の身分に甘えるただの非生産者でしかない、と」
私の学生生活は、それ以来少しは勉強するようになった。学生らしくなった。
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